薬によらない統合失調症の治し方(新)

統合失調症はなぜ起こるのか

それは不調和波動に取りつかれているために起こります。
不調和波動とは、このホームページでも何度も説明してありますので、
そこをよくお読みください。
不調和波動とは毒ガスのようなものです。
この世に生きていることだけでもらってしまうものです。
この世には不調和波動が蔓延しています。
ちょうどそれは空気のようなものです。
いや、中国のあのスモッグのようなものです。
不調和波動に取りつかれると思考にはまります。
思考にはまっていることがいろいろな問題を起こしてしまいます。
それは何も統合失調症だけの問題ではなく、
すべての人の問題でもあります。
その代表的な存在が統合失調症なのです。

不調和波動は親から子に移ってきます。
それがカルマです。
これもまたすべての人の問題です。
統合失調症だけでなく、すべての心の病が親もらいの不調和波動で起こります。
それだけでなくすべての慢性的な病気の原因がこれです。
その親もまたそのまた親から不調和波動をもらっています。
そのようにして先祖代々降りてきた不調和波動が子供に固定して起こります。
(カルマ関係親子)
なぜ固定するかというと、
その子供には下に不調和波動をおろせるカルマ子供がいないからです。
降ろせるカルマ子供が産まれるとその人はもらった不調和波動を
子供に流せるので表面上は治ります。
しかしながら、その子供がまた苦しみます。
だから、
統合失調症は必ず片親からもらったもので(それを「震源者の親」と称しています)、
その親子が共依存関係にあります。

親子の共依存関係

共依存関係とは親子が一身胴体のようにつながっていることです。
すべての子供がどちらかの親とその関係にあります。
それは生命の基本的姿と言ってもいいでしょう。
そうでないと生命は何億年も続かなかったはずです。
しかし、それがまた問題も起こすのです。

多くの子供では思春期以降は親から心理的に自立することで
親子の共依存関係から脱します。
例えは、中学生が親に「糞ババー死ね!」と言うのはこのことです。
これが健常者です。
ところがこれができなかったために統合失調症が発生したのです。
すべての心の病もこのようにして起こります。

カルマ関係親子の親のほうは、子供のことが頭から離れません。
頭にトゲが刺さったように、
一日中子供のことを気にして心配しています。
寝ても覚めても。
共依存関係にない子供だったら子供のことが忘れられるのに、
共依存関係にある子供は
頭にトゲが刺さったように忘れようとしても忘れられないのです。
それがそのまた親とも同じ関係で、
そうして、
代々継いできた不調和波動を子供に流すことで子供に統合失調症を起こしています。
それは生まれつきの関係です。
そして、
その子供に何か問題が起こると、
その共依存関係に一層拍車がかかってしまいます。
すると、
震源者の親が子どものことをとても気にします(それを「心配のろいかけ」と称しています)。
すると、子供に不調和波動が流れていって子供の具合が悪くなります。
悪くなるとさらに一層子供を気にします(心配する)。
すると、さらに具合が悪くなります。
そうして悪循環になり、
しまいには子供はもうめちゃくちゃになって、
精神科の病院に緊急入院するはめになってしまいます。
これが発症の仕組みです。

子供の反抗期

一方、そんな親子の共依存関係を絶ち切ろうとする子供の努力や気づきが反抗期です。
親に反抗することによって、親から流れてくる不調和波動を拒絶しているのです。
健常な子供には必ず反抗期があります。
子供の「糞ババー、死ね!」とはまさに的を得た言葉です。
糞ババーとは不調和波動に取りつかれた母親のことを指しています。
「死ね!」というは不調和波動は本質的には死なないと治らないから。
(死ななくても治せるというのが本治療なのですが)
一方、親は子供に反抗されると、
そのまた親からもらった不調和波動を子供に流せないので自分が苦しみます。
だから、本能的に、
子供を自分の言うことをよく聞く子供に仕立て上げようと必死になります。
統合失調症のすべての親が、
「そういえばこの子はそのような反抗期がなかった」と、
親が証言しています。
それこそが問題なのです。
それまでは親に反抗していたのに、
反抗をやめたとたんに統合失調症を発症してしまったという人もいます。
だから、
子供が親に反抗しはじめて(それは親の不調和波動に気づいている証拠)、
親から心理的に独立し始めると、
子供の統合失調症は治癒に向かいます。
ところが、
ほとんどの統合失調症の本人は、
そんな親子の共依存関係にどっぷり浸かってしまって、
共依存関係から離れようとしないのが問題なのです。
だから、
親子の共依存関係に気づいてそこから抜け出ようとする意思のある人は治ります。
そんな人以外に治る人はいないと言ってもいいでしょう。
ただし、
子供が抜け出る気がなくても、
震源者である親がそれに気づいて、
自分の不調和波動を消し、
子供との共依存関係を断ち切ると、
子供は何をしなくても勝手に治ってしまいます。
そのような親子もまた存在しました。
一方、

子供のほとんどは共依存関係から外されて自立させられることをいやがることが
よくあります。
それが暴れたりすることで、親の注意を引こうとします。
すると、
親が負けてしまい、とうとう元の木阿弥に戻されてしまいます。
これが問題です。

ところで、
よく、
親が子供を自立させようと、
部屋を借りて子供をそこに住まわせようとします。
それ自体は悪いことではないのですが、
それだけではほとんどが役に立ちません。
というのも、
子供が家を離れると、
今度は震源者の親の方が、ちゃんと食事をしているだろうか、生活ができているだろうか、などと
子供に「心配のろいかけ」をしてしまい、
そのために、子供の症状が一層悪くなります。
だから、
そのような親には
「あなたの子供への心配のろいかけこそが問題なのです。
だから、
目の前の仕事に集中して子供のことを忘れるようにしなさい。
そして両親に感謝することで不調和波動を消してもらうことです。」
と指導しています。
それができると、子供が家を出た意味が出てきます。
しかし、そう言われてもなかなかできないのが震源者の親です。
そこで、本文の最後に書いてある「一点集中見る見る療法」が効果的です。

震源者の親を特定する。

統合失調症の治療に当たっては震源者の親を特定することがとても重要です。
実の子であれば必ず両親のどちらかが震源者になっています。
それはオーリングテストで判定できます。
両親のオーリングテストで固い反応のほうが震源者の親です。
(子供のオーリングテストでもできます。)
そうして、震源者の親を特定し、
「あなたが震源者です」と断定します。
震源者の親のほうは、これまで、子供が統合失調症になった原因を
自分以外のせいにしています。
「学校のせい」だとか「仕事のせい」だとか、「友達のせい」だとか。
そうして、自分以外のせいにするから、ちっとも治らなかったのです。
「あなたのせい」と言われて、
「そうか、自分のせいなのか」と、震源者の親が気づいただけで、
統合失調症の半分はすでに治っています。
(それから、子供に不調和波動をかけないような指導をします)
ところが、
多くの場合、自分が震源者であることを拒否します。
なぜなら、
そのまた親からもらった不調和波動を子供に流すことで
自分は楽になっているので、
今度は自分が苦しむようになるからです。
だから、
卑怯な行為なのです。
子供を一生精神病にさせているのはそんな親のせいなのです。
ところが、
そんな卑怯な行為もいつまでも続きません。
これまでは、震源者の親が上になって、下になっている子供に不調和波動を流すことで、
子供が統合失調症になっていたのに、
親が年を取るにつれ、
親子関係が逆転します。
親が年老いると、
今度は、子供が上になり、親が下になることで、
子供がもらっていた不調和波動を親に返すことになります。
すると、子供の統合失調症が消えて、
今度は親が統合失調症を発生するようになります。
認知症のすべてがこのようにして起こっています。

震源者の親の不調和波動を解消することが子供の治癒になります。
そして、
統合失調症の本人は親に依存しているから統合失調症になったわけであり、
それは本能的に楽だからなのです。
ちょうど、
小さい子供の口に親が食べ物を入れてあげるように。
統合失調症の子供はただ口を開けていさえすれば、
親が一生の間、子供の口に食べ物を入れてあげるのですから。
それに安住してしまって発症したのが統合失調症です。
統合失調症の本人の兄弟は直観的にそれを見抜いています。
たとえば、お母さんが震源者だった場合に、
「おかあさん、いつまでも本人を甘えさせるんじゃないよ。」
と、常日頃からうるさくお母さんに進言しています。
震源者ではないお父さんも冷静にそれを指摘しています。
ところが、
震源者である親は、
子供を自分に依存させて自分がそのまた親からもらった
不調和波動を子供に流して自分は楽になっています。
だから、震源者の親が、
他の子供や連れ合いの言うことを真剣に聞くと、
治癒に向かいはじめますが、
多くの場合、
全くといっていいほど耳を貸さずに
親子の共依存関係にはまっています。

わたしの治療のまず最初は、
震源者の親を特定して、
「あなたこそが原因です。それ以外にはありません。」
と厳しく指摘することからはじまります。
震源者の親はそれまで、
ひたすら自分以外のせい(友達のせい、職場のせい、学校のせいなど)
にしていたのに(それでは絶対に治りません)、
「自分が原因だったのか」と気づいただけで、
半分はもう治ったようなものです。
ところが、
多くの震源者の親は自分が震源者である事実を指摘されるのを拒否します。
我が子を精神病院にほうり込んでそれでよしとしている親のすべてがそうです。
それは子供に不調和波動を流すことで自分が楽のままでありたいから。
それでは何にも解決しません。
どんなに苦しくても事実を事実として認めるしかないのです。

治療
本人あるいは震源者の親のどちらも、
不調和波動を消すための治療をします。
本人が治りたいと思う人は極めてまれではありますが存在します。
そんな人は震源者の親を治療しなくて本人だけを治療します。
すると、それだけで治ってしまいます。
だから、
「あなたは本当に治りたいですか」と重ね重ね、本人に聞きます。
というのも、
ほとんどの人が親子の依存関係にどっぷりつかってしまい、
そこから離れる気がないのに、
口先だけ「治りたい」と言っているからです。
そんな人は治そうとしても、治りません。
だから、
本気になって治りたいという気持ちを持ってもらうことが大事なのです。
そんな人しか治らないのですから。

ところで、
現代医療は統合失調症が治癒するとは決して思っていません。
事実として、現代医療の範囲内では治せないのです。
夢も希望も無限にあるはずの十五、六才の患者に
「あなたは一生治りません」と宣言する医者もいるぐらいです。
そして、実態は表面ごまかしの薬物治療だけです。
さらに、
現代医療もまた、患者を自分達(薬物や施設に)に依存させることで、
とりあえず、薬物で面倒なことを起こさないようにしているだけです。
ところが、
すべての薬物は脳を麻痺させることで、幻聴などを起こさないようにさせるものです。
どんなに立派な薬物でもそうです。
すると、脳や体が役に立たなくなってしまいます。
精神病院に入院している人が、
感情もなくなり、肥満になり、ダラダラして、ボーっとしているのは、
病気のせいではなく、薬物のせいなのです。

そうなると、
日常の仕事もままならなくなり、
結局は障害年金や生活保護をもらって生きることになってしまいます。
それもまた依存です。
すべての根底には依存があるのです。

一時的に混乱していたり、暴れたりすることを抑制するために、
薬物を投与することもやむを得ないのかもしれませんが、
ある家族は本人も親も絶対に薬物は服用しない、させないと覚悟して
本人が暴れても辛抱強く対応したため、
とうとう薬物を使用しないで落ち着きました。
このような経験から、
たとえ暴れても辛抱強く家族が対応しさえすれば薬物も要らないのかもしれません。
それには親が医者などへの他人任せにしないで、
必至になって子供と向き合うことなのです。
それが治癒につながります。
そんな親は必ず子供を救っています。

本人が震源者の親に気づく。
それが最も大事なことです。
生まれついてその親と共依存関係にあったから統合失調症になったわけで、
本人がそのことに気づくことが第一です。
気づいた瞬間に、
それまで、震源者の親と一身同体関係だったのに、
突然、他人を見るような目つきになってしまいます。
その瞬間に、
親子の間に心の壁ができ、
すると、
子供が不調和波動をもらわなくなり、
統合失調症が瞬時に消えます。
それからはずっと、
震源者の親に対して他人を見る目のままで本人がおれると、
それが共依存関係の解消であり、
究極の自立であり、
統合失調症の治癒です。
ところが、
それだけでは、今度は震源者の親のほうが苦しみ始めます。
それまでは親からもらった不調和波動を子供に流して楽になったのですから、
子供がそれを拒否するととたんに苦しみ始めます。
すなわち、親のほうが統合失調症になってしまいます。
それに気づいてもらために、
震源者の親にはこのように話しています。
「子供さんがあなたから心理的に自立し始めると、今度はあなたが苦しみます。
子供のあなたを見る目が、
これまでの100%全面信頼の目から
うざったいような、ひねくれたような、ヤナミーチキー(沖縄方言で悪い目つき)
をあなたにするようになります。
それはあなたの不調和波動に気づいた証拠であり、
子供の自立が始まった証拠であり、
統合失調症が治癒しはじめた証拠なのです。
それはどうしても必要なことなのです。
しかし、それでは、
もはや、あなたは子供に不調和波動を流すことができなくなります。
すると、あなたが苦しみ始めます。
すなわち、
あなたに統合失調症の苦しい症状が出始めます。
だから、
子供のためにはわたしが苦しめばいいと、覚悟することです。
それは事実ですから。
すると、一瞬にして子供は治癒に向かいます。
もう、決して元の共依存関係に戻ることがあってはいけません。
そして、これからは、
あなたが親からもらった不調和波動を自分自身で消すことをおぼえることです。

自分の不調和波動を消す。

親の不調和波動に取りつかれると、思考にはまってしまいます。
そうして、幻聴、幻覚、などが出現します。
本人が思考を消して頭を空っぽにすることができると幻聴、幻覚が消えます。
それにはまず
「一点集中見る見る」です。
思考にはまっている人間は目が左右にキョロキョロ動いています。
心が常にあちこちさまよっていて、
ちゃんと、目の前のものを見つめることができません。
それは、何も、統合失調症だけの問題ではなくて、ほとんど人にあります。
それが不調和波動に取りつかれて、さらに不調和波動をばらまいている状態です。
そのため、
仕事が上手くいかない、
家族が心が通わない、
人間関係のごちゃごちゃに悩まされている、
などの問題を起こしています。
だから、すべての人の問題でもあるのです。

「一点集中見る見る」

その詳細は「一点光源を見る瞑想法」のところをお読みください。
「一点集中見る見る」をすると、思考が消えて空っぽの頭になります。
すると、幻聴などが消えます。
空っぽの心が基本で、正常なのです。
そして、一日中、その状態にいることです。
それこそが正常なのですから。
震源者の親も本人も。
これが治癒です。

それを強化するのが「両親の光療法」です。
(詳細は「両親が守り神になる光療法」の項目をお読みください。)

不調和波動は親からもらっている、と言いました。
ところが、
その親こそが逆に、不調和波動を解消してくれる存在でもあるのです。
(ここではそれを神様と称しています)
すべての人間には表と裏があります。
不調和波動に取りつかれて、思考にはまっているのが、表の顔です。
それが子供に不調和波動を流してしまっている親です。
ところが、
親は表顔では思考にはまって不調和波動を発生させますが、
裏側では神様なのです(それは不調和波動を消す存在)。
すべての人間がそうです。
実は、あなたもまたそうなのです。
あなたが自分の思考にはまった表顔を自分だと勘違いしていることが、
あなたの苦しむ原因なのです。
すべての人間が心の底から苦しみを解消するには
表顔から裏顔に変換することなのです。
それが瞑想の真髄です。
それも「
瞑想とは」のところをお読みください。
統合失調症の本人も
思考にはまって自分の親の表顔だけ見て、
表顔の毒ガス親に依存することで、
カルマ関係の共依存関係になり不調和波動をもらっています。
それが統合失調症を引き起こしています。
「一点集中見る見る」をして、
思考が消えた状態で親を見ると、
表顔の毒ガス親が消えて、
裏顔の神様親(不調和波動を消す親)が現れます。
すると、
これまでの親へのごちゃごちゃが消えて、
心の底から親への感謝の心が出てきます。
すると、神様としての親(不調和波動を解消してくれる親)に気づくことができます。
すると、
親の先に「ぽっかり穴」が発見できます。
その中心に「喜びの光(ぽっかりびとと称している)」を発見できます。
「ぽっかりびと」が神様です。
(それが科学的言葉じゃないというなら、「ぽっかりびと」と称しておきます。)
自分が
「ぽっかりびと」であることを発見した瞬間に統合失調症が消えます。
それを実際には治療会で経験してもらっています。
それが治療会の目的です。

ところで、
「ぽっかりびと」は他次元的存在です。
人間の意識はこの世(現次元=表顔)にはまることで不調和波動を発生し、
統合失調症などの苦しみを生じます。
一方、
人間の意識を「ぽっかりびと」になることで、
他次元につなげてあげることで(神様=裏顔)
一瞬にして不調和波動を消すことができます。
すべての苦しみが消えます。
それが究極の治癒です。
それで親も子も完全に救われます。
「喜びの光=ぽっかりびと」は統合失調症の人だけではなく、すべての人にとっての救いなのです。








以下の文章は以前の古い文章です。





薬によらない統合失調症の治し方

(注記:ここの以下の文章は2009年9月に本として書かれていますので、
わたしの最新と知見とは異なる部分がありますが、根底にあるものは同じです。
それを注意してお読みください。
最新の所見は本ホームページの他の部分を参考にしてください。平成27年5月記載)



=意識を「無」に誘導する根治法=


目次

はじめに

全体のまとめ

第一章、統合失調症は治らない?

1、現代精神医療の根源的な問題

2、統合失調症は思考の暴走

3、薬物では治らない

第二章;治療者のあなたの意識こそ問題にすべきなのです

1、思考にはまると心が通じない

2、現代精神医学の「考える」方法論自体がそもそも間違っているのです

3、意識の状態には二つある

4、あなたが思考にはまっている証拠

第三章;精神疾患のまったく新しい診断方法

1、心についての誤解が問題

2、本物の治療者

3、本当に治癒せしめるには患者の苦しみをもらうこと

4、診断の原則も患者の苦しみをもらうことから始まる

5、「不調和波動」が精神疾患の正体です

6、すべての精神疾患の診断治療が可能である

7、統合失調症の患者の心の中は

8、統合失調症の本態は「脳の肩こり」です

第四章;意識についての事実

1、意識には「無限に抜けて広がった意識」と「詰まった意識」の二つがある

2、人間の心は電波のようである

3、「調和波動」や「不調和波動」と人間の心

4、心の波動は集団化する

第五章;統合失調症を治すにあたって

1、統合失調症患者の言っていることはすべて事実である

2、意識を「考える」から「見る」に切り替える

3、治療者自身が自らの意識を変革する

4、患者との全面的信頼関係を築くこと

第六章、治療にあたっては家族、特に親の問題が肝要です

1、子供がこうなった原因はすべて親のあなたにあります!

2、親と子供の関係

3、親の心配こそが諸悪の根源

第七章;具体的には、統合失調症をどう治せばいいのか

1、まず、治療者が「思考が消えた意識の状態」で患者に向き合うこと

2、患者の目を見て話をすること

3、治療者の「調和波動」を患者に共感させる

4、頭に刺さった棘を抜く

5、睡眠導入法

6、全く理解しない患者をどうするか

第八章;瞑想の方法(意識を「思考が消えている状態」にする方法)



はじめに


わたしはこの15年間、精神疾患の薬物なしの治療を試みてきました。もともと産婦人科の医者

であり、更年期障害を取り扱ったのが発端でした。更年期障害といっても、そこには、不安神
経症あり、うつ病あり、パニック障害あり、統合失調症あり、とすべての精神疾患を網羅してい
ます。というのも、これまでの人生で持っていた心の問題が次第に大きくなり、とうとう抑えきれ
なくなって表に噴出してしまったのが更年期だからです。それだけではなく、子供や家族の問題
とも不可分です。そのため、必然的にすべての精神疾患を取り扱わざるを得なくなりました。そ
れまでは、自分の専門分野以外の精神疾患に対しては精神科専門医にお任せしていました
が、紹介してしばらくぶりに患者を見ると、心の問題が解決できていないどころか、薬漬けにな
ってしまっているのが普通の有様でした。そのことに心を痛め、それからは精神科に頼ること
なく、本気になって自ら精神疾患を治してみようと努力しはじめました。

そこで最初から、「薬物を使用しないで治す」ことを原則にして治療法を追求してきました(睡眠
導入剤だけは使うことがあります)。そして、これまでの常識を一切無視して、全く一から治療
体系を作り上げることにしました。そうすると、すべての精神疾患の原因はたった一つに行き
着くことに気がつきました。それは人間が「思考にはまる」ことです。そして、ほとんどの精神疾
患が薬物を使わないほうが治りやすいことがわかってきました。

新しい治療法により、この6年間で八千人以上の心を病む患者を治療してきました。次第に精
神疾患の本質がわかるにつれ、いよいよこの治療法を確信するようになりました。このたび、
それをまとめたのが本書です。結論を言いますと、患者の心を「思考にはまっている」状態から
「無」に誘導することですべての精神疾患が治るということです。さらに「無」に誘導するのは誰
でも簡単にできるものであるということです。本書では、精神疾患の代表であり、現代医学では
治らないとされる統合失調症を主に取り上げてその根治方法を記載します。しかし、それだけ
でなく、ここに書いてある治療法はすべての精神疾患の根治につながるものです。

この本は、多くの精神科医に読んでもらい、すべての精神科疾患が薬物なしに治ることを理解
してもらうことを目的にして書いたものです。そして、これまでわたしが築いてきた方法論のす
べてを余すことなく公表することによって多くの方に検証をしていただきたいと願っています。そ
のため、本書は全文をインターネットでも公表しています。

ところで、患者の心の問題は治療者自身の心の問題でもあります。患者の心の問題が解決で
きないということは治療者自身がおのれの心の問題を解決できていないという証拠でもあるわ
けです。だから、この本では治療者自身の心の問題を通して精神疾患の本質にせまっていくこ
とになります。そうでなければ患者にも根本的な解決をもたらすことができないからです。

本書の内容は全く新しいもので、これまでの精神科の既成概念が全く通じないはずです。だか
ら読者は、はじめから先入観を抜いて頭を真っ白にして読んでいただきたいと思います。誰に
でも理解できるようにできるだけ難解な言葉を避け、わかりやすく書いてあるつもりです。ところ
で、この本では治療法に関する新しい知識を提供しているのではありません。だから読者が、
これまで蓄積してきた知識に新たな1ページを付け加えるようなつもりで読んでいては何の得
るものもないでしょう。そうではなく、読者の意識を全面的にひっくり返えすことを目的にしてい
ます。そうして、読者を「あっ、そうか!」と気づきに誘導することで意識を思考の世界から全く
新しい世界すなわち「見る=気づき=無の世界」へとジャンプしてもらうことを促しているので
す。それこそが、統合失調症などすべての精神疾患の根治につながる道であるからです。だ
から、本書に書いてあることは考えて理解できるものでは決してありません。そのため思考人
間にとっては内容のすべてが受け入れることができず、中には不快感さえ覚えて読むのを拒
否する人もいるかもしれません。しかしながら、これまで統合失調症の根治方法については誰
も提示できなかったのも事実です。だからこそ、今までとは別の、全く新しい世界からのアプロ
ーチが必要なのではないでしょうか。

また、本書では現在の精神医療について根本的な批判を加えていますが、私が批判の対象に
しているのは薬物療法を中心にした精神医療のほうです。中には薬物を使わないで真剣に患
者に向き合っている治療者もいることでしょう。わたしはもともと産婦人科医であり、精神科医
療の中にいた経験はありませんので必ずしも精神医療の現状を理解してない部分もあるかも
しれませんが、よく読んでいただきますと、決して誹謗中傷するものではなく、事実を事実の通
りありのままに表現しているということがわかるはずです。事実を知ることは、確かにきついこ
とではありますが、事実を事実の通り知ることからしか根源的な変革は始まらないのではない
でしょうか。

意識についての事実を事実としてありのままに知ることから新しい真実の世界が始まり、それ
が統合失調症の治癒につながります。そして、そんな事実についての気づきにより、一瞬にし
て目が覚めるように全てが理解できるようになります。ちょうど3D絵画が、一見すると何を描
いているのか、意味不明瞭ですが、目が3Dを見る目になった瞬間に全体がはっきりと理解で
きます。こんなふうです。だからこの本は、考えながらではなく、直感の部分で読んでいただき
たいと思います。


全体のまとめ

ここに事実を提示します。これはれっきとした事実で、毎日の診療で普通に起こっている
ことです。この事実の中にすべての真理があります。そして、統合失調症は親子関係に
源があり、家族、特に母親への治療なくしては子供の統合失調症は治らないという証拠
です。

    

母親が子供の統合失調症を治してほしいと来院しています。その母親には必ず「不調和
波動」が付いています(図では体にまとわりついている黒い霧と電波のように表現)。子
供にも鏡に写ったように、母親とそっくり同じ「不調和波動」があります。子供の統合失調
症はこの「不調和波動」が原因です。しかし、子供のほうは治療しないで母親だけを治療
します。母親の「不調和波動」を消してしまうわけです。

 治療により母親の「不調和波動」を消してしまうと、その瞬間に、何の治療もしていない
のに子供の「不調和波動」が消え、子供の統合失調症が治ります。



これは厳然とした事実です。この事実の中に心の病の根治につながる真理が隠されて
いるわけです。それを本書では明らかにしていきたいと思います。


最初に、この本の要点をまとめます。

人間のすべての苦しみは「思考にはまること」で起こります。統合失調症でも、うつ病でも、パ
ニック障害でも、すべての精神疾患が同じ原因です。「思考にはまる」ということはのべつ幕な
しに考えているこということです。24時間、365日、寝ても覚めても、です。「思考にはまった状
態」が苦しみを発生させます。ところで、人間の苦しみは波動のようなもので、自分の外から飛
び込んできたり、自分から外に飛ばしたりするという意味で「苦しみの波動」と表現しています。
これを私は「不調和波動」と称しています。心の苦しみはこの「不調和波動」が体に染み付いて
いるから苦しむわけです。そして、「不調和波動」は思考にはまった瞬間に発生されます。これ
はちょうど、エンジンをかけた瞬間に排気ガスを噴出するのと同じです。

         

その「不調和波動」は見る(=感じる)ことができます。これが診断です。それには治療者が患
者をよく見ることです(考えては絶対に気づけません)。よく「見る」ことで治療者の意識が「思考
が消えた状態=無」になります。そんな意識の状態で患者を見ることでその「不調和波動」に
気づくことができます。

       

そして、患者を思考にはまっている状態から、「見る」ことに誘導することで思考が消えた状態
(=無)にしてあげると、一瞬にして「不調和波動」が消え、すべての苦しみが消えます。ところ
で、「見る」という概念は普通一般的に持たれている常識とはかけ離れたものです。これが本
書の根幹の部分で、後に詳しく説明することになります。これが治癒です。だから、精神疾患の
治療が年余に及ぶというのは間違った常識であり、思考にはまっている状態から抜け出させる
と、目が覚めるようにして一瞬にして治るものです。問題なのは、長年の癖により、また思考に
はまってしまうことです。それを何度も元に戻してあげることで、思考が消えた状態(無)を患者
が覚えてしまうことが治癒です。

           

思考が消えると、その瞬間に、苦しみの正体である「不調和波動」が消え、代わりに「調和波動
=生気」が体中に満ちてきます。すると患者の心や体に苦しみに置き換わって、無条件の喜び
や安心、安らぎが訪れます。これが治癒です。

              

この治療ができるためには、治療者自身の意識が「思考の消えた状態=無」で患者に向きあ
うことが絶対条件です。すなわちそれは治療者自身が、自分の苦しみに向き合うことで、それ
を消すことができる能力を身につけることです。だから治療者は、この「思考の消えた状態=
無=調和波動=生気」をよく体得し、それに満ちていることが肝要です。

以上が要点です。以下順次それを詳しく説明することにします。


第一章、統合失調症は治らない?

統合失調症はよく、「治らない」あるいは「一生治らないからそれと上手に付き合っていくしかな
い」、などとよく言われます。それは違います。統合失調症は治ります。すべての統合失調症は
必ず治ります。

なぜ、治らないと言うのでしょう。

統合失調症は治らないのではなく、現代精神医学の治療法では治せないというのが真相で
す。そ

の原因は現代精神医療の根本的な問題にあります。というのもそれは現代精神医学が統合
失調

症の本質に手が届いていないからです。

ところで、統合失調症の本質をまとめると以下の通りです(詳細については逐次説明すること

になります)。

 1、統合失調症は思考にはまることで起こる。

2、統合失調症をはじめすべての精神疾患の苦しみは思考にはまることで発生される「不調和

波動」によるものである。

3、その「不調和波動」の源は主として親から来るものである。

4、統合失調症は頭が思考にはまることで「不調和波動」にロックされている(取り付かれて

  しまった状態。後に説明)ため、それから抜け出せなくなっている状態である。

5、その状態から抜け出させるには「思考が消えている状態=無」に患者やその親を誘導する
ことである。これが治癒である。

現代精神医学はこれらのことができていないのです。というのも、現代精神医学もまた思考の


界の中で行われているから、思考そのものの本質的問題に気づくことができないのです。すな


ち治療者が思考にはまっているため己の苦しみを解消できないから、患者の苦しみも解消で
きな

いということなのです。

1、現代精神医学の根源的問題

なぜ、そうなのでしょう。現代精神医学の根源的問題とは、基本的に「こう考えなさい。ああ考
えなさい。」という精神の分析と方法論にあります。要するに現代精神医学は思考の世界の中
でああだ、こうだと働くわけです。だから自分の苦しみを解決できないで、統合失調症の本質も
理解できないのです。それは犯人を追いかけているはずの刑事が実は自分が犯人だったよう
なものです。刑事は決して自分自身に気づくことができないのです。またそれは、三次元の問
題を二次元で解決しようとするようなものです。立方体の体積(たて×よこ×高さ) を平面(た
て×よこ)の計算式で計算するようなものです。これでは絶対に不可能です。

さらに、それはちょうど電波というものの存在を知らなかった時代にラジオがあったようなもの
です。ラジオから聞こえてくる声に対して、それが電波によるものであることを理解できないと、
きっといろいろな解釈をするに違いありません。この小箱には「小人が住んでいる」だとか、「い
や、悪魔の声だ」とか、あるいは「神だ」とか、いろいろ解釈するでしょう。そして、その解釈のよ
うに対応するでしょう。しかし、その解釈の全部が根本的に間違っているから、聞こえてくること
の真実が理解できず、その対応も間違ってしまうのです。そして、ラジオが壊れても、間違った
解釈しかできてないのでちっとも治すことができません。それどころかいよいよ混乱に拍車をか
けるだけです。とうとうラジオに水をかけて(それが薬物を投与することなのですが)声が聞こえ
なくなると治ったとするかもしれません。しかし、それではラジオが機能不全に陥ってしまいま
す。ところが、原因がすべて電波であるという事実が理解できると一瞬にして全ての真相が理
解でき、そのため正しい直し方も理解できるでしょう。こんなものです。



2、統合失調症は思考の暴走

統合失調症の本質は思考の暴走です。それをわたしは「思考にはまっている」と表現していま
す。思考の暴走に陥っている患者に、思考の範囲内で何をどう助言してもすべてが無駄なので
す。それは実際に統合失調症を取り扱っている人間ならよくわかるはずです。だから、統合失
調症は一生治らないと言ってしまうのです。

例えば、暴走している車のハンドルをどこに切っても暴走はおさまらないのです。そんな暴走車
はスイッチを切ってエンジンを止めることでしか止められないのです。同じ様に、統合失調症に
おいても、暴走している思考のスイッチを切ることなのです。しかしながら、現代の精神医療
には思考のスイッチを切るという概念が存在しません。要するに、現代精神医療は統合失
調症の本質に気づいていないのです。それはまた治療者自身がおのれ自身の問題に気づい
ていないことでもあるのです。だから、自分の苦しみを解消できないし、患者の苦しみも解消で
きないのです。

例えば鬼ごっこをしている時に、影をいくら追いかけてもその人を捕まえることはできません。
統合失調症の正体がどこにあるのか見えないから治療もできないわけです。現代医療では統
合失調症についての様々な解釈は存在しますが、その解釈のすべてが、的がはずれているか
ら解決ができないのです。

    

現代医療の根本的問題

なぜ現代の標準的精神医療は思考のスイッチを切る事を知らないのでしょう。それは、現代精
神医学の根本的問題でもあり、さらには現代医療の根源的問題でもあり、ひいては現代文明
の根源的な問題でもあるのです。

思考の世界の中で医学が成り立っている、すなわち知識の蓄積によって医学が成り立ってい
るという現代医学、あるいは現代文明そのものの根源的な問題なのです。現代医学には思
考を消すという概念が全く存在しません。これこそが問題なのです。とりあえず、この問題に
はのちほど深く追求することにして現代精神医学の問題をもうすこし検討してみましょう。

3、薬物では治らない

統合失調症の現代医療において、薬物は必要不可欠なものになっているようですが、残念な
がら薬物では治すことはできません。どんな精神疾患でもそうであり、どんなにすばらしい薬物
でもそうです。薬物を投与しているうちにいつのまにか何か他の要因で本人の意識が変化する
ことで思考の暴走が止まり、治ったということはあるかもしれません。それは薬物で治ったので
はありません。

薬物は症状を軽くすることはできます。軽くというより、暴走しているエンジンに水をかけ続けて
エンジンの機能を鈍くするようなもの、と表現したほうが正確かもしれません。そうすると暴走
はおさまるかもしれませんが、いつまでも水をかけ続けていてはエンジンが使い物にならなくな
ります。これが統合失調症に起こっている薬物治療の実態です。

そして、多くの精神科医が内心では「統合失調症は一生治らない」と思い込んでいます(実は、
治らないのではなく、治せないというのが真相なのですが。そして、それは自分の苦しみは解
消できないと思っているのと同じことなのです)。患者にも「一生治らない」と宣言してしまう精神
科医も少なくありません。これから無限の夢や希望があるという15、6歳の青少年に「一生治ら
ない」と宣言してしまう医療は一体何なのでしょう。実は筆者が精神科専門医でもないのに統
合失調症の治癒を試みざるをえなかったのはここにあります。夢と希望に満ちているはずの青
少年が一生治らないと宣言されてしまい、絶望して来院して来る親子を専門医ではないからと
いって見捨てるわけにはいかず、何とかしてあげたい、という、やむにやまれない切実な気持
ちから治療の試みがはじまったのです。本当に治してくれる精神科専門医がいればとっくにそ
の方に紹介していたはずです。しかしながら、治してくれる専門医がいないのでしぶしぶ自ら治
療法を追求するしかなかったというのが実情です。

そして治療法を追及しているうちに、逆に精神科専門医ではなかったから、これまでの精神医
学の常識に全くとらわれることなく、患者を徹底的に「見る」ことから始めて、今の根治的治療
法に気づいたというわけです。

かの精神科医の言うように、現在の薬物中心の精神医療では一生治らないし、治せません
(偶然、他の影響でなおることはあるでしょうが)。そして、多くの精神科医が統合失調症には
薬物を投与するしかないと思っているのが実情でしょう。表面的にはカウンセリングをしたり、
色々な心理療法などを施行したりしますが、それらが根治方法ではないから結局は薬物を投
与するしかなくなってしまいます。

     

他方、薬物治療は深刻な問題もはらんでいます。というのも、薬物はどんな薬物でもそうである
ように、エンジンに水をかけてその機能を鈍くさせるように、脳を麻痺させることで思考の暴走
をおさえわけです。そのため、薬物はその他の脳の働きも麻痺させてしまいます。すなわち人
間にとって生きるのに基本的に必要な能力である、活力のある心、感動する心、美しいと思う
心、共感する心、などをも麻痺させてしまうので(じつはその活力のある心、感動する心、美し
いと思う心、共感する心などの能力を戻してあげることこそが治癒なのです。それについては
のちほど詳しく説明することにします)、結局は、無気力、無感動といった精神疾患患者の常態
ができあがってしまいます。精神疾患患者のほとんどが、何か、ぼーっとして、無気力で、目が
あっちのほうを向いていますが、あれは病気でそうなったのではなく、長期間にわたる薬物の
大量投与でそうなっているのです。最近ではそんな副作用が少ない薬物が新しく開発されてき
たのも事実ですが、それでも薬物というものは本質的にそんなものなのです。

薬物を使うなと言っているのではありません

だからといって、「薬物を使うな」と言っているのではありません。例えば、家が火事になったら
水をかけてでも火を消すはずです。心も火事になったら薬物で火を消すことが必要な場合があ
ります。たとえば思考の暴走が止まらなくてどうにもならない、制止も効かない、などと言った状
態です。こんな場合には薬物を使ってでも強制的に暴走を抑える必要があります。しかしなが
ら、火事がおさまっても家に水をかけ続けていると、その家は住めなくなるはずです。人間の心
も同じです。

要するに現代精神医療は根治方法を知らないから、統合失調症を不治の病として薬漬けにし
てしまうしかないわけです。そうすると患者は薬によって無気力、無感動の状態になり、通常の
仕事や社会的活動、あるいは、家庭的生活ができなくなります。結局のところそれでは自活し
た生活ができなくなり、医療保護や生活保護を受け、生活支援施設などに頼らざるをえないと
いう構造ができあがります。そして、それらに依存するのが当然のようなシステムができあがっ
てしまっています。

一人の統合失調症患者が来院しました。その人は「自分の統合失調症を治してほしい」といい
ました。そこで、「あなたの統合失調症は必ず治るけどそれで本当にいいのですか。統合失調
症が治ったらあなたは自分で働かなければいけなくなり、生活保護を返上し、医療補助も返上
しないといけなくなるけど。それでいいですか。」と質問をしました。すると、「それでは困る」と言
って二度と来院しませんでした。一旦、このようなシステムに安住してしまうと治る気力さえなく
なってしまうのです。残念ながらこれが厳しい現実です。

だから、統合失調症を治したいと心から希望する患者を一人でも完治せしめ、社会生活に戻
し、元気に仕事をこなし、家庭生活を送ってもらうことは、社会的に極めて重要なことなので
す。特に青少年においては一生を保護の下で暮らさせるのは極めて重大な社会的損失ではな
いでしょうか。だからこそ、この本を作り、みんなに読んでもらい、統合失調症は治らないという
既成概念を壊す必要があるわけです。


第二章;まず、治療者のあなたの意識こそ問題にすべきなのです

まず始めに、治療者のあなたの意識を根本的に変える必要があります。治療者のあなたの本
音が「自分の苦しみが根本的に解消できるわけがない」と思い込んでおり、それからきて統合
失調症も治るはずがないと思い込んでいるあなたの意識を解消しないといけないのです。それ
は、治療者のあなたが思考にはまっていること自体が原因なのです。思考にはまっているとい
うことは、のべつまくなしに考えているということです。一日中絶え間なく考え続けていることで
す。逆に言うと、あなたの頭には「思考が消えている状態が存在しない」ということです。だ
から、あなたの心の苦しみが解消できないのです。統合失調症の本質も全く同じです。患者は
もちろん、あなたもそれをあたりまえと思い込んでいるのです。これが統合失調症の本質を見
抜くことができない原因なのです。例えば、青い色の色眼鏡をしていると青い色と白い色の区
別ができません。これと同じことです。青と白を区別するためにはめがねをはずさないといけな
いのです。だから、統合失調症の患者だけの問題ではなく、あなた自身の問題としてとらえるこ
とが大切です。

1、思考にはまると心が通じない。

自分が正常と思い込んでいるあなたを含めてほとんどの現代人が思考にはまっています。そう
して思考にはまった人間関係を周りに作っています。それも当然のようになってしまっていま
す。

統合失調症の患者は思考にはまって心の通わない人間関係に幼少時よりさらされていて、そ
れが習慣化してしまっています(これをロックされていると表現しています;詳細は後述)。それ
が統合失調症の本態なのですが、本質的には、われわれ正常と思っている人間も同じ思考に
はまっているということでは統合失調症の人達と大して変わりはありません。

思考にはまって心の通じない人間関係とはどういうものでしょう。

例えば、相手と話をしています。そのとき、相手と心が通じ合うためには相手の言っていること
を聞かなければいけません。すなわち、ただ聞くのではなく、心を込めて聞くことで、相手の言
っていることがこちらの心にちゃんと入ることが、心が通じるということです。そのためには、相
手の言うことを聞く時には、「聞いている方の思考が消えていないといけない」のです。

      

そうして初めて相手の言葉がこちらの心に届くわけです。これが心の通い合う会話です。そし
て、これが愛といわれる状態です。

    

これが心の通い合い=共感=愛です。

     

ところが、相手の言う事を聞きながら、こちらが思考にはまっていると、相手の言っていること
がこちらの心に通じなくてブロックされてしまいます。すなわち、思考にはまることが心の通い
合い=共感=愛をブロックするわけです。自分が考え事をしているときに、誰かに話しかけら
れても気がつかないことがよくあるはずです。よく一生懸命に話しをしても相手の心が上の空
でちっとも聞く耳を持たないという人がいるはずです。これがそうです。

それだけではありません、思考にはまるとその瞬間に「不調和波動」を出し、相手を拒絶し、相
手もその「不調和波動」の影響で、こちらを拒絶させてしまうのです(「不調和波動」については
後に詳しく説明します)。すなわち思考にはまっていることがお互いの心が断絶し不調和の関
係になってしまうわけです。夫婦が一晩中議論したあげく、双方の心の溝がより深くなっていよ
いよ疲れてしまうということがあるはずです。それは、双方が、思考にはまった状態で言い合い
をして「不調和波動」の掛け合いをしているのです。それが日常的な人間関係になっています。

     

さらに思考にはまった人間は、相手の言っている内容を自分の勝手なイメージに変換します。
これが思い込みです。これも思考のなせる害悪です。そうすると相手に、こんなものだという思
考のレッテルを張ってしまいます。そのことでさらに人間と人間の心が断絶してしまうわけで
す。例えば、離婚する人の原因は、借金の問題だとか、性的な問題だとか、表面的にはいろい
ろ理由があるでしょうが、根本的にはこのように両者の心が思考にはまって「不調和波動」を
掛け合い、相手を「こんなやつ」という決め付けの状態になっているのです。すなわちそれは心
の通じ合い(=愛)のない関係です。そして、これが現代に蔓延している人間関係であり、現代
が苦しみの時代になっているのはこれが原因です。これが思考のなせる害悪です。このような
思考へのはまり関係が統合失調症の親子における基本的な様態であり、それはまた現代の
人間関係の象徴でもあるのです。

2、現代精神医学の「考える」方法論自体がそもそも間違っているのです

要するに、思考にはまることの害悪が現代人に蔓延しているのです。

そして、現代医学の学問体系の根本も「考えること」によって成り立っています。現代精神医学
もまた考えることを基本に学問が成り立っています。「考えること」がすべてです。なぜ統合失
調症になったのか、考える。どのようにしたら治るのか、考える。その考えの中から治療法を
導き出すわけです。「考えること」に一片の疑問すら持ちません。そして、ほとんどすべての治
療者が精神疾患についての教科書や文献を読むことで、統合失調症についての知識を頭に
入れ、その治しかた、薬の使い方などを知識として頭に収納します。考えることで、今まで得て
きた知識の中から治療法を引き出します。そうして患者の前でも考え続けています。これが今
の医学の根底にあるものです。

しかしながら、この「考えること」自体に問題があり、それこそが病的状態であり、「考えること」
そのものが統合失調症の原因であり、すべての精神疾患の根源的な原因だとするとどうでしょ
う。それは今まで信じて疑わなかったものがすべてひっくり返ってしまうことです。今まで考え
て、考えて、生きてきた人間にとって驚天動地の指摘でしょう。

「えっ、じゃあ、俺の頭は病気だってこと?」

そうです。そもそも治療者のあなたの頭自体から問題にしないといけないのです。まずは、ここ
からスタートする必要があるわけです。今まで自分を正常と思っていた人間にとっては、とても
受け入れがたいことでしょう。でも、よく注意してみると、それが事実だということに気づくはずで
す。

     

思考にはまっている人が、思考にはまって心を病む人をみている

極端に言うと、現在の状態では、病的状態にある人が病的状態の人を診断し、治そうとしてい
るようなものです。しかし、治療者自身は、自分のことを正常と思い込んでいるので、何が病的
で、何が治ることなのかわかりません。すなわち青色の色眼鏡をしていると青い色と白い色の
区別がつきません。これと同じです。ここに現代精神医療の根源的問題があるのです。これは
何も現代精神医療を誹謗中傷しているのではありません。良く注意して見るとそれが明らかな
事実だということがわかるはずです。

それでは病的状態の意識とはどのようなもので、健全な意識とはどのようなものでしょう。これ
をはっきりさせる必要があります。

3、意識の状態には二つある。

意識は二つに分かれます。一つは「考えている状態」、もう一つは「考えが消えている状態」の
二つです。ほとんどすべての現代人の意識は「考えが消えている状態」がなく、「のべつまくなし
に絶え間なく考えている状態」しか存在しません。それをわたしは「考えにはまっている」と表現
しています。

 

        

意識の状態について上図で説明します。黒い円で示している「思考の世界」があります。しか
し、意識は黒い円だけでなりたっているのではありません。この「思考の世界」はそれをも含ん
で周囲を取り巻いている「思考以外の世界=考えが消えている状態=無」があってこそはじめ
て「思考の世界」が成り立つわけです。これが意識の「全体」です。例えば、地球が地球だけで
存在することができず、宇宙に浮かんでいるから地球が存在しているわけです。宇宙という全
体を無視して地球は存在することができません。これと同じように「思考の世界」にはその背景
に「思考以外の世界=考えが消えている状態=無」を背景にしてはじめて思考の世界が健全
に存在することができるのです。人間が空(そら、これが宇宙の実体)なくしては生きていけな
いのと同じです。

たとえば、心が健全であるということはどういうことでしょう。例えば、心が苦しみから開放され、
安らかであり、幸せ感に満ちており、周囲の人と心が通じ合い(共感)、幸せを周囲の人と共有
できること、そのためには自分が幸せであり、家族もまた幸せであり、一緒に働く職場の人た
ちともまた幸せな関係である、などといった状態が、心が健全な状態(調和の状態)と言えるで
しょう。

実は、このような心の健全な状態は、意識が「思考が消えている状態=無」になる(それで
はじめて全体になる)ことでもたらされるものです。意識が「無」になったその瞬間に苦しみが
消え、心は健全な状態になり、周りのすべてと心の調和の状態(すなわち全体である)になりま
す。それは心だけでなく肉体も健全でいられる根源的な状態です。

一方、それとは逆の状態になっているのがすべての精神疾患です。四六時中、不安、恐怖、
孤独、絶望、怒り、不信、などの苦しみ(すなわち不調和の状態)に苛まれている状態です。黒
い円内にはまりこんでしまっている状態です。それは意識が思考にはまっていることが原因
です。そこでは「思考以外の世界=無=全体とのつながり」が失われているのです。そうして思
考にはまった瞬間に人間は精神的にも肉体的にも、社会的にも、すべてが不調和の状態に陥
ります。すなわちそれは「全体との断絶」ということがいえるでしょう。それは魚が水から離れて
陸に上がった瞬間に苦しむのと同じです。

ところで、「誰でも考えているのではないですか?」という疑問が起こるはずです。

多くの人が考えにはまっていて、そんな自分を正常と思い込んでいます。それが問題なので
す。多くの治療者もそうです。そのことの自覚がありません。

健全な人間は、たとえある瞬間には考えていても、次の瞬間には「考えが消えている状態」に
自然に戻っているのです。自分や他人の意識をよく注意して見るとこれが事実であることがわ
かるはずです。例えば、一仕事終えてほっとした瞬間に思考が消えているはずです。また、緊
張を抜くことが上図な人は、よく何もしないで、ぼーっとしていることがあるはずです。例えば、
趣味に熱中している時は思考が消えているはずです。このように健全な人間には日常生活の
中で、色々な形で無意識に思考が消えている状態があるわけです。しかしながら多くの人は、
それを特別に意識しているわけではなく、自然にそうなっているのです。



それはちょうど呼吸に似ています。人間は、息を吸ったあとには、自然に吐いています。同様
に、ある考えが浮かぶと次にはそれが消えているのが自然です。思考が一仕事終わったら休
息です。

それとは反対に、息を吸い続けてばかりいては窒息してしまいます。同様に、次から次へとの
べつ幕なしに考え続けていると(考えのぐるぐるまわりが止まらなくなってしまっている。思考に
隙間がない。)心が窒息してしまいます。寝ても覚めても思考の連続です。これがすべての精
神疾患の根本で起こっていることです。もちろん自分のことを正常と思い込んでいる治療者も
似たりよったりなのです。



ところで、人類社会においては、古来、色々な宗教が、心身の健康のために、この「思考が消
えている状態」になれるよう追及してきました。それが「無」とか「愛」とか言われる状態です。い
ろいろな宗教者や覚者がこの「思考が消えている状態」を追求し、再発見し、それについて
色々な表現をしていますが、すべては同じ心の状態をさしています

しかしながら、現代社会はまるで「思考が消えている状態=無」からできるだけ離れるようとし
ているようです。というのも、「無」になることの恐怖が現代社会の根底にあります。これが、現
代社会が心を病む根源的な理由だというわけです。すなわち、何もすることが無いことの恐
怖、仕事が無くなることの恐怖、お金が無くなることの恐怖、暇になることの恐怖、肩書きが無
くなることの恐怖、自分が無意味になることの恐怖、最後には、死んで無になることの恐怖で
す。

そして学校では、まるで「無」からできるだけ遠くに逃げ去るようにのべつまくなしに「考えろ、考
えろ、考えるのをやめるな!考えないと馬鹿になるぞ!」の連呼です。それはまるで、「思考が
消えている状態」状態を恐怖するかのようです。実際に、無になることの恐怖が学校教育さら
には社会全体の根底にあるのです。そして、一生懸命に頭が無にならないように思考で埋め
尽くそうとするのです。これこそが学校が全体として心を病む根源的な原因であり、それはまた
ひいてはすべての精神疾患の根源的原因であり、統合失調症の根源的な原因であり、それは
現代社会の根源的病理でもあるのです。そして、それはまた、あなた自身の問題でもあるので
はないでしょうか。

       

多くの治療者が思考(=イメージ)に働きかけます。これが間違いのもと。

そして、多くの治療が統合失調症を治せないのは、この思考の範囲内で患者に働きかけようと
するからです。色々な治療法をこの思考の中で編み出すわけです。例えば、精神分析がそうで
す。例えば、自分が幸せであるようなイメージをする訓練、自分が天国にいるようなイメージを
する訓練、自分が癒されるようなイメージをする訓練などもすべて思考をどうにかしようとする
ものです。心理療法、精神分析、癒し系、あるいはヒーリング、などほとんどすべての治療が思
考の世界の中で働きかけようとしているのです。すなわち、暴走している車のエンジンのスイッ
チを切ることを知らないで、ハンドルを右に左に切ろうとするようなものです。だから、これらの
治療でちっとも統合失調症が治癒できないのはこれが原因なのです。プラス思考がはやって
いますが、プラス思考で治った人間は皆無です。思考そのものを消すことが必要なのです。

4、あなたが思考にはまっている証拠

ところで、思考にはまっている人間の特徴は以下の通りです。それが自分にあてはまるか良く
注意してみることです。

1、常に一日中次のことばかり考えている。次は何をしよう、次は何をしよう。思考にはまると、
寝てもさめても次のことを考えています。それを当然のように思っています。すなわち意識が常
に次に向いていて、今この瞬間にないのです。これこそが「不調和波動」を出す原因です。目
の前のものに集中できてないのです。最近集中ができなくなった、という人は思考にはまってい
るのです。

   2、よくイライラする。肩が凝る。目が疲れる。体のあちこちが辛い。

     忙しく動き回って間は気づかないのですが、じっと黙って座っていると体のあちこちの
辛さに気づくはずです。これは思考にはまることで体に染み付いた「不調和波動」によるもので
す。

3、よく追いかけられるような夢を見る。朝起きたらぐったりしている。

  「不調和波動」は昼のうちには気づかないのですが、夜夢になって現われます。

   一晩中それに悩まされて朝起きたら気分が悪くてぐったりしています。

4、奥さんとよく言い争いのけんかばかりしている。妻や、子供が自分を避ける。人間関係に悩
まされている。思考にはまると「不調和波動」を出し家族にも蔓延しお互いに心が通じ合いませ
ん。

5、何かしら不安の気持ちがある。将来にも不安がある。そして、過去を悔いてばかりいる。思
考にはまって出す「不調和波動」が不安や後悔の元です。

6、目がきょろきょろと小刻みに動いています。そして、人と話をするときに相手を見るのでは
なく、目があっちのほうを向きます。

これは自分ではなかなか気づかないものです。例えば、奥さんに見てもらうと、そのとおりだと
指摘されるはずです。


第三章;精神疾患のまったく新しい診断方法

これまでの精神疾患の診断体系は例えば、教科書に書いてある統合失調症の診断基準にあ
る症状があっているかどうか、患者に出ている症状と合わせてみて、それが診断基準にあった
ら統合失調症として診断します。

       

しかしながら、だから、といってそれが本質を理解することになっていないので、治癒に結びつ
くものではありません。

例えば、骨折と診断したら、骨折という病名によってその症状の本質を理解したことになり、骨
折を治すことができます。しかし、統合失調症と診断したからといって、どこがどうおかしくてど
うすれば治るのかの本質が理解できないのです。缶詰のレッテルに書いてあることを理解した
からとって、中身の味を知ることはできないのと同じです。実際に中身の味をすることでしか、
それが美味しいかまずいのかの判断がつかないはずです。

同じ様に、現代精神医療では、心の中身の味をする方法を知らないから統合失調症と診断し
たからといって、どこがどうおかしくて何をどう治せばいいかということにつながらないから治せ
ないのです。なぜなら先にもお話したように「考えて」判断しているから、それはイメージ(=レッ
テルを張る)することしかできないのです。イメージはあくまでイメージであり、真実とは別もので
す。缶詰のレッテルから中身の味がおいしいのかそうでないかがわからないのと同じです。

さらに、何をもって治ったとするのかの判断の尺度もないので、延々と薬を投与し続けることに
なってしまうわけです。

そこで、ここでは精神疾患の診断方法について全く新しい方法を紹介します。それは、治療者
の「思考を消して見る診断方法」です。それは治療者の意識を思考から「無」にひっくり返すこと
で得られる、きわめて単純明快でしかも本質的な診断および治療法です。

1、心についてのこれまでの誤解が問題

新しい診断方法を身につけるには、今までの心についての誤解から抜け出て、心についての
事実を事実として認識する必要があります。

思考が作った常識では個人と個人の心は断絶していて、他人の心は想像(イメージ)することし
かできないとします。例えば、相手の財布の中身がどうなっているかは想像するしかありませ
ん。このように心も想像するしかないと思い込んでいます。これが思考にはまったほとんどの現
代人の傾向です。そして、これこそが、現代精神医学にも蔓延している根本的な誤解です。こ
れこそが心の真実を見ることができない原因であり、そして心の治療ができない原因なので
す。実は財布の中身を知るように心の中身も縦横無尽に知ることができます。

このことを詳しく説明します。

例えば、患者が苦しんでいます。現代に蔓延している常識では、その苦しみは自分のものでは
なく、相手のものであり、自分とは関係のないものである、とするでしょう。治療者も、自分とは
関係ないところの患者の苦しみを解消してあげようとします。

          

せいぜい、「患者は苦しんでいるのだろうなあ」なんて想像、イメージする程度です。その前提
で、患者の苦しみを取ってあげようとするのです。この状態ですでに患者と治療者の心は完全
に断絶しています。

もし、これが事実であるとすると、人間の心は結局のところ、一人一人に断絶されているから、
絶対孤独であり、決して心が通い合うことはありません。せいぜい心の壁の外側から、かわい
そう、あるいは気の毒に思う程度でしょう。これでは心の通い合い=愛、は決して存在しないの
です。だから、人間の心は決して癒されることはありません。実は、こんな人間関係についての
解釈は人間が思考にはまることで起こっているのです。これが現代精神医学の根底にもあ
るものです。そして、現代社会の根底にある誤解です。

※苦しみとは。

苦しみ、というのは、人間が自分で出している、あるいは周囲からもらって体に染み付い
ている苦しみの波動のようなものです。それをわたしは「不調和波動」と称しています。そ
れが心身の病気の元であり、不協和音や雑音のようなものです。反対に人間に幸せや
心身の健康をもたらす心の波動を「調和波動」といっています。和音のようなものです。
すなわち、苦しみとは心がのべつ「不調和波動」を出している状態といえます。

          

心についての事実とは、「心はすべてつながっている」というものです。

というのも、患者の苦しみ(=「不調和波動」)が自分の心に飛んできて、自分も苦しくなりま
す。これが打ち消しようのない厳然とした事実です。例えば、苦しんでいる患者の話を一生懸
命に聞いていると自分も何だか苦しくなってくるということがよくあるはずです。これは心が波動
のように自分の心につながってきている証拠です。心の苦しみを取り扱っている多くの治療者
の誰でもが、このことを経験しているでしょう。特に、治療者になってはじめのころはまだ純真
な心が残っていますから、まじめに、真剣に、患者に向き合おうとします。そうすると、患者の苦
しみをまともに受けてしまい、ついには治療者も苦しむことになります。例えば、うつ病患者の
話を真剣に聞いているとこちらも憂うつになってきます。それはうつ病の苦しみの波動(=不調
和波動)が共感した治療者の心にも飛んできて染み付いたのです。なぜなら治療者の心の中
にもまた、苦しみの芯が存在し〔この苦しみの芯をわたしは苦玉(くだま)と称しています。実は
その実体は「自我」です。;第9章参照〕、それに当たって共鳴、増幅してしまうのです。

年中、そんな患者と真剣に付き合っていたらどうでしょう。すべての患者の苦しみをもらってし
まい、しまいには、治療者のほうが苦しみで七転八倒してしまいます。

2;本物の治療者

実は、そのようにして自分に飛んできた苦しみを治療者自身の力で消すことができること
こそが治癒者が身につけなければいけない本当の力量なのです。すなわち、患者から苦しみ
をもらい、それを自分の力で消す能力を持つことが本物の治療者に必要とされる能力です。

しかしながら、飛んできた苦しみを消すことができないでいると、24時間、365日苦しみ続ける
ことになってしまいます。しまいには治療者が心を病み、日常の生活や仕事もできなくなりま
す。すなわち治療者自身が精神疾患を患ってしまうわけです。これは多くの治療者がたどる必
然の道です。真剣に患者に向き合っていると3、4年でこのような限界にきます。実は、この段
階が、治療者として、本物に生まれ変わる絶好の機会でもあるのです。[どのようにすれ
ば、自分の苦しみ(苦玉)を取り除き、本物の治療者になるかについては、のちに詳しく記載す
ることにします(第8章)]。

        

ところが、ほとんどの治療者は、その苦しみに負けてしまいます。というのも、そのうちに打算
が働くようになります(すなわち「自我」が働くわけです)。「もういやだ。患者の苦しみをもらうの
はよそう。患者に真剣に向き合ったからこうなってしまった。これからは患者の苦しみが自分に
飛んでこないように患者と距離をおいて、あまり深入りすることなく、適当な治療者になろう」と。
すなわち「自我」が自己保身に入ってしまうのです。この瞬間に治療者の能力はもう限界に来
てしまい、患者との心は断絶してしまっています。そうしてうわべだけの患者関係を一生続ける
ことになってしまうわけです。実はこの「自我」こそが、心の通い合い(=愛)を拒絶する芯なの
です。そして、実はそれこそが苦玉の正体です。すなわち思考にはまるということは「自我」に
はまるということです。それは苦玉をいっそう増大させることなのです。それがためにすべての
精神疾患患者は苦しんでいるのです。にもかかわらず、治療者も「自我」にはまってしまうので
す。こうなったら、もう彼には何の成長もなく、何の変化も喜びもありません。それどころか彼の
心中に持っている苦しみ(「不調和波動」=苦玉)にも何の解決ももたされません。すなわち、
それは自分の苦しみからの逃げでもあるのです。これがほとんどの治療者に起こっていること
です。さらにそこには薬物投与という逃げ道が準備されています。実は、これこそが決定的な
誤りであり、現代医学が精神疾患を治癒せしめ得ない根本的な原因はここにあるのです。

       

3、本当に治癒せしめるには患者の苦しみをもらうこと

本物の治療者になるには、この「自我」の自己中を超えないといけないのです。それには、患
者に真剣に向き合うことで患者の苦しみをもらうことから始めることです。それがスタートであ
り、ゴールです。患者の苦しみをもらい、苦しくなってもかまわない、と、覚悟をきめて。

実は、苦しみを克服することのできた歴史上の人物(釈迦やキリストなど)は人の苦しみをまと

もにもらうことで苦しみ、七転八倒し、その苦しみの中から「自我」を超えて、苦しみを消すこ

とのできる本当の心の力(それをわたしは「調和波動」=生気と称しています)に気づいたので

す。その力に気付くことこそが、精神疾患の根治であり、治療者が到達すべき地点なのです。


から、本物の治療者になるためには、七転八倒する覚悟で患者に向きあうことしかないので
す。

そうすることで、治療者の心に本物の力が身につき、それはまた、治療者自身がこれまでの生


で抱えていた心の苦しみの真の解決にもつながるわけです。

         

      

          

     


4、診断の原則も患者の苦しみをもらうことから始まる

さらに、患者の苦しみ(=「不調和波動」)をもらうことで患者の心の様子が手に取るようにわか
り、心の真相を理解することができます。これが診断の原則です。それはちょうどパソコンを修
理するのに似ています。パソコンが壊れてしまったら、外側からただ眺めて想像しているので
はだめで、パソコンの中に入ることによってしか、どこが故障しているか、わかりません。それ
しか修理の道はありません。患者も、ただ外側から眺めて「ああでもないこうでもない」と考察を
繰り返すだけでは、ちっとも治療ができないのと同じです。

      

「見ること」が肝要です。

患者の苦しみの真相を見るためには、患者の心の中に入ることです。そのためには、治療者
が、思考が消えた状態で患者に向き合うことです。それには、患者をひたすら真剣に「見る
こと」に尽きます。患者の苦しみが自分の心の感じられるまで、じっと見るのです。読者も
試してみたらいいと思いますが、どんなものでひたすら真剣に注意を集中させて見ると「我」を
忘れて思考が消える状態になるはずです。



「見る」と簡単に言いましたが、それが思考人間の現代人にはなかなか簡単にはできないもの
です。われわれが常識的に持っているところの「見る」感覚とは決定的に違うものだからです。
というのも、多くの人は考えながら見ています(「自我」から見ている)。それでは本当に見て
いることにはなっていません。



というのも、多くの人では、これまでの人生はずっと考え続けだったので、「思考が消えて見て
いる」という経験が全くといってありません。中にはそれがある人もいますが、それを意識して
いません(例えば、赤ちゃんの目を思い出してください。赤ちゃんの目は思考のない、自我のな
い目です)。現代社会や教育が思考することだけに重点を置いて、考えが消えている状態=無
の感覚を否定し一切無視しているからです。どこにいっても、のべつまくなしに、子供の時から
「考えなさい、考えなさい」の連呼です。それは現代人の生活習慣病のようなものです。

    

思考人間は「自分は目が開いるのだから、寝ていないのだから、見ているよ!」と言います。し
かし、思考はレッテルです。彼は見ているものすべてのものに思考のレッテルを貼って見てい
ます。ちょうど色眼鏡でこの世界を見ているようなものです。だから、この世界の本当の色を知
ることができないのです。同じように思考しながら患者を見ていたのでは、精神疾患の本態で
ある「不調和波動」を見ることができないし、またそれを治す力である「調和波動=生気」を見
ることもできません。だから、精神疾患の本質を見失い、根治ができないのです。

「見る」ことに集中すると、意識は自然に思考が消えた状態になります。

読者も試してみたらいいと思いますが、どんな物でもいいから目の前の物の一点を見ることに
集中すると思考が消えた状態(=無)になります。しかしながら、思考人間ではこれまでの癖に
より視点がぶれてしまい、なかなか一点を見ることができないものです(つい思考が出てしまう
わけです)。それを繰り返し行うことで「一点を見る」ことの感覚をつかむことです。それについ
ては第五章にて詳しく説明します。

「見る」ことを習得するのは、例えば水泳をおぼえることと似ています。水泳ができない人にとっ
ておぼえるのはとても大変なことですが、一旦おぼえてしまうと自由自在に泳ぐことができま
す。

「見る」ことで一瞬にして世界が変わります。

「見る」ことができるようになると、完全に今までの世界から別の世界に生まれ変わったような
意識の根源的な変化が起こります。目が覚めたように、「この世はこんなに美しかったのか!」
と何でもないあたりまえの日常の情景に感動します。それは、すべてのものに内在する「調和
波動=生気」を「見る」ことができているから感動するのです。そして、「生きているだけでうれし
い」という感覚になります。そして、これまでの自分が本当は見てなかったことに気付きます。そ
れこそがすべての精神疾患の治癒につながる癒しの力なのです。

「不調和波動」が患者から飛んでくる!

患者と対面します。よく注意して見ると、患者から「色々な感じ」がこちらの心に感じます。患者
が入室した時からすでに(実は、その前の、患者を意識した瞬間から)それが感じられます。不
安な感じとか、いやな感じとか、いらいらの感じとか、を感じます。それが「不調和波動」です。
それに注目することです。場合によっては治療者の胸が苦しくなることもあります。あるいは突
然動悸がしたり、圧迫感を感じたり色々です。

この時、よく注意して「見る」と、実は、相手の苦しみ=「不調和波動」が自分に飛んできて自分
に染み付き、そのため自分が苦しくなっているのだという事実に気付きます。この事実に気づ
けるかどうかが重要なポイントです。気づいた瞬間に、完全な視点の逆転が起こっていま
す。それは自分の中の何かの原因で苦しいのでなく、相手の苦しみの波動が自分に飛んでき
ているから苦しいのだ、という気付きです。それが診断および治療の始まりです。

その時に、患者の苦しみのすべてが手に取るようにわかります。ちょうど自分自身がテスター
の状態になっていて、自分が苦しくなる(患者の苦しみを自分が受けている)から、患者の苦し
みを分析することができるわけです。〔問題なのは、この時、治療者の中に苦しみ(不調和波
動=苦玉)を持っていると飛んできた苦しみが、果たして自分のものなのか、それとも患者のも
のなのか、区別がつかずに混乱してしまいます。これが多くの治療者に起こっていることです。
だから、患者に向かうときには自分の苦しみが完全に消えている状態、すなわち「調和波動=
無=生気」の状態で望む必要があるわけです〕。

そうすると、患者がどのように苦しいのか、それは怒りなのか、不安なのか、拒絶なのか、浅い
のか、深いのか、最近もらったものか、幼少時から持っているものか、などすべてが正確にわ
かります。ここで大切なことは思考(考察)に入らないことです。というのも、多くの人ではここで
すぐに思考がのこのこ出てきて、すぐに分析をし始めます。「何が原因で苦しいのだろう?お金
の問題なのか、人間関係なのか、夫婦の問題なのか、」などと。これこそが本質を逃がしてし
まう瞬間です(後に説明)。すなわち苦しみ=「不調和波動」に思考のレッテルをはってしまい、
そのレッテルと格闘してしまうわけです。その瞬間にもう「見る」ことからはずれて本質を逃して
しまいます。

このようにして「見る」と、患者に話を聞かなくても心の真相がわかります。むしろ多くの場合、
患者や家族の話には誇張、誤解、偽りなどが多くそれに惑わされているのが治療者の常で
す。「見る」ことによってそれらの表面的な言葉や表情に惑わされることなく、心の真実が的確
にわかります。

例えば、ある女性の患者は笑みを浮かべながら診察室に入ってきました。しかし、彼女から苦
しい「不調和波動」が飛んできて、治療者の胸が苦しくなります。それだけでなく恨みの感じが
感じられます。そこでこう指摘しました。「あなたは苦しいのを笑顔でごまかしています。誰か人
を恨んでいるようですね」。そう言うと、彼女ははっとして、「そうです。今までずっとそうしてきま
した。主人を恨んで生きてきました。でもそれを笑顔で隠してきたのですが、もうそれができなく
なり、苦しくなって来ました。」と打ち明けました。このように心の真実が瞬時にわかるわけで
す。患者は「何でそんなにぴったりにわかるの?まるで自分が丸裸にされて奥の奥まで見透か
されているみたい」と言います。これが心についての事実なのです。心はすべてつながってい
るからわかるのです。それができるためには、治療者は思考のレッテルをはずして患者をよく
見る能力を身につける必要があるわけです。

5、「不調和波動」が精神疾患の正体です。

このように患者を「よく見る」と、患者に染み付いている「苦しい感じ」を治療者の心や体に感じ
ます。これが「不調和波動」であり、すべての精神疾患の正体です。

       

それは患者にまとわりついているうっとうしい波動のようなものです。患者の周辺にただよって
いる不安感とか、いらいら感とか、怒りとか、そんな感じです。すべての精神疾患にはそれぞれ
特有の「不調和波動」があります。

例えば、うつ病の患者に真剣に向き合っていると、自分も憂うつになってきます。その憂うつな
感じをたどってみると患者の頭や胸や、背景にそこはかとない憂うつ感が漂っているのがわか
ります。それを良く見ると、排気ガスのようなうっとうしいものが頭の外や内に乗っかっているよ
うです。それがうつ病の正体です。それが「不調和波動」です。そして、その、うっとうしいゆうう
つの波動が自分に乗り移ってきたために自分も苦しくなったのです。それを消してしまうことが
治癒です。

     

苦しみの原因を考えることが問題なのです。

先にもお話ししたように、多くの治療者が相手の苦しみ(不調和波動)を感じたとき、それを思
考に変換してしまいます。何が原因で苦しいのか。借金のせいか、離婚のせいか、友人とのけ
んかのせいか、失業のせいか、などなどと表面的な原因を探そうとします。あるいは何という病
名をつけたほうがいいのか。すなわち、思考のレッテルを貼るわけです。その行為こそが問題
であり、そんな思考への転換をした瞬間に真実、すなわち「不調和波動」を見失なってしまいま
す。それどころかその思考そのものが「不調和波動」の発生源なのです。これが現代精神医学
のしていることであり、だから、ちっとも治せないのです。

       

患者が苦しいのは、苦しみの「不調和波動」が体にこびりついているから苦しいのであって、そ
の表面的な原因を探そうとしたり、病名をつけようとする行為が思考であり、そうすると本質を
見失い、解決にはつながりません。

例えば、洋服がくさいとしましょう。思考はこう分析します。どこで、どのような種類のにおいが、
どうして、なぜついたのか、などなど考えます。思考は永遠にくさいことの分析をし続けます。そ
れでもくさいにおいは消えません。実は、よく「見る」と、洋服にウンコが着いていたのです。大
切なことはウンコがついていることに気づき、それを洗い流してしまうことなのです。しかし、思
考にはまっていると洋服のウンコに気づくことが決してできません。なぜなら、思考こそがウン
コの源だからです。犯人を捜していた刑事が実は自分が犯人だったというのです。それでは決
して気づくことができないわけです。そうして解決のつかない思考の悪循環を一生続けていると
いうわけです。

例えば思考が、苦しみの原因を考えたあげく、けんかが原因だと結論を出したとしましょう。し
かし、彼の苦しみの本当の原因である「不調和波動」に気づかないと、たとえけんかが解決し
たとしてもまだ苦しいのです。そして次に思考はまた別の原因をさがします。今度は、お金がな
いから苦しいのだ、と。そこで、お金を得たとします。それでも苦しみは消えません。つぎにまた
思考は独身だから苦しいのだと言います。そして、結婚します。それでも苦しみは消えません。
そのようにして、ほとんどの人が、次から次へと表面的な原因を見つけそれを解決しようと努
力しています。それでも苦しみはいっこうに無くなりません。それどころか苦しみはどんどん増
大してくるのです。なぜなら思考にはまる癖はそれに気づかないと年々ひどくなるからです。最
後には苦しみがいっぱいになって表に噴き出してしまいます。これが多くの人が訪れる更年期
の問題です。結局、何の解決にならなかったはずです。これがほとんどの人の一生で起こって
いる事態です。

6、すべての精神疾患の診断治療が可能である

「見ることで思考を消す診断方法」はすべての精神疾患で可能であり、その根源的な原因であ
る「不調和波動」を見ることができます。

先にもお話ししたように、うつ病の患者さんは頭に憂うつでうっとうしい「不調和波動」が染み付
いているのがわかります。これを消すことがうつ病の治癒です。患者も頭に鉛のようなうっとう
しいものが乗っかっているといいます。このように、患者の訴えと治療者の診断は寸分の狂い
もなく合致するものです。なぜなら患者と全く同じ物を見ているからです。合致しなければ、もう
一度思考の先入観を捨ててよく患者を見ることです。

        

たとえは不安神経症の患者は胸に不安の「不調和波動」があることがわかります。

          

躁病の患者からは全身からおちつきのない「わさわさ」した「不調和波動」を感じることができま
す。

        

同様に統合失調症の患者さんには緊張感が全身から発せられ、緊張感の中心の芯が頭に刺
さっている感じが感じられるはずです。これが統合失調症にみられる「不調和波動」の状態で、
これを消すことが治癒です。



7、統合失調症の患者の心の中は

統合失調症においても心の中が手に取るようにわかります。統合失調症の患者においてよく
見られることは、話に脈絡がなく、あちらこちらに飛んでいます。それはちょうど、一見何にもな
い静かな水面にぷくぷくと泡がでてくるように、とりとめなくどこからか思考が出てきていること
がわかります。水面は静かで平坦のように見えますが、池の底では、メタンガスの化学反応が
さかんに起こっていて、その反応がぶくぶくと泡になって水面に現われます。これがとりとめの
ない話です。しかし、これが統合失調症の原因なのではありません。全く同じことがわれわれ
正常と自覚している人間でも起こっています。

そして、われわれ「健常人」が彼らと違って一見正常に見えるのは、心の中ではこんなとりとめ
のない思考が沸きあがっているのに、表面的に正常を装うことができているだけなのです。己
の心の深層をのぞいて見ると、実に何の脈絡もない、発想や、感情が、湧き出て、渦巻いてい
るのが、よくわかるはずです。統合失調症の人達はそれを素直に口に出しているだけなので
す。

       

すなわち、われわれの心の深層も統合失調症の患者と全く同じ様に脈絡のないものです。突
然、怒りが湧いてきたり、突然悲しくなってきたり、突然幸せなき持ちがおこってきたり、です。

なぜ、そうかというと。われわれの周囲には電波のように心の波動が飛び交っていて、そ
れが自分の心に飛び込んでくるからです。ちょうどラジオ受信機に雑音が入ってきて、いろ
いろな音が聞こえるのと同じです。たとえば、知らないうちに、電車に座っている間に隣りの人
の怒りをもらったり、会社全体のあせりが自分にうつってきてあせったり、家族の憂うつが自分
にうつってきて憂うつになります。これはすべての人が経験している事実であるはずです。この
ように、われわれの心は決して一人だけで成り立っているのではなくて、まわりのすべてと心が
電波ようにつながってできています。それはのちほどくわしく説明します。

このように、正常と自認している人間でも、何の脈絡もない発想や感情が表に現われるのがあ
たりまえで、多くの場合、それを心の深層に押し込んでしまうから、自分で自覚できないことが
多いのです。

それが表に現われることがあります。夢です。夢の中では自分の常識とかけ離れたことがよく
起こるはずです。そして、正常を装える人間では、そのような夢と現実を区別することができて
いるのです。朝起きて「変な夢を見たけど、あれは夢だった。」と、現実に戻るわけです。ところ
が、夢もまた心に起こっている事実なのです。それを無理矢理に無視して心の奥にしまいこん
で、正常を装えるのが正常と言われる人達です。

例えば、人を殴る夢を見たとしましょう。それはあなたの意識の深層で人を殴りたい意識があ
るのです。朝起きて現実を前にすると、そんな脈絡のない発想や感情を心の奥底にしまい込
むことで、おのれの正常を装えるわけです。現代社会では、みんながそんなふうに正常を装っ
ているだけなのです。これが「健常人」と言われる人達です。しかしながら、そんな「健常人」で
も心の奥底にしまいこんだものが表に出ることがあります。それは、例えば酔っ払った時に今
までの性格ががらりと変わって、攻撃的になったり、あるいは泣き上戸になったりする人がいま
すが、それはこれまで、心の底にひたかくしにしていた感情が酒で抑制を失ったときに、表に
噴出するわけです。

同じ様に、もはや正常の装いをできなくなったのが統合失調症です。だから、「正気と狂気は紙
一重」ということができます。いや、紙一重ほどの差もありません。だから、統合失調症の患者
と真剣に向き合うことは自分自身の心の真実を知ることでもあるわけです。

8、統合失調症の本態は「脳の肩こり」です

ところで、統合失調症の本態は、この脈絡のない発想や感情ではありません。統合失調症の
特徴として、よく注意して見ると、統合失調症の患者には全体的に常に緊張しているのを感じ
るはずです。それが統合失調症における「不調和波動」です。その源を注意して見ると、ぴりっ
とした芯のある緊張感が頭に刺さっていることを感じることができます。

     

これが統合失調症の本態です。この刺さった緊張の波動(不調和波動)の芯が統合失調症
の色々な症状、すなわち幻聴や幻覚を発生させます。本質的には肩こりと同じものです。す
なわち統合失調症とは脳の肩こりといえます。肩こりが肩にあるのでは精神には大きな影
響は来たさないのですが(その実態は緊張の芯ですので色々と苦しい症状はあります)、肩こ
りが頭に刺さることで統合失調症を発生するというわけです。その証拠に、この刺さりを解消す
ると統合失調症の症状(幻聴や幻視)が瞬時に消すことができます。

ところで、どんな肩こりでも意識の詰まり(すなわち緊張の芯)によってできます。では、意識が
詰まっているというのはどういうことか次章で説明することにしましょう。


第四章;意識についての事実

1;意識には「透明で無限に広がった意識」と「詰まった意識」の二つがある。

思考にはまると意識がつまり、「不調和波動」を出します。思考が消えて「無」になると意識

は透明で無限に広がった状態になり瞬時に「不調和波動」が消えて、心身すべての調和のもと
である「調和波動」を出します。意識をこれに誘導することがすべての精神疾患の治癒です。
そのように、意識は「透明で無限に広がった意識」と「ごちゃごちゃで詰まっている意識」の状態
の二つがあります。

これを色々な図によって説明したいと思います。

    

上図左側においては、透明で何のわだかまりもなく、すっきりとした心が「無限に広がった感じ
の意識」です。これを「無限の心」」と称しています。あるいは「無」と称されている心の状態で
す。例えば赤ちゃんの心です。例えば空の感じです。木や草もそんな感じです。意識がこの状
態にあることで人間は無条件で安らかになり、心が暖かく、喜びに満ちるものです。これが思
考の消えた状態=無になることでもたらされる「調和波動=生気」です。人間以外のすべての
もの(森羅万象)が出している心の波動です。赤ちゃんの笑顔や動植物や自然に心が癒される
のはそこにあるわけです。

それとは逆の、「詰まった心」があります。上の右図です。常に心がごちゃごちゃしていて、緊張
の状態です。なにか、心が逼迫しているような、追われているような、落ち着かなさ、イライラ、
なんでもないのに不安、辛い、恐怖がある。これが「不調和波動」です。その中心には常に緊
張の芯があります。これを私は苦玉(くだま)と称しています。その実態は肩こりと同じです。
「不調和波動」は思考にはまったとたんに発生します。だから「不調和波動」はおそらく人間だ
けが出すものでしょう。

例えば、下図においては、左図は何かのんびりとして楽な感じです。右図は何か逼迫した感じ
です。

     

そして上図右の「詰まった心」の人をよく注意して見ると、体の全体に緊張感(不調和波動)を
感じるはずです。その緊張感をよく見ると例えば肩に中心があることがわかります(肩こり)。こ
れが、すべての精神疾患における基本的な状態です。もちろん、緊張感の性情が、怒りであっ
たり、不安であったり、恐怖であったり、後悔であったり、色々な種類があります。緊張の芯も
肩だけでなく色々な体の部位にあります。これが種々の精神疾患に分けられるものです。

          

例えば、緊張の芯が胸にある人が不安神経症、顎にある人は顎関節症、心臓にある人は心
臓神経症、脳にある人が統合失調症という具合になるわけです。すなわち体全体に種々の緊
張(不調和波動)があり、その芯(肩こり=苦玉)があるというのがすべての精神疾患の本態な
のです。



ところで、最近の現代人の傾向としてはこのように心中の緊張をしかめっ面で表情に出す人は
むしろ少ないようです。「苦しくても笑っている」ことが習慣になっている人が多くいます。特に現
代社会は「笑いましょう。笑いましょう。」と笑うことが流行になり、笑うことで苦しみが解消され
ると思い込んでいる人達が大多数のようです。笑いは心の底からの笑いでなければ苦しみを
ごまかすものでしかありません。このことは後に次第に明らかになってくるはずです。

             

このように体中に緊張があるのに、顔は笑顔を装っている人がほとんどです。こんな状態が長
い期間続くことでとうとう発症しまうことがほとんどの精神疾患です。だからこそ、このような人
の心の真実を理解するのに、表情に惑わされることなく、心の真相を診断できる眼力を持つ必
要があるわけです。それが「思考を消して見る診断法」で可能です。(実は、統合失調症患者
の親は常にこのような状態にあります。そのことに親自身が気づいていません。だから、知ら
ないうちに「不調和波動」を子供に移してしまっているのです。) 

※「正常」人と統合失調症の違い

「不調和波動」を持ちながら正常と自認している人(例えば統合失調症患者の親)と統合
失調症との違いはこうです。同じ「不調和波動」を出し、その芯があるというのも患者と同
じですが、統合失調症ではその芯が頭に当たっているのに、正常と自認している人はそ
れが例えば肩にあたって肩こりとして感じているから自分のことを正常と思い込んでいる
だけです。例えば、統合失調症患者の親はそれをただの肩こりと思っているのですが、
それが子供に移って統合失調症を発生させているのです(示したように、緊張の芯は肩
だけではなく、体のいろいろな場所にあります)。

    

持続する緊張が問題です

下図において左図は、手の力が抜けている感じです。右図は手に力が入っている感じです。

   

「不調和波動」を持っている人は常に上図右のような緊張を常に出し続けていることです。24時
間、365日です。それはのべつ思考にはまっていることが原因です。

一方、健常な人間ももちろん力が入ることもありますが、次の瞬間には力が抜けているという
のが健常な人間です。考えているときがあれば、考えが消えているときもあるわけです。例え
ば、会社では緊張して仕事をしているのですが、家に帰ったら何にもしないでただぼーとしてい
ることで(思考が消えている)のんびり力が抜けるという具合です。あるいは、趣味に没頭する
ことで(目の前のものを集中して見ているから思考が消えている)、思考にはまっていることか
ら抜け出て「不調和波動」を解消しているわけです。

一方、思考にはまったままでいると「不調和波動」が体に染み付いてそれから抜け出ることが
できなく、どこにいっても、いつ何時でも、のべつ幕なしに考え続け、緊張し続けているわけで
す。だから心を病むことになるわけです。

下図左は、リラックスしている状態です。頭の中が空っぽで、思考が消えています。右図は思
考のぐるぐるまわりにはまっていて、それが緊張の波動をぴりぴりと派生しています。これが統
合失調症の本態です。

     

「意識が詰まった状態」が心の病の原因です。

思考にはまると、たとえそれがどんな立派な思考でも意識は必ず詰まります。心の苦しみ=
「不調和波動」は意識のつまりをなくすこと、すなわち、「思考にはまっている意識の状態」から
「思考が消えている状態=無」に抜け出させることで意識のつまりが解消され治癒が起こるわ
けです。

無限の心=調和波動=生気とは?

「無限の心=調和波動=生気」は心身に究極の癒しをもたらす力です。それなくしては本書の
すべてが無意味になります。それなくしては統合失調症をはじめとしてすべての精神疾患の治
癒がもたらされません。現代医療にはこの「無限の心=調和波動=生気」の概念が存在しな
いから、心を治癒せしめ得ないのです。そして、それは思考にはまった人間では絶対に得るこ
とができないものです。思考では決して捕らえることができないものです。それはちょうどディー
ゼルエンジンと同じです。ディーゼルエンジンではそれを稼動させながら排気ガスを出さないよ
うにすることはできません。排気ガスを無くすにはエンジンを切るしかないのです。さらに、それ
は空気を捕らえようとして空気を手づかみするようなものです。手でつかもうとするほど空気は
手のひらから漏れてしまいます。思考ができることは、思考が消えないといけないことを自覚す
ることです。ディーゼルエンジンから排気ガスを出さなくするにはエンジンを切ることしかないの
です。

しかしながら、思考は手を変え、品を変え、しつこく存続しようとします。これが思考を消すのに
とても難渋することです。たとえば、テレビがうるさくていやだとしましょう。それを解消するには
テレビのスイッチを消すことです。しかし、テレビ会社のすることは次にはテレビのスイッチを消
すことについて議論をする番組を作り放送するわけです。テレビ会社にはスイッチを切ることは
自滅することなので決してスイッチを消させようとしないのです。だから、ちっともテレビのうるさ
い問題は解消しないのです。そんなふうに思考も、思考が消えることこそが「無」であるのに、
思考は「無」についていろいろと考えるわけです。テレビ会社にとってテレビを消すことがあり得
ないように、思考人間にとって思考が消えることは大変に難渋することなのです。それは生活
習慣病のようなものです。だから、統合失調症を治すのにも大変に難渋するのです。 

ところで、多くの読者も、この項の内容が全く理解できずに、逆に、きわめて違和感や不快感
を覚えるかもしれません。それは読者が思考で理解しようとしているからです。その思考が消
えた状態でこそ「無限の心=調和波動=生気」というものがはじめて体得できるのに、思考の
部分で理解しようとしているのです。それは例えば、言葉で説明できないものを言葉で説明しよ
うとするものです。

思考が消え「無」になることで苦しみが一瞬にして消える。

「無限の心=調和波動=生気」は思考が消えて「無」になることでもたらされるものです。それ
は、古来人類が追求し再発見し続けてきた心の状態です。すなわち、すべての苦しみが一瞬
にして消えてしまう心の状態です。それだけでなく人間が本源的に生き生きとなれる状態です。
すべての生きとし生けるものに内在する究極の力といってもいいでしょう。生きているだけでう
れしいと感じられる状態です。赤ちゃんが生まれついて生き生きしているのはそこにあるので
す。動植物が生き生きしているのもここにあるわけです。

治療者の心がこの状態を身に付け、患者を前にしてこの状態にあることで、患者が治療者の
そんな心の状態に共感することで、患者の苦しみ=詰まった心=「不調和波動」を「無限の心
=調和波動=生気」に誘導することで本質的な治癒が起こるわけです。だから、治療者が「無
限の心=調和波動=生気」を身に付けることで、それを患者に共感してもらうことが治療の根
幹になるのです。

そして、それはイメージでもたらされることは決してありません。イメージも思考ですから。そん
なイメージや思考が消えたときにだけ訪れる意識の状態です。これは、心の光、あるいは、永
遠なものと言えるでしょう。それは、空気、植物、石、大地、動物、空、宇宙のすべてに浸透し
ている心の力ともいえるものでしょう。

思考人間の「無」は虚しい

ところで、思考が消えることでもたらされる「無」は、思考人間がイメージする「無」とは全く違う
ものです。それは天国と地獄の差です。

というのも、思考人間の想像する「無」は虚しい何もない無意味な空っぽです。だから現代人は
「無」から逃げ去り、できるだけ「無」から遠ざかろうとするわけです。そこに心を病む根源的な
理由があるわけです。

真実の「無」はそれとは全く反対のものです。無限の豊穣です。喜びに満ちた、無条件の充実
感、すべてが満たされるもの、とでも表現されるものです。そこには、無上の喜びが存在しま
す。すべてが調和しうまくいく根源の力です。無条件の喜びです。精神を癒す力はこの「無条件
の喜び(=法悦)」に気づくことでもたらされるものです。このとき、心の底からの笑いがもたらさ
れます。

喜びには「快楽」と「法悦」の二種類あります。

ところで、喜びに二つの種類があります。一つは快楽です。もう一つは法悦と言われるもので
す。

快楽とは自我が持ち上げられて喜ぶものです。美味しい物を食べて喜ぶ、出世することで喜
ぶ、酒を飲んで喜ぶ、ギャンブルをして喜ぶ、人をいじめて喜ぶ、人に褒められて喜ぶ、娯楽
をして喜ぶ、現代社会のすべてがこの快楽を追及しています。そして、多くの人が快楽を追及
することで苦しみを解消できると勘違いしています。しかしながら、快楽を追及することは、そこ
には自我のいっそうの増長があります。自我の追及は思考の世界で行われます。快楽を追及
することは自我の増長であり、そのことが全体の心(これが「無限の心=調和波動=生気」で
す)からの断絶です。すなわち、自我の増長によって孤立、孤独が深まります。だから、自我を
追いかけた瞬間に不安や恐怖が巻き起こります。それは人間の心の本来のあるべき姿から
の逸脱になるのです。どんな理由であろうと魚が水から出た瞬間に苦しむように、自我の追
求、すなわち快楽を追求した瞬間に苦しみが起こります。すなわち、紙には表があれば裏があ
るように、快楽の裏側には必ず苦しみが存在するということです。だから、快楽だけを受け入
れて苦しみは受け入れないということは決してできないのです。

          

ギャンブル依存症、アルコール依存症などの根源的な原因はここにあります。このような病の
原因は、心の苦しみ(不調和波動=苦玉)をギャンブルや酒などの快楽で一時的にまぎらわそ
うとしていることです。しかし快楽を追求することでさらに孤独、孤立、苦しみの増大に苛まれま
す。すると余計に苦しくなって一層ギャンブルやアルコールに走ります。悪循環です。これは何
も彼らだけの問題ではありません。快楽を追及することが幸せと勘違いしてしまっている現代
社会の人間すべての問題であり、だから、われわれ一人一人の問題でもあるのです。

法悦とは?

快楽ではないまったく別次元の喜びがあります。それが「法悦」といわれるものです。それが
「愛=無限の心=調和波動=生気」です。無条件の喜びです。それは思考が消えて「無」にな
ったときだけ訪れます。すなわち「自我」が消えたときに訪れます。それが愛です。そして、それ
は、意識が無限の広がりの状態になったものです(無限の心)。その時の意識は自分とか他人
という境界が消えた状態です(愛=自我の消失です)。それは、すべてのものに内在している
心(全体の心)と一つになった心の状態です。それが愛です。それは、自分のものでもなく、他
人のものでもなく、それを超えた共通の心です。それは個人を超えているので、個人の死によ
っても失われることのないものに気づいている心です。

ところで、死の恐怖は個人が消滅する恐怖です。それは自我が消えてしまう恐怖です。しかし
ながら、その自我が消えることが「無」です。精神の苦しみの根源は究極的には死の恐怖に行
き着きます。だから、心を「無」に誘導することによって自我が消えると死の恐怖が消えます。
そして、自我を超えたものが「愛=共感=無限の心=調和波動=生気」であり、それに気づく
と死の恐怖が消え、精神の苦しみも根源的に開放されるわけです。これが「無」であり、法悦で
あり、苦しみからの解放です。

ここで何度も言いますが、そのように考えなさいということではありません。思考が消えることで
思考の外側に広がっている無限の世界に気づくことなのです。

「愛=共感=無限の心=調和波動=生気」はいつも新鮮な喜びです。

「愛=共感=無限の心=調和波動=生気」の状態は常に新鮮です。いつ見ても、常に新しい
喜びがそこにあります。いつも新鮮な光が訪れます。光は心を込めて見ている人には誰にでも
訪れます。しかし、思考はレッテル(色眼鏡)を、見ている物に貼ってしまいます。思考しながら
見るということは心がこもっていないのです。たとえば、これは昔見たものだと。これ何だ。これ
は神だ、などとレッテルを張るわけです。そのような思考のレッテルをはった瞬間に「見ること」
を失い、調和波動=生気を失っています。

思考は常に、すでに知っているもの、本に書いてあるもの、知識として仕入れたもの、過去に
経験したもの、勉強したもの、で成り立っています。だから、思考や知識では決してこの「無限
の心=調和波動=法悦=生気」に出会うことはありません。思考人間が生気を失うのはこれ
が原因です。

宗教ではなく新しい科学です。

それは宗教ではありません。宗教の本来の姿は、この「愛=共感=無限の心=調和波動=生
気」に気づいた人がそれを、人々に伝え教えていたのが始まりだったのでしょうが、後続の人
たちがそれを教義にしてしまい、教団を作り、システムにしてしまい(すなわち思考の世界に閉
じ込めてしまい)、その実体を失ったのでしょう。そしてそれは信じることで得られるものではあ
りません。だから、宗教ではありません。それは新しい科学です。本当に思考を越えたものが
そのあるのかどうか自分自身で「見る」ことによって確めるしかないわけです。だから、科学な
のです。そして、それは現代科学の限界を超える科学と言えるものでしょう。

「不調和波動」と戦うのではありません。

心の苦しみ=詰まった心=「不調和波動」はそれと戦うことでは決して解消されることはありま
せん。というのも、そのようして戦うのは「自我」だからです。自我=思考です。その自我=思考
そのものが苦しみ=「不調和波動」の発生源だからです。だから苦しみと戦うことでは、決して
解消されないのです。

それは室内に充満した排気ガスと手で払おうとして戦うようなものです。そのように排気ガスと
戦っても排気ガスを排除することは決してできません。排気ガスを排除するには窓を開けるこ
とです。窓を開けると自然にきれいな空気が室内に浸透していって、排気ガスと入れ替わりま
す。窓を開けるとは、心が「見る」ことで思考の世界から「無」に抜け出ることです。そうすると
「調和波動」がどこからか心の中に滲み染み渡って来て「不調和波動」を消してくれるわけで
す。

それにはただ「見る」ことです。われわれは窓を開ける(すなわち「見る」ことで思考を消す)こと
しかできません。窓を開けて「調和波動」よ。おいで、おいで。「不調和波動」よ、あっち行け!」
と手招きするのも自我です。それではまた窓が閉まってしまいます。そうではなく「見る、見る」
で、「すべてを任せる、任せる」です。それが「無」の状態です。「見る、見る」、によって自然に
「調和波動」が心や体に染み入っていくのをただ見ているわけです。あるいはそれにただ体を
任せるわけです。

イメージでもダメです。

心は「愛=共感=無限の心=調和波動=生気」を作ることは決してできません。これはとても
大切なことです。しかし、自我はそれを作ろうとします。気持ちのいい光をイメージすることで自
分の心の中に作り、それで楽になろうとするのです。しかしながら、イメージも思考=自我であ
り、それではいっそう苦しみが募るだけなのです。イメージは実物とは違います。イメージは写
真です。写真には花のこうばしい香りがありません。花の無限に移ろう美しさがわかりません。
多くの人が苦しみから抜け出すことができないのはこれが原因です。その思考=自我=イメー
ジが消えることが必要なのです。すなわち「見る、見る」に集中することで思考=イメージが消
えた状態にするだけです。自然に気持ちのいい風が窓から入りこんできます。

     


2;人間の心は電波のようである

心が電波のようにつながっているということの事実を事実として気づくと心の真実が理解
でき、そして治療者と患者の間で、心が電波のようにやり取りができるから、相手の「不
調和波動」に気づくことができ(診断)、治療者の持っている「調和波動」に置き換えるこ
とができる(治療)わけです。

       

人間の心は電波のようなものです。心はすべてがそうです。どんな心でもすべて電波のように
伝わります。心というものは本質的にそんなものなのです。そして電波を出す人と受ける人が
いるように、人間の心もお互いに電波のように出し合ったり、受け合ったりしています。そのよ
うに人間の心はすべてつながっています。このように人間の心が電波のように影響しあってい
るという事実に気づくことができないから現代精神医学は統合失調症の本質を理解できない
し、治すことができないわけです。

       

歌謡曲に「男と女の間には深くて暗い川がある」というフレーズがあります。これは人間の心と
心が個々別々に分断されていることを示しているフレーズです。心が上図のようにすべて一人
一人個々別々に分離分断されているといいます。これが、現代社会が病んでいる根源的原因
であり、思考にはまった現代世界にひろまっている誤解からくる心の根源的な問題です。そし
て、これが精神医学の現場にも染み付いている根本的な問題なのです。だから、このような心
についての解釈から抜け出す必要があるわけです。

そのためには、「心がすべてつながっているという事実に気づくこと」から治療者としてのス
タートがはじまります。そう考えなさいと言っているのではありません。そんな理想像を提供して
いるのでもありません。良きにつけ、悪しきにつけ、事実として心はすべてつながっているとい
うのです。それを、あなた自身の目で、実際にそれが事実であるかどうか確かめることです。
「確かに心はすべてつながっている」とあなたが心の事実に気づいた時、あなたの心は治療者
としてのスタートに立っているのです。それを確かめるには、その意味を考えるのではなく、そ
んな主張を受け入れるのでもなく、あなたの心や、まわりの人や物をよく注意して「見る」こと
で、ここに書いてあることの事実を事実として確認することです。

        

それでは、まわりをよく注意して「見る」ことにしましょう。

人間だけではありません。すべてのものが電波のようなものを出して、人間の心に影響してい
ます。まず人間が苦しくなるのは周囲の苦しみが自分に飛んできて自分の心に滲みついてしま
うからです。例えば会社に勤めて苦しくなるのは会社や同僚達の人間関係のごちゃごちゃの苦
しみが自分に飛んでくるからです。それに対して、森に行くとすっきりするのは、森の波動(調
和波動=生気)がそんな人間界のごちゃごちゃ(詰まった意識=不調和波動)でいっぱいの人
間の心に置き換えられるからです。人々がレジャーに行くのも日々の人間関係でごちゃごちゃ
した不調和波動(=詰まった意識)にまみれてしまった心をすっきりした自然に向き合うことで
「調和波動=生気」をもらって気持ちを刷新するために行くわけです。

最近の学校が落ち着かなくなっているのも、学校全体が思考にはまって落ち着かない波動(詰
まった意識=不調和波動)を出し、それが学校中に蔓延していて、それが個人に影響している
のです。その「不調和波動」を感じて学校に行けなくなった子供が不登校です。

例えば、人ごみに行くと気分が悪くなるのは人ごみに充満している「不調和波動」を感じている
からです。

そのようにしてすべての心と心が波動のような関係し合いで人間の心はでき上がっています。
すなわち、心はけっして一人単独ではできていないのです。それは世界のどこにいっても、必
ずそこには空気があるように、波動のように心が影響しあっているのです。

もう少し心の波動としての性状を説明しましょう。

例えば、あなたが今すわっています。あなたの心には、隣人の話声がきこえます。それが気に
なっています。それがあなたの心に影響しています。そしてそこにいる家の雰囲気があなたの
心に影響しています。雰囲気はそこに住んでいる人たちから発せられています。窓から見える
景色があなたの心に影響しています。今日の天気があなたの心に影響しています。すっきりと
晴れていればさわやかになり、曇り続きであれば憂うつになります。あなたの職場の雰囲気が
あなたの心に影響しています。最近売り上げがよくないと社長が心配しているのがあなたの心
に影響して、あなたが憂うつになります。家族の心は特に強く影響します。あなたの子供の心
が影響し、あなたの奥さんの心が影響しています。そして親の心は最大級にあなたの心に
影響しています。友人の心が影響しています。東京に住んでいれば、東京全体の心があなた
に影響しています。日本全体の心が影響しています。そして、地球全体の心が、さらに地球の
朝や昼の状態があなたに影響しています。このようにして、あなたを取り囲むこの世のすべて
のもの(森羅万象)の心が影響してあなたの心ができているのです。

これはいくら強調しすぎてもしきれないほど重要な事実です。

このような、心についての基本的事実の「気づき」から統合失調症の本質が理解できるように
なり、さらには治癒せしめることができるからです。

心は電波のようにキャッチしています。

心が波動のようにすべてつながっていることの事実に気づくと、電波が受信機によってキャッチ
できるように、人間の心もキャッチすることができるわけです。だから、相手の「不調和波動」に
気付き、それを「調和波動」に入れ替えることで治癒が果たせるのです。

逆に、人間の苦しみはそれがどんな苦しみでも「不調和波動=苦しみ」をキャッチしてしまって
いるから苦しくなるのです。だから、苦しんでいる人は、実は、自分一人の原因で苦しんでいる
のではなく、まわりが苦しみの「不調和波動」に充満している場所にいるから、それが自分に伝
染して、苦しんでいるというのが事実なのです。

最近うつ病が問題になっていますが、彼は彼自身だけの原因でうつ病になっているのではなく
(もちろん思考にはまって「不調和波動」を受けてしまう心になっているのがもっと根本的な原
因なのですが)、会社の憂うつ、家族の憂うつ、親の憂うつ、社会全体の憂うつ、などの「不調
和波動」を受けてうつ病になっているわけです。だから、問題を解消するには彼が思考にはま
った状態から抜け出せることと、彼の生きている環境の「不調和波動」に気づく必要があるわ
けです。

特に、このような「不調和波動」の主な環境になっているのが職場と家族です。そこは集団とし
て「不調和波動」に満ちているのです。すなわちあなたが苦しいということは、家族が苦しいこと
であり、友人が苦しいことであり、学校が、あるいは職場が苦しいことであるのです。それを波
動としてキャッチしてしまっているからあなたは苦しいのです。ところで、あなたの周囲の人間も
同じ様に苦しんでいるのですが、あなたよりはまだ苦しくない顔をしていられるだけなのです。

3;「調和波動」や「不調和波動」と人間の心

「不調和波動」が統合失調症をはじめとしてすべての精神疾患の原因です。「不調和波動」を
「調和波動」に置き換えることが精神疾患の根治です。

極めて単純で重要な事実はこうです。

思考にはまると意識がつまり、そのつまった意識が「不調和波動」を出します。そして、思考に
はまっていることから抜け出る(=無になる)と意識のつまりが解けて「調和波動」を出す、とい
うことです。それが治癒です。統合失調症とは思考のぐるぐるまわりが止まらなくて(思考には
まっている)意識が詰まり続け「不調和波動」を出し続けて、それが自家中毒のように自分の頭
にあたっているというのが実態です。

     

「調和波動」とは生命がはつらつとする心の状態です。

すなわち、心が無条件の幸せ、安心、さわやか、気持ちいい、の状態にあることです。「調和波
動」とは例えば和音のようなものです。それを生気といいます。すべてのものが生き生きとする
波動です。動物や植物が生き生きとしているのは動植物にはそんな生気があるからです。す
べてが調和して、命がはつらつとした状態です。

そして、人間以外のものはすべて「調和波動=生気」を出しているようです。空、海、大地、動
物、植物などこの世界に存在する人間以外のすべてのもの(それを森羅万象と表現していま
す)です。例えば、海に行ったり山に行ったりするとすっきりするはずです。それは海や山の
「調和波動=生気」にあなたの心が共鳴してすっきりするのです。だから、人間が「調和波動=
生気」に満ちるには、森羅万象を「見る」ことでそれらの「調和波動」と心が共感することです。
すなわち、「調和波動=生気」とは森羅万象の心と人間の心が波動のように共鳴して調和状態
になっていることです(これを「心の全体化」と称しています)。それが、生命がはつらつとして
心も体も健全である心の根源的な状態です。

    

「不調和波動」は雑音のようなもの

一方、「不調和波動」とはちょうど不協和音や雑音のようなものです。例えばラジオが、ピーピ
ーガーガーと鳴っているようなものです。不協和音や雑音もたまに聞く分には問題はないのか
もしれません。しかしながら、一日中、24時間、365日不協和音や雑音ばかりを聞いていると
しまいには心や体がおかしくなるはずです。

     

不協和音は体や心にとって有害であり、同じように「不調和波動」こそがすべての心や体の病
気の原因です。肉体の病気も根源的にはこの「不調和波動」のせいです(統合失調症の患者
は色々な肉体の病気をし、多くは健常人に比べて短命になるのはこれが原因です)。そして
「不調和波動」は心が思考にはまった瞬間に発生されます。そして、それは「心の全体化=森
羅万象との心のつながり」を失った瞬間でもあるわけです。

それは誰にでもあること

「不調和波動」の性情は怒り、あせり、不安、恐怖、いかり、恐怖、いらいら、などと表現される
ものです。

しかし、だれでもそのような感情は必ずあるはずです。ところが、健常な人では、そのうち思考
のぐるぐるまわりが収まるにつれそんな感情から抜け出ることができます。一方、心を病む人
では思考のぐるぐるまわりが24時間、365日続いていてそれから抜け出せなくなったことが原
因です。例えば、いやな人のことを延々と考え続けています。

さらに悪いことには、それは思考にはまっている人だけの問題では済みません。というのも、
「不調和波動」が電波のように周りの人に飛んでいくからです。思考にはまって24時間、365
日「不調和波動」を出し続けている人間のそばに一緒に生活し続けているとその飛んでくる「不
調和波動」の影響でこちらのほうの心も「不調和波動」に染まってしまい、とうとう思考にはまっ
てしまいます。例えば、いらいらしている人のそばにいると自分もいらいらしてきます。これで
す。そして移された人も思考にはまってまた「不調和波動」の発生源や伝播役になってしまいま
す。このように「不調和波動」の悪循環がどんどんひろがっていくわけです。これが家族や学校
あるいは職場に起こっている問題なのです。



このような家族や職場から逃げ出すことができれば健全を保つことができますが、逃げ出すこ
とができないことがしばしばあります。これが問題です。例えば、いやな会社に勤め続けなけれ
ばいけない、などです。実は会社勤務で問題になっている「うつ病」はこれが原因です。そして、
そんなにいやな会社ならとっくに辞めてしまうような自分の感覚に素直になれる人間は「うつ
病」にはかからないものです。しかしながら多くの人間では、生活のために仕方がないといっ
て、そのような「不調和波動」の充満した苦しい会社で我慢しながら仕事をし続けているからう
つ病になるわけです。そしてさらに、たとえ「不調和波動」に満ちている職場でも、家族が「調和
波動」に満ちていれば、心を病むことはありません。会社の仕事は苦しいけど、家では幸せな
家族が待っていれば問題はないのです。しかしながら、すべての精神疾患は、職場も家族も
「不調和波動」に満ちているので、どこにいっても逃れる場所がないのです。そして、彼自身が
どこにいっても「不調和波動」の発生源にもなってしまっているのです。どこに言っても、人間関
係が壊れてしまい、諍いが起こってしまうというのはここにあるのです。

多くの人間では「不調和波動」の場所から無意識に離れようとします。離れることで「不調和波
動」の影響から無意識に逃れているのです。よく、いやな人間に近づかないようにしたり、いや
な職場から離れるようにしたり、するはずです。不登校もそうです。大人の家出や失踪もそうで
す。そのようにできさえすれば問題にはならないのです。

さらに、そんな会社や学校よりも、もっとも絶対的に、根本的に影響を与えてしまうのが、親子
関係です。子供は親を選ぶことができません。これが問題をより深刻にするのです。子供は、
母親のお腹にいるときから始まって、生まれてはずっと親のもとで、18歳ごろで自立するまで長
年の間、親とともに生活するのを余儀なくされています。もし、子供がそんな親から自立できな
ければ一生親とともに生活しなければいけません。親が思考にはまって「不調和波動」を出し
続けていても、24時間、365日、そんな親のもとで生きるしかないのです。これが子供時代に
発症する統合失調症をはじめとするすべての精神疾患の根源的な原因なのです。

「不調和波動」とは何か悪いことを考えているのではありません。

ところで、「不調和波動」とはその人が何か悪い事を考えているから発生するのではありませ
ん。統合失調症患者の親も子供に何か悪いことをしたから子供がおかしくなったのではありま
せん。

親は「自分の一体どこが悪かったのだろう」と考え込みます。そののべつ幕なしに考え込んで
いる自体が問題なのです。雑音は何か悪い事をたくらんでいるから雑音ではなく、あくまでピー
ピーガーガーという雑音なのです。むしろ統合失調症の人達は母親も含めてほとんどすべてが
いい人なのです。しかし、どんなに良くて、立派な考えでも思考にはまってしまえば「不調和波
動」を出すわけです。「どうすればいい母親になれるのだろう?」と一生懸命に考えていること
自体が「不調和波動」を出すのです。

それは思考にはまった人間が必ずしてしまう行為です。それは幼少時より心に染み付いてしま
った癖なのです。その癖がついてしまった原因はそのまた母親にあるのです。母親がのべつ
子供の前で思考にはまっているわけです。すなわち「どんなにいい思考」でもはまってしまえば
必ず「不調和波動」を出してしまうのです。これが統合失調症のすべての親が陥って気がつか
ない問題です。「母親とは何だろう」「生きる意味とは何だろう」「夫婦って何だろう」「プラス思考
をしよう」などと延々と考えています。それこそが問題なのです。例えば、この本で「調和波動」
について学んだからといって「調和波動を出そう」と考えることが「不調和波動」を出すもので
す。そんな思考が消えることをおぼえないといけないのです。 

例えば、二、三歳の子供は生き生きとしていますが、彼らは考えてはいないのです。

しかしながら、思考人間はそう言われると、今度は「考えないようにしよう」と考えます。これが
また「不調和波動」を出します。思考人間を治すのに大変に難渋するのはここにあります。だ
から統合失調症は一生治らないと思ってしまうわけです。

実は、「考えないようにしよう」ではなく「見る」ことなのです;詳しくは後述。

健全な心

ところで、人間だけが考えるので、人間だけが「不調和波動」を発生させるようです。逆
に、人間以外のすべてのもの(森羅万象=全体)は常に「調和波動=生気」を出していま
す。だから、森羅万象を、心を込めて見ていると「調和波動=生気」と共感し、それと心
が一体になることができる(見ることができる=心の全体化)のです。これが治癒です。
逆に、人間関係にばかり心の興味が行ってしまっている(「不調和波動」にロックされてし
まっている)のが精神疾患の原因なのです。

人間が健全である状態とは全体(全体とは人間以外を取り巻くすべてのもの、土地、空気、
水、草や木や動物、これが森羅万象)と個人の心が調和、共鳴していること、すなわち全体と
心が一つになっていること(心の全体化)と言えます。これが愛と言われる状態で、心身の健康
の根源です。そのように考えなさいというのでもなく、そのような理論を受け入れることでもあり
ません。それも思考がすることですから。それは、思考が消えた(=無になった)瞬間にだ
け訪れるものです。これが「調和波動=生気」です。

だから、常に自然をしている人間は心を病まないものです。逆に一日中、朝から晩まで、あの
人がどうだ、この人がああだ、という、人間関係で心がいっぱいになることが心を病む原因で
す。最近の社会はどこにいっていも人間だらけであり、人間関係から抜け出て自然に向かうこ
とがいっそう難しくなっています。これがまたいよいよ現代社会が心を病む原因になっていると
いうのです。



思考にはまった瞬間に、全体との調和の関係が一瞬にして途切れてしまい、意識が全体との
つながりを失い、自分のこと、目の前のことしか見えなくなります。例えば、線路を汽車が走っ
ています。汽車は目の前の線路を見つめて一生懸命に走っています。別に汽車はただ一生懸
命であり、悪いことしているわけではありません。しかしながら、ずっと遠くの方を見るとがけ崩
れで線路が断絶しています。それに気づくには目をあげて線路の全体を見なければいけない
のです。汽車は確かに一生懸命に走っているのですが、目の前しか見えない視野狭窄の状態
になって走っているのです。思考にはまるというのはこのようなことです。

例えば、最近の会社が利益を上げることに必死になっているのもそうです。何のためにという
疑問が禁句になっています。これが現代の多くの会社での常識になっています。これでは会社
に勤めている人みんなの意識がつまってしまいます。一方、会社での仕事が、みんなのため、
社会のため、人々の幸せのため、地球環境のため、などという全体に関心を向けることができ
れば、意識は詰まらないので、みんなが生き生きとした仕事ができるというわけです。

そして、よく統合失調症患者の親は「わたしはうそ偽りなく一生懸命に生きてきました。なのに、
なせ、子供がこんなことになったのでしょう。何の因果かわかりません。」と言います。しかし、
ただ一生懸命であればいいというわけではないのです。一生懸命に思考にはまっていたからこ
うなってしまったのです。

統合失調症においては「不調和波動」に周波数が合ってしまった(ロックされた)のが実
態です。

ところで、空中には悪い電波もいい電波が飛び交っており、健常な人間はいろいろな電波、す
なわち悪い電波だけでなく、いい電波だけにも同調することができます。たとえば、いやな番組
だけを聞くのではなく、自分の好きな音楽番組にも周波数を同調させることができるように。例
えば、いやな人から離れるように。例えば、休みには会社の「不調和波動」から抜け出して、海
や山に行って、「調和波動」を受けるようにするなど。

しかしながら、統合失調症ではそれができなくて、四六時中、雑音のいやな音すなわち「不調
和波動」にばかり周波数が合ってしまうのです(これを「ロックされた」と表現しています)。

       

統合失調症の人がよく言うのが「隣から電波が飛んできて苦しい」ということですが、これはれ
っきとした事実です。彼は、「不調和波動」の周波数に頭のダイヤルが合ってしまう癖がついて
しまったのです。

なぜ、そうなっているのでしょう。それは幼少の頃からずっと四六時中、24時間、365日、親が
子供のそばで、無意識に出している「不調和波動」すなわち雑音ばかりにさらされて、とうとう頭
が思考にはまることで「不調和波動」にロックされてしまったのです。思考にはまると「不調和
波動」にロックされてしまうのです。それは、親が子供の前でのべつまくなしに思考にはまり
続けていたことが原因です。これが統合失調症の本態です。例えば生まれてずっと赤い色だ
けしか見せられていない人間は、色々な色を前にしてもほかの色には目が行かず、赤い色し
か見ることができません。こんなものです。

例えば、不登校の子供がそうです。現在の学校全体が思考にはまって学校全体が「不調和波
動」を出しています。不登校の子供は「不調和波動」にロックされてしまっているので、学校に
心が向いた瞬間に苦しくなるわけです。一方、不登校ではない子供も「不調和波動」を感じてい
るのですが、それにロックされていないから、学校の調和波動=生気=通学することの喜び、
も見ることができるから中和されて健全を保っているのです。うつ病の人が会社に行けなくなる
のも同じことです。

ところで、こんなロックされた心の状態は正常と思われる人間にもよくあります。例えば、隣人
同士でいがみあいを起こすことがよくあるはずです。これはお互いに「不調和波動」を出し合
い、受け合い、それでお互いにそれに苦しめられているのです。憎たらしい人の顔が頭にこび
りついて離れないということがよくあるはずです。それはお互いがお互いの「不調和波動」にロ

クされてしまったからです。それでお互いが苦しむことになります。

        

ところで、正常な人間はそんな関係から離れたり、逃げたりすることで、ロックされた心をは
ずすことができるから心の病から解放されるのです。しかし、統合失調症においてはそのロッ
クがはずれなくなってしまっているわけです。そして、このロックをはずしてあげることが治療の
根幹になります。思考にはまった状態から抜け出た瞬間にロックがはずれます。思考から抜け
出すには「見る」ことです。それは見ることで思考が消えて自然に「調和波動=生気」と心がつ
ながります。それは人間関係から離れて森羅万象に目を向けること(心の全体化。「空を見
る、草を見る」)です。しかしながら、たとえ森羅万象に目を向けたとしても、思考にはまりなが
らそれらを見ているのでは、「調和波動=生気」に共感することができません。心を込めてよく
見ることです。わたしはそれを「空を見なさい。草を見なさい。」という言葉に象徴させていま
す。

4;心の波動は集団化する

心は波動のようなものなので、個人が発しますが、それは集団化もします。たとえば、今時の
学校が苦しいのは、学校にいる教師や学生の一人一人が思考にはまり、汽車が目の前の線
路だけを見て走り続けるように、目の前のことばかりを追いかけ続けることで、(例えば、知識
を学

生に詰め込むことだけが目的になって、教育の根幹にあるはずの心の共感を忘れている)「不
調和波動」を出します。そのような学校に向かおうとした瞬間に「不調和波動」を感じてしまい、
苦しくなるのが不登校です。そのように「不調和波動」が集団化して集団全体が「不調和波動」
を出します。最近の会社でも業績を上げることに血道をあげて、「何のために?」という疑問が
禁句になっているようで、そのようにみんなが思考にはまって視野狭窄になり会社全体に「不
調和波動」が蔓延しています。そうして、地域全体が、あるいはこの国全体が思考にはまり「不
調和波動」を出しているのです。そのことはすべての人が感じているはずです。「最近の社会
は何かおかしい」と。

例えば学級崩壊の問題があります。これは学級の中心にいる担任の教師が思考にはまって
いて落ち着かないイライラの「不調和波動」を出しており、それが学級全員に波動のように浸透
していって、学級全体が「不調和波動」に染まってしまい、学級全員が思考にはまってイライラ
して落ち着かなくなったものです。そんな学級の中に入るとイライラしてくるので、その「不調和
波動」が学級全体に蔓延しているのがわかるはずです。ほかに、学級崩壊の原因として、学級
の中に、「不調和波動」の発生源になっている子供が一人いることが原因であることもありま
す。そんな一人に影響されて全体がおかしくなります。

 集団いじめの問題も、集団が「不調和波動=恨み、怒り、」などに染まることで起こります。人
間の意識は集団に染まりやすいものです。特に人間は思考にはまることで不安や恐怖がある
と、つい集団に組みして不安や恐怖から免れようと行動してしまいます。そうして、個人が集団
に組みすると集団の「不調和波動」に染まり、そのことに気づかないで集団に紛れて理性を失
った行動をしてしまいます。若者がよく集団で暴行するのはこのことです。大人でも会社や組織
などがよくそうなることがあります。それにみんなが気づかないと知らない間に変な方向に向か
ってしまうものです。

「不調和波動」は人から人へと伝播していきます。「不調和波動」を持った人が一人職場にいる
だけで、みんながその「不調和波動」に染まり、争い、や諍いが蔓延するようになります。これ
も意識が集団化している証拠です。逆に、そのような事実に気づいた人が一人でも現われる
と、全体が「調和波動」に誘導されるものです。

そして、最大の問題が家族です。家族全員が思考にはまって「不調和波動」を出しています。
それに気づいて家族の「不調和波動」から逃げ出そうとするのが青少年の家出です。このよう
に家出ができる青少年はまだ精神が健全でいれるのです。逆に、家出ができない青少年が心
を病みます。これが引きこもりです。多くの統合失調症の子供に起こっていることです。だか
ら、家族単位で問題を解決する必要があるということなのです。


第五章;統合失調症を治すにあったって

ここでは統合失調症を治すにあったって治療者が持つべき原則を提示したいと思います。

1.統合失調症患者の言っていることはすべて事実である。

統合失調症を根治するには、これまでの医学の常識をすべて捨てなければいけません。なぜ
ならこれまでの医学には治癒の概念が存在しないから、それに乗っているわけにはいかない
のです。そして、治療者が新しい真っ白な心で患者に向き合うことです。そこから治癒が可能
になります。

 現代精神医学では統合失調症の患者の言っていることをありもしないことを聞こえたり(幻
聴)、見たり(幻視)、していると判断しています。しかし、これが根本的な間違いであり、だから
統合失調症を治すことができないのです。

統合失調症の患者が言ったり、見たり、聞いたり、していることはすべて事実です。心が波動
のように移ってくるという事実に気づくと、患者の言っていることのすべてが事実であることがわ
かります。事実であることが理解できないのは治療者のほうが思考にはまりながら患者を見て
いるから(レッテルを貼って見ている)心の真相を見ることができていないのです。統合失調症
の患者がよく「薬は要らない。話しを聞いてくれ!」と叫ぶのはこのことです。

治療者の意識が根源的な変革を遂げないかぎり統合失調症の根治はできません。

それにはまず、治療者がこれまでの間違った常識を捨て去ることが必要です。そうして改め
て、心についての事実を事実として自分の目で確認することです。理屈ではなく、自分自身の
目で、ここに書いてあることが事実であるかどうか確認すればいいのです。

例えば、ある統合失調症の患者は「世界中の人に自分が見られている。トイレに入っていて
も。世界中どこに逃げても見られている。隠れる場所がない。それが辛い。」と言います。それ
は事実なのです。意識はすべてつながっているので、見られているというのは事実なのです。
それでは、なぜ、私も見られているはずなのに辛くないのでしょう。それは彼がみんなの「不調
和波動」にだけロックされているからつらいのです。逆に、彼が「調和波動=生気」に気づくこと
が、飛び込んでいる「不調和波動」を解消することができるわけです。

このように患者の言って要る事を真実と受け取ることから治療者の間違ったこれまでの
間違った見方が壊され、治療者の目のうろこがはがれ、そのことで心の真実が見えてき
て、治癒の道が開けます。

このことについてもう少し詳しく説明しましょう。



左端図のように表面的に見える景色があります。空があったり、山があったり、家があったり、
木があったり、人がいたり、動物がいたり、です。

この表面的な色、形でできた世界にオーバーラップするように心の世界(「調和波動」や「不調
和波動」の世界)があります。よく注意して嗅いでみるとすべてのものには「くさいいにおい」や
「こうばしいにおい」などのにおいがついているのと同じように、よく見てみると、すべてのものに
は心の波動があります。簡単に言うと見ていて気持ちのいいものや不愉快なものがあるよう
に。三次元の世界があればそれにオーバーラップして四次元の世界があるように、心の世界
があるわけです。

例えば、家の前に人がただ立っているだけと思っていたのに、こちらに向かって怒り(不調和
波動)を向けているのを見る(感じる)ことができます。この人が気になります。そして、心の波
動はそんな「不調和波動」を出している人間だけでなく、すべてのものに存在します。動物、
人、家、山、木々などの波動が、複雑に入り組んで見えます。それが「調和波動=生気」です。
この「調和波動=生気」を見ることができると、人間が出している怒りの「不調和波動」が中和
されるわけです。それが、人間の苦しみが解消し、生き生きすることです。この両者を見ること
ができる心の状態が「思考が消えた意識=見る=無」の状態です。これが健全な心なのです。

実は、統合失調症の患者も同じ心の世界を見ているのですが、彼は「不調和波動」だけに焦
点があってしまった(ロックされてしまっている)ので統合失調症になったのです。思考にはまっ
た意識では「調和波動=生気」は決して見ることができません。これが思考にはまった人が、
感動のなくつまらない、さらには苦しい人生になってしまっている原因です。

一方、思考が消えた目(=無)でこの世界を見ると、突然「調和波動=生気」を見ることができ
るようになり、「世界って、こんなに美しく、素晴らしいものだったんだね」と目が覚めるように、
苦しみが一瞬のうちに晴れ、生きていることに感動します。これが癒しの根源的力なので
す。この力に気づくことですべての精神疾患は目が覚めるようにして一瞬にして治りま
す。

そして、この「調和波動=生気」を見ることは薬物では決して得られるものではなく、逆に薬物
投与ではこの目までが鈍化してしまうのです。だから、薬物では決して精神疾患が治らないと
いうのはこのことなのです。

心の真実を見る。

例えば、ある統合失調症の患者は、隣人が自分を殺そうとしていたとして、隣人を殴ってしまい
ました。常識的にはこの場合、統合失調症の患者が勝手にそのように思い込んだもの(幻想)
だと判断します(これが思考の世界での判断です)。しかしながら、よく注意しての心の世界を
見てみると、確かに隣人は心の中で「このやろう!」と患者に悪意を抱いていたのです。治療
者の「思考が消えた目」でよく見ると確かに隣人に悪意の心を感じることができます。しかし隣
人はそんなことを億尾にもださず、うわべでは笑顔を装っているものだから、周囲の(表面的に
は正常とされる)人間には気づかれないのです。だから、それを幻聴として無視してしまうわけ
です。これがわれわれ正常とされている人々の世界です。しかしながら、統合失調症の患者に
はそれを現実のものとして、心の波動として、事実を感じているのです。だから彼の言うことは
事実なのです。

例えば、周囲の人間が自分に危害を加えるのを感じて暴れまわっている患者でも「調和波動
=生気」に満ちた治療者の前に座ると、とたんに安心して攻撃を加えなくなります。これも著者
が数多く経験してきた事実です。そのとき周囲の人間は意識的に攻撃の心を患者に向けてい
るのではなく、思考にはまっているため無意識に攻撃の心(=不調和波動)をかけてしまってい
たのです。これが正常とされる人達なのです。治療者が「思考を消した目」で見ると、患者と同
じように、その周囲の人間の攻撃の心(=不調和波動)を感じることができるわけです。しか
し、治療者は両方を見ているから「不調和波動」に取り付かれないわけです。

治療者がこれまでの常識を捨てて、統合失調症患者の言っていることや、見ていることを、す
べて事実として理解しようとする努力から治療者自身の意識の変革が始まります。どんなにめ
ちゃくちゃと思える話でもすべて真実です。それを本気に受け止める注意から、治療者の意識
や世界が変わり始めます。

ところで、統合失調症の患者はこれまで、どこに行っても、誰と話をしても、それは幻聴だとか
幻視だとか、思い過ごし、だと言われて無視され続けて、常に孤立、孤独にさいなまれていま
す。誰とも心が通わないのです。これが、いよいよ患者を苦しめ統合失調症がいよいよ治らな
いという結果になっているのです。それは統合失調症の患者だけの問題ではなく、この世界の
人間がすべて思考にはまって心が通わなくなった時代の象徴であり、それは私たち自身の問
題でもあるのです。

よく統合失調症の患者に対して共感しようという動きがありますが、しかし、それは共感したふ
りをする表面的なものでは意味がありません。統合失調症の患者の言っていることを事実とし
て意識を共有できるような眼力を持つことなのです。


2、治療者の意識を「考える」から「見る」に切り替える

赤外線カメラで見ると、普通のカメラで見えないような暗い場所でもものが見えるのとおなじで
す。ちょうどチャンネルを変えるように「思考の世界」から「思考が消えた状態、すなわち見る
状態、すなわち心を感じる世界」に意識のスイッチを切り替えるのです。簡単にいうと、それは
「考える」から「見る」に切り替えるのです。そして患者もまた治療者に同調して「考える」ことか
ら「見る」に切り替えることができるようになったときに治癒が起こります。(この時、自分が今、
「考えているのか」、「見ることで考えが消えているか」自覚することです)。



見るとはどういうこと?

それでは「見る」ことについて説明することにしましょう。たとえば、景色がきれいと思う心は、
「見る」ことによって感じるものです。きれいな景色とは「調和波動=生気」に満ちているからき
れいと感じるのです。その美しさに感動することは「調和波動=生気」を共感できているという
ことです。誰でも見ているつもりになっているのですが、多くの人では景色を見たときに思考が
すぐに「きれいねえ」と決まり文句を発します。本当にはきれいとは感じてないのです。ただ言
葉を発しているだけです。それではその人の人生に何の変化ももたらしません。これが日常的
になっています。いつも思考が先走って景色にレッテルを張ってしまうから決して感動が訪れな
いのです。

本当に見ている人は、その美しさに「言葉を失い、絶句」します。そして、人生ががらりと変わっ
てしまいます(心の全体化)。それは、思考が消えて「本当に見ている」状態になっているわけ
です。その時「調和波動」=生気が心に入ってきて感動の心になっているわけです。実は、景
色を見るときには心を込めて見ることで、思考が消えている状態(無心)、すなわち我を忘れて
見ている状態、になっている必要があるのです。

同じ様に、人の心の真相を感じるには、思考が消えて心が「見る状態」になることで、心を共に
する状態になるのです。その時はじめて、相手の心の真相が見え、共感するわけです。それが
「見る」です。

子供の目を見て話しなさい。

人間社会は古来、この「見ること」の大切さを知っていてそれを教え伝えきました。昔から、「子
供の目を見て話しなさい」、と言われてきたのはこのことです。子供の目を見ることで、親子の
思考が消え、そのため心が通い合うわけです。人間は生まれついて親から、このようにして人
と心を通じあう能力を身につけさせてもらう必要があるわけです。それは親に「目を見てお話
をしてもらう」ことでこの能力が身につくのです。すなわち、「見る」ことのなかに、心の通い合
い、共感の心、苦しみを癒す心、すなわち愛情があるのです。

逆に思考にはまっていることが、共感ができなく、そのために苦しみの「不調和波動」を派生さ
せ、それを一緒にいる人に移してしまうのです。これがすべての人間関係のいさかいの原因で
す。いじめがそれです。終わりのない恨み合いの夫婦関係がそれです。

そして、統合失調症患者の親は子供が生まれてこのかた、全く子供の目を見ないで子供と話
をしているのです。すべての統合失調症患者の親にその癖が見られます。というのは、これが
根源的な原因だということです。それは、子供を前にして、子供と話をしているのではなく、自
分の思考と、イメージと、話をしているのです。よく子供の気持ちがわからないという親がいま
すが、実は、これが原因です。そして、よく心を病む子供が「お母さん。お願いだからわたしを
見て!」と叫ぶのはこのことなのです。しかしながら自分の

思考にはまるということはちょうど水の中にいてこそ幸せであるはずの魚が陸にあがってしまっ
たようなものです。魚は呼吸ができずに苦しみます。魚は水中に戻らないかぎり幸せでいるこ
とができません。すなわち人間は思考が消えた状態であってこそ幸せであるのです。1、2歳の
子供がいつも幸せそうな顔をしているのは思考が消えているのが普通だからです。ということ
は、人間には思考が消えている状態が生まれついて存在するということでしょう。そんな人間も
そのうち思考にはまるようになって苦しみが始まるというわけです。

「無」は誰にでも簡単になれるものです

ところで、「見る=無」は特殊な人だけがなれる、限られた能力のように思えるかもしれません
が、人間であれば、だれでも「見る=無」になることができます。これまで著者は8000人以上の
心を病む患者を治療してきた経験からこのことについては確信をもって言うことができます。
「見る」こと、すなわち思考が消えて「無」になることは人間であれば誰にでも、しかも簡単に、な
れるものである、と。

しかしながら多くの宗教者などの「無の専門化達?」が、「無」というものが、まるで大変な修行
をしたり、想像を絶するような切磋琢磨したり、普通の人ではできないような苦行をしたりして、
人生最後にとうとう行き着くか、行き着かないかぐらいの至難なものである、などといった間違
った宣伝をしてきたから、一般の人が、まるで手の届かないものと錯覚してしまったのです。実
は、それは彼ら自身が「無」を体験してないからです。というのも、彼らもまた思考にはまってい
るのです。思考にはまった人間にとって「無」は永遠に離れた縁のない存在です。だから、彼ら
も、そうして、間違った「無」を教えているわけです。仙人のような人間しか「無」にはなれない、
と。これがまた、いっそう一般の人を混乱させ、「無」から遠ざけることになってしまっています。

魚であればどの魚でも水の中で泳げるようにだれでも簡単に「無」になれるのです。誰でも息を
吸うことができるのなら、誰でも息を吐くことができるように、誰でも考えるのなら、誰でも考え
が消えた(=無)状態になれるのです。だから、統合失調症も本人に治る気さえあれば誰でも
「無」に誘導することで治すことができるわけです。

「見る」感覚を研ぎ澄ます

ここでもう少し、「見る」について説明します。この本を読んでいる大多数のかたは、思考にはま
りながら、すなわち考えながらこの本を読んでいるので、ここに書いていることの意味をなかな
か理解できないはずです。「どういう意味だろう?」とつい考えてしまいます。これこそが問題な
のです。「見ること」は考えては決して身につきません。考えた瞬間に「見ること」から外れるの
です。だから、感覚としておぼえるしかありません。

一点を見ることで「見る=無」に誘導できた患者がいました。これが「見る=無」の状態です
よ?と患者に指摘しました。すると、その瞬間に「えっ、それは、考えるな、ということですか?」
と聞きました。その瞬間に思考が働いて「無」を「考えるな」に翻訳しているわけです。その瞬間
に「見る=無」からはずれているのです。この違いがわかるでしょうか。これが大切なポイントで
す。しかしながら、ここの違いが思考人間では決して理解することができません。

    

「見ること」を感覚として理解することです。

例えば、「ほら。風が吹いてきて気持ちいいよ!」と言われたとき、「どういう意味?」と考えると
その気持ちよさを逃してしまいます。そうではなく、良く注意して、風の気持ちよさを感じようとす
るはずです。注意した瞬間に思考が消えて見ています。これが「見ること」です。注意が目の前
のものに集中していることと言えます。

また、「思考が消えている状態が大切だ」というと、思考人間はすぐに「考えないようにしよう」と
考えます。その瞬間に思考が翻訳してしまうのです。それもまた思考なのです。「見ること」がで
きていません。これが、思考人間が「見ること」に難渋する点です。

そんな場合は、とにかく「見る、見る」を繰り返すことです。そのうち、直感が働いて「あっ、そう
か!見るとは、このことか!」と感覚的に理解できるようになるはずです。例えば、泳ぐことも、
いくら本で知識を仕入れて考えても泳ぎを身につけることはできません。実際に泳いでみて体
の感覚として覚えるしかないのです。それと同じです。

「見る」は「気付き」です。

「見る感覚」というのはむしろ「気づいている」といったほうがいいかもしれません。先ほどの話
では、気持ちいい風が吹いているのに「気づいている」のです。例えば、いらいらしている人間
がそばにいるとその人の「イライラ感」に気づいているのです。躁うつ病で躁状態になった人間
のそばにいると自分もそわそわしてしまうはずです。これが、心が波動のように自分に波及し
ています。それに気づいています。「あっ、この人はいらいらしている」、という気づきです。その
瞬間に思考は消えているはずです。

すなわち、「見ること」は「気づき」と一緒なのです。逆に、思考にはまっていると気づくことがで
きません。「自分が思考にはまっている」ことに気づいた瞬間に「見る=無」になっています。そ
の瞬間に思考から抜け出ています。だから、気付きが大切なのです。多くの精神疾患が治らな
いのは「自分が思考にはまっていることに気付いていない」からなのです。それに気づくと
一瞬にして治るのです。

思考にはまっていてそんな自分に気づいていない人は、「なぜか知らないけど、いつのまにか
苦しくなってしまった」といいます。それが周りから「不調和波動」が移ってきたことに気づいて
いないのです。それが、いつのまにか、わけもわからずに苦しみにはまってしまう原因です。あ
る女性は体中が痛くて苦しいと来院しました。原因はわからないといいます。「それはあなたの
一番近い人から苦しみが移っていると思いますよ」と指摘すると、そういえば旦那が、体が痛い
痛いと苦しんでいるといいます。ご主人が勤務のストレスを体中に染み付かせていてそれが彼
女に移っていたのです。彼女がそのことに気づいた瞬間に痛みの苦しみが取れました。

そうして、よく見てみると、治療者の皆さんがだれしもうすうす感じているように、統合失調症患
者は独特のぴりぴりした緊張の雰囲気を体全体から発しているのを感じるはずです(不調和波
動)。その緊張感の源をよく注意して見るとそれが頭から出ていることがわかります。これが統
合失調症の根源的な原因であり、これを消すことで完全治癒せしめることができるわけです。



3、治療者自身が自らの意識を変革する方法

「見ること」で治療者自身の思考を消すこと。これがスタートであり、ゴールでもあります。
これができなければすべてが無意味に帰します。

 治療者が意識を「見ること」にスイッチを切り替える方法をもうすこし詳しく説明しましょう。

一点を見る

これは、とても簡単で誰にでも「見ること」が身につけられる方法です。一点を見ることで強制
的に思考を消すことができます。目の前の壁のシミや押しピンなどの一点を見つめてみましょ
う。すると、たちどころに思考が消えることがわかります。そのようにして、「一点を見る」訓練を
ずっと続けていくと、次第に一点を「見ている=思考が消えている状態=無」があたりまえの状
態になってきます。そしてさらに、自分が「思考にはまっている」のか、「見ている=思考が消え
た状態」になっているの、どちらであるかが自覚できるようになります。

そうしてはじめて、患者の前も、常に「見る=思考が消えた意識」の状態でいられるわけです。
それが治療者の原点です。

ここで誰でもが難渋する問題があります。

思考人間は一点を見て思考が消えたとしても、すぐに思考に戻ってしまいます。目が一点から
つい逸れてしまいます。ちょうどそれは、2、3歳の子供を正座させようとするものです。子供
は、2、3秒もたたないうちに、すぐに席をたってちょろちょろ動き回ってしまいます。これが、わ
たし達の頭でも起こっていることです。一点を注視することで思考が消えたかと思うと、すぐに
思考の横槍が入ってきます。その瞬間に目が一点から逸れてしまいます。というのも、ほとん
どの人が、これまでずっと思考にはまって生きてきたので、子供に正座させるのと同じように大
変に難しいのです。これがなかなかうまくできない原因です。ちょうどそれはタバコをやめるの
と同じようなもので、生活習慣病を治すようなものです。それでも何度も、「一点を見る、見る」
訓練をしていると次第に思考が消えている状態に慣れてきてそれが長くなってくるわけです。

一点を見ると苦しくなる

さらに難渋する問題があります。

「一点を見る」と苦しくなって「見ること」をやめてしまうことがあります。というのも、今までの人
生でずっと思考にはまっていて、それによって体の奥底に染み付いていた苦しみの「不調和波
動」が「見ること」で突然表に噴き出してきてしまうのです。すなわち、自分の苦しみ(苦玉)が表
出してそれに気づいてしまうわけです。実はそれこそが、本当に自分の苦しみに面と向き合う
ことなのです。逆に、思考にはまることはそれからの逃げなのです(色々なイメージも苦しみか
らの逃げであるというのはこのことです)。だから、これまで、ちっとも苦しみから解放されない
わけです。

すなわち、これまでの人生で、治療者自身も自分の苦しみからずっと思考にはまって目をそら
していたわけです。このように治療者が自分の苦しみを解消できなくて患者の苦しみを解消で
きるはずがないわけです。

「一点を見る」ことで苦しくなってきてもなおかつ、一点を見続けることです。

苦しくなってきてもなおかつじっと一点を見つめることです。そうして10分や20分程度「一点を
見る」を続けていくと次第に苦しみが和らいでいって、いつのまにか、体中にぽかぽかと、安心
の安らぎのある感じがしみわたってきます。それと共に、中心にある苦しみの「不調和波動(苦
玉)」が次第に小さくなり、薄くなり、しまいには消えてしまいます。

         

         

        

これが、思考が消えて「無」になったときに訪れる心の「調和波動=生気」です。頭の中は思考
が消えて空っぽです。暖かくて、安らぎのある感じが現れて、それが全身を包み、さらに、それ
は体を通り越して、周りにまで及んでいます。まるで心が無限に広がっているような感じです。
この状態を「無限の心」と称しています。これが苦しみの消えた完全治癒の状態です。

患者を治療するにあたっては、治療者は常にこの「調和波動=生気」が満ちている状態に自
分を置いておく必要があるわけです。もし、治療者がこの状態にありさえすれば、治療者のす
べての行為が「調和波動」の伝播になります。何を話そうとも、話さなくても、手を握っても、握
らなくても、相手をなだめても、しかっても、すべての行動が相手を治癒せしめる波動を持つこ
とになります。実際に、多くの患者は治療者の前に座ったとたんに、それを感じています(感じ
ることができることが治癒の道です)。そして、無言でただ座って感じています。一旦それを感じ
ることができたら、それだけですべての行為が治療になるわけです。

一点を見ると肩こりが消えます。

統合失調症の本質は脳の肩こりであると説明しました。だから、肩こり(心身の病気の元です)
も同じ様に一点を見ることで治すことができます。肩こりの根治方法です。すべての統合失調
症患者の親が「不調和波動」を出しており、そして、その中心の芯が肩こりであることが多いも
のです。そんな親の肩こりを治すことが「不調和波動」を解消させ、子供を治癒に向かわせるこ
とになります。

見ながら考えている

思考にはまってしまうと瞬間に「見ること」からはずれてしまいますが、逆に「見ること」をしなが
ら思考することは可能です。すなわち「見ること」の中に思考することも含まれています。

ちょうどそれは偶数が自然数全体の中に含まれるようなものです。しかし、偶数は決して自然
数全体を含むことはできません。同じ様に思考にはまっては決して「見ること」ができないので
す。

          

思考の倉庫に入ってしまう



例えば、「今日は何時に起きましたか?」と質問をしてみます。その瞬間に「えーっと?」と言っ
て頭の中の記憶の倉庫に入ってしまいます。その瞬間に患者の目があっちのほうに向いてし
まい、治療者の目を「見ること」ができなくなっています。これが思考人間における視点の異常
です。統合失調症ではこれがあたりまえに日常的に起こっているわけです。親子の間において
もまたそのようになっているのです。患者は相手を見ることなく思考の倉庫に頭を突っ込んで
いる状態です。

    

     

この瞬間、相手との共感(心のつながり)が絶たれています。これこそが問題なのです。それは
ちょうど電話線を切りながら受話器で話をしているようなものです。

ちっとも相手の心に伝わらず、相手の心もこちらに伝わりません。そして、それは自分の思考
と話しているに過ぎません。統合失調症の親が子供と話をしているとき四六時中この状態にな
っているわけです。それに親が気づいていないのです。これこそが問題なのです。

逆に健常な会話はこうです。



 健常な人間では、相手の目から視線をずらすことなく、思考に入ることができます。すなわち
相手の目を見ながら記憶の倉庫に手を突っ込んで記憶をさがしているわけです。

      

この時、ちゃんと電話線は相手とつながりながら受話器で話しているわけです。だから、ちゃん
と心が通じるわけです。

そしてその状態にある意識の活動(考えながらも、目は相手を見ている状態にある)は常に全
体(心の全体化=調和波動)から来るものです。このようにして為される思考は一方では「見て
いる」から「不調和波動」を派生することなく「調和波動=生気」の状態にあるわけです。

カウンセリングの真髄

実は、患者とカウンセリングをする際には、治療者がこのような「考えながらも目は相手を見て
いる」状態にあると、常に、答えが全体から引き出すことができます(心の全体化=調和波
動)。そして患者にどんな言葉をかけても、すべての言葉が、患者の心を「調和波動=生気」に
共鳴させることで、思考にはまっている状態から引っ張り出すことができるわけです。だから、
カウンセリンの真髄は、「こう言えば、ああ言い。ああ言えばこう言い」の世界ではなく、治療者
と患者が共感することによって患者の「不調和波動」を「調和波動」に入れ替えることなので
す。それは、常に治療者が「調和波動=生気」を出している状態なので、どのような言葉をか
けても、言葉が患者を「調和波動=生気」に誘導することができるわけです。だから、表面的な
カウンセリングの方法は問題にならないのです。いや、むしろ表面的な方法にこだわっている
ことが思考であり、だから、ちっとも癒されないのです。

治療者が思考から抜け出て「調和波動」=生気の状態にあると、常に「調和波動=生気」の回
答ができるというわけです。その答えは常に全体からの答えであり、調和の答えであり、だか
ら、どのような言葉を話すのかは問題にならないのです。ただだまって座ってお互いを感じてい
るだけでも充分なのです。治療者の言葉や行為のすべてが患者の「気づき=見る=無=調和
波動」に誘導することができるわけです。

   

一方、思考にはまった状態でのカウンセリングはお互いに思考にはまりながら話し合っている
ので、「不調和波動」の掛け合いになってしまいます。それが「ああ言えば、こう言い、こう言え
ば、ああ言い」の繰り返しで、治療者も患者も疲れるだけであり、それでは決して心は癒される
ことがありません。このような思考には待った状態でのカウンセリングでは、治療者は思考の
倉庫の中から前例の回答を引っ張り出したり、教科書で学んだ答えを引っ張り出したりして話
しています。すなわち、カウンセリングのマニュアルの通りにしようとしているわけです。「ああ
言えばこう言おう、こう言えばああ言おう」、の連続です。これこそが問題なのです。すなわち思
考の中での問答を繰り返しています。自分の思考と問答をしているだけであり、相手の心とつ
ながっていないから、心の真相を見ることもできず、相手を癒すことができないのです。いくらカ
ウンセリングを繰り返しても患者が治らないのはこれが原因です。

    

毎日の習慣化

著者の場合は、毎日治療を始める前に、一点を見ることを30分から1時間ぐらい行うことで心
を「見る=無=調和波動」の状態に仕上げています。これが瞑想です。詳しくは第8章で説明し
ます。これが「心の治療前準備運動」です。患者を前にして治療者の心や体を「調和波動=生
気」で満たすわけです。特に朝は、前夜の夢(これも睡眠中に思考にはまって起こることです)
の影響で苦しみの「不調和波動」が体中に染み付いています。朝起きて目覚めが悪く、気分が
悪いのはこれが原因です。このような前夜から持ち越した心の「不調和波動」に占められた状
態を完全に「調和波動=生気」置き換えてから患者に望む必要があるわけです。


4、患者と全面的な信頼関係を築くこと。

すべての統合失調症の患者は思考の世界にはまっていて、赤ちゃんのときからそれが、あた
りまえになっています。それは親がそうだったからです。患者はそんな親の影響で、思考の世
界にはまって「不調和波動」に満ちた心のつながらない人間関係におかれています。

    

こんな人間関係が赤ちゃんのときから四六時中、24時間、365日、続いているのです。それが
原因で、統合失調症を作ってしまったのです。両親や家族もまた、これがあたりまえの状態に
なっています。こんな「不調和波動」の蔓延に風穴をあけるべく、患者と治療者との間に共感
の道を作ることから治療が始まります(下右図)。

    

それには、患者から治療者を信頼してもらうことが第一です。それには治療者が心を込めて患
者に向き合うことです。先ほどお話ししたように自分の先入観を捨てて、患者の言う事を、全面
的に事実として受け入れる耳や心を持つことです。すべての統合失調症の患者はこのように
心を込めて話を聞いてくれる人間がこれまでたった一人もいませんでした。なぜなら周囲の人
間もみんな思考にはまっているからです。治療者が心を込めて、粘り強く、患者に向き合いさ
えすれば(患者の話を真剣に聞く)ほとんどの患者と信頼の関係を築くことができます。そうし
て、患者が治療者を信頼するようになったら、もう、確実に治癒の道を歩んでいます。

しかしながら、それがどうしてもできない場合も少なくありません。最初のうちは、これまでの孤
独孤立の家庭環境の影響で、患者は、警戒感、拒否感、不信感でいっぱいです。だから、治
療者を警戒し、さらには拒絶することがよくあります。それでも粘り強く関係をもつことにより、
いずれは治療者を信頼してもらうことができるようになります。これが、まずスタートです。


第六章、家族、特に親の問題が肝要です。

指摘したように、すべての統合失調症は赤ちゃんのときからすでに始まっています。それ
は親からの不調和波動移しの問題が根底にあるからです。だから、親を治さない限り統
合失調症をはじめとするすべての子供の心の病は絶対に解決できません。現代精神医
療が統合失調症を治せないのはここに気づいてないのです。

本章では、家族、特に親に対して大変に厳しいことを言っているようですが、それは親を
非難しているのではありません。親に起こっていることの事実を事実として親に気づいて
もらうことが子供の統合失調症の治癒に不可欠だからなのです。しかしながら、事実を
知ることは親にとって大変にきついものでとかく非難されているように感じることもよくあ
ります。多くの親が治療を拒絶するのはここにあります。しかしながら、事実はたとえそ
れが厳しいものであっても、あくまで事実なのです。大変に厳しくてもそこからスタートす
るしか治癒の道はないのです。

1、子供がこうなった原因はすべて親のあなたにあります!

これまで説明したように、統合失調症患者の根源的原因は親にあります。要するに幼少時よ
り、親がのべつまくなしに思考にはまり、その結果こどもに対して「不調和波動」をかけ続ける
のがあたりまえになっています。子供は24時間、365日、「不調和波動」の中で生活するのを
強いられてきたわけです。ちょうど交通の混雑した交差点の真ん中に家を建てて生活している
ようなものです。これでは、どんなことをしても排気ガスの害毒から逃れることはできません。こ
れが統合失調症などすべての子供の心の病の根本的原因なのです。

子供の多くはそんな親の異常をうすうすきづいています。子供はずっと親に抗議をしつづけて
います。しかしながら、親は自分の異常について全く気づいていません。「何をわけわからない
事でどなっているの!」などと。それが、統合失調症がちっとも治らない原因です。そんな親か
ら離れて自立することができる子供は救われますが、ほとんどの患者はそんな親との心理的
あるいは経済的依存の結びつきがいよいよ強くなるため、いよいよ自立ができない状態になっ
ています。それがまた悪循環に陥る原因です。

さらに親は、自分に根本的な原因があることを指摘されるのを大変に嫌がります。例えば「親
の会」などで集団化することで、自分たちを正当化し、できるだけ原因を自分たち以外のせい
にしようと必死にキャンペーンを張ります。学校のせい、いじめのせい、友人のせい、などと。さ
らに、彼らに、脳内アミンだとか、脳内構造の問題だとか、何の根拠もない逃げ口上を現代医
療が提供しています。これらは全く何の科学的根拠がないのに、まことしやかに流布さている
ものです。それがまた、いっそう親達が自分自身の異常に気づくことをさせなくしてしまっていま
す。だから、本治療はそんな親に最初から厳しく注意することから始めないといけないのです。

「子供がこうなった原因はすべてあなたにあります!」と。

そして、親が思考にはまって不調和波動を出すのを止めた瞬間に子供の統合失調症が
治ります。何度も、何ヶ月もかかって治るものではありません。目の前で瞬間的に治すこ
とができるのです。というのも親の心と子供の心は鏡の関係にあるからです。一身同体
の関係です。鏡に写っている異常な姿(子供)を治すには鏡の像の本体である親の方を
治すしかないのです。だから、親を治さなくして子供の統合失調症は治らないのです。

2、親と子供の関係

         

親がのべつ思考にはまっていて、不調和波動を出し、それが赤ちゃんのときからずっと、それ
にさらされ、統合失調症を発生させます。

     

子供全員がその被害にさらされることになりますが、健全な子供はそのような親に反発して家
から出ます。家から出ることのできた子供はそうして親の影響から逃れ、助かりますが、親に
反発できない、優しい性格、あるいは親子の依存関係が強い子供が、まともに親の「不調和波
動」を受けてしまうことになるわけです。それが統合失調症の原因です。

たいていの家族では、一人だけそのような犠牲になる子供がいます。「なぜ、他の子供は大丈
夫なのに、この子だけこんなになったの?」という疑問がよく出されますが、これが原因です。
他の子供達はそれを感じています。「私たちの犠牲になってこの子が心を病んでいる」と。それ
は親の「不調和波動」にロックされてしまう子供が一人だけ出てくるということです。もしその子
が親の影響から逃げることができたとしても親がそのことに気づかないと、今度は他の子供が
「不調和波動」移しの犠牲になるというわけです。

      

子供の統合失調症の治療はもちろん、そんな親子関係に子供が気づくことで、子供をそんな
親に心理的に反発し親の影響力から離れる能力を身につけさせることで、心理的に親から引
き離すことから始まります(これが自然に起こっているのが通常小学校高学年から中学校にか
けての反抗期です。逆に、心を病む子供にはその反抗期がありません。反抗期は心を病むこ
とから逃れる大切な行動なのです)。さらに親の方には、思考にはまった自分の状態を自己認
識させ、それを治すことです。

子供の時すでに、その初発症状がある。

発達障害、注意障害がその初発兆候です。

小さい子供の時にその兆候を知ることです。よく、落ち着きのない子供、発達障害、引きこも
り、いじめにあう、登校拒否などが初発兆候です。さらにその前兆として、母親の育児困難で
す。

母親の育児困難が初発症状です。

 「不調和波動」が染み付いた母親は産後に育児困難になっていることがよくあります。産後に
不眠になったり、産褥うつ病になったり、あるいは幼児虐待などが初発症状です。それは、母
親に染み付いた「不調和波動」が原因です。その「不調和波動」はそのまた親からもらっていま
す。そのまた親はそのまた親からもらっています。このように「思考にはまって不調和波動を子
供に移す関係」が延々と続いてきたわけです。母親も、これまで若いころから、「肩が凝る」「不
眠」「不安」などの心を病む症状を訴えています。母親のこれまでの人生もずっと思考にはまっ
た状態だったのです。そのような人間関係が当たり前になっています。自分に染み付いている
「不調和波動」のせいで常に人間関係の不和を訴え続けています。そんな母親は、それまでは
他人と適当に距離をおいてきたから、それが表に現われることはなかったのです。

しかし、子育てにおいてはそうはいきません。のべつまくなし、24時間一緒にくっついて生活す
ることになります。子供を抱くと、子供との間に「不調和波動」の移しあいの関係になってしまい
ます。

それは何度も言うように、母親が何か子供に対して悪いことを考えているのではありません。
子供に何か悪い事をしているのでもありません。ただ、思考にはまっているだけなのです。
例えば「どうすればいい母親になれるのか」と悩み、考え込んでいます。その考えこんでいるこ
と自体が子供との心の断絶を生んで、「不調和波動」を子供にかけているのです。それなの
に、またまた考えます。悪循環です。

子供(赤ちゃん)はそんな親の「不調和波動」が移ってくるのを感じ、苦しがって夜泣きが止み
ません。その証拠に他の人が抱くと赤ちゃんはとたんにやすらかになってすやすや寝ていま
す。

赤ちゃんは、そんな「不調和波動」を出し続けている母親と四六時中一緒に暮らさないといけな
いのです。そうしてとうとう赤ちゃんのときにすでに頭が「不調和波動」にロックされてしまうわけ
です。そんな親子の関係を幼少時より根本的に改善してあげることが大切なのです。

2、三、四歳になると

三、四歳になって、保育園や遊びなど、子供が、社会的生活を送るようになると、症状が表に
現わるようになります。一日中落ち着きがありません。一日中わーわー騒いでいます。じっとし
て、同じ事をすることができません。一日中どたばた動いては倒れるように寝たかと思うと、目
覚めるとまた走り出す。これの繰り返しです。親が叱っても表情一つ変えません。他人に叱ら
れても全く意に介しません。母親はそんな子供に一日中どなっています。しかし、子供はそれ
に聞く耳を持ちません。それが、最近注目されている発達性障害とか多動性障害といわれるも
のです。それは、母親が思考にはまっていて、子供もまた思考にはまっていて、「不調和波動」
を移し合いの関係になっていて、心が全く通わない親子関係になってしまっているのです。子
供を見ると無意識にイライラしてしまうというのが、その特徴的兆候です。それは親子が不調
和波動移しの関係にロックされてしまっているのです。

      

そうして母親の「不調和波動」が子供の体にも染み付いてしまうのです。それで、子供も他人と
心が通い合うことができません。すなわち、生まれついてこのかた、他人と心を通わせる能力
を身につけることができなかったのです。すなわちその原因は先にも指摘したように親が思考
にはまって子供の目を見て育てなかったからです。このため、学校に行くころには、いじめの問
題が頻発するようになります。母親はよくいじめのせいで統合失調症になったといいますが、
真実は母親から移ってきた「不調和波動」がすべての原因です。またよく、このような母親に限
って「子供の気持ちがわからない」という発言をしますが、それは母親が思考にはまって子に
接しているからわからないのです。ここに統合失調症の芽生えがあるわけです。

それでは、なぜ、母親が「不調和波動」を持っているのに統合失調症にならなくて、子供だけが
なったのかと言うと、例えば「不調和波動」の芯(苦玉)が肩にあたっているのが母親で、母親
は肩こりの症状を呈していて、子供はそれが脳に当たってしまっているので統合失調症を呈し
ているのです。本質的には同じものなのです。ということは、母親の肩こりを根治することが子
供の統合失調症が治ることでもあるのです。しかしながら、肩こりはマッサージなどで治ること
は決してありません(一時的に気分が良くなるかもしれませんが)。母親が一点を見ることで思
考を消すことを覚えると根本的に治すことができるわけです。

学校に通うころになると

 こうして「不調和波動」が染み付いた子供の初発症状が不登校であることがよくあります。と
いうのも「不調和波動」に染まってしまった子供は、他人(同級生)と心を通わすことができませ
ん。そのせいで、どこにいっても常に人間関係のいさかいをくりかえします。それがいじめで
す。さらに、子供たちは「不調和波動」を直感的に嫌がり、攻撃します。「うざい」「きもい」などと
いうのはこれです。それは「不調和波動」を感じているからです。

「不調和波動」が身についてしまった子供は、一生懸命に笑顔をつくり、他の子供たちと仲良く
しようと努力します。しかしながら、体にしみついている「不調和波動」のせいでどこにいても「き
もい」「うざい」といわれて拒絶されます。それで、どうしようもなくなり、とうとうとうとう引きこもっ
てしまいます。これが引きこもりの正体です。

そんな子供を前にして、母親は悩みます。また考え込むのです。それが子供の症状をいっそう
悪化させてしまう原因です。考えているから真実がちっとも理解できません。そして子供がこう
なったのは「いじめ」が原因だと主張します。それでは何の解決にもなりません。それどころか
いよいよ悪くなるだけです。それがすべての引きこもりの親の誰しもが経験している事実である
はずです。そうすると、また考え込むわけです。それで、さらにいっそう「不調和波動」を子供に
移します。悪循環です。母親は、自分に原因があることに気づかないで、学校のせい、友達の
せい、などと外の批判、非難ばかり行っています。それがちっとも解決できなくてとうとう子供を
統合失調症予備軍にしてしまうわけです。


3、親の心配こそが諸悪の根源

このような親子関係ついての事実を事実として認識することが大切です。統合失調症の原因
は親から移った「不調和波動」です。親が子供に何か悪いことしたとか、育て方が悪かったと
か、などという表面的なものでは決してないのです。もっと心の基底の問題なのです。例えば、
ある地域で、人が病気でばたばたと倒れたとしましょう。その原因をいろいろと探します。食べ
物のせいだとか、罰が当たったとか、水のせいだとか、いろいろと考えますが、本当の原因に
気づかないと何をしても根本的対策をたてることはできません。それが例えばウイルスのせいで
あったという事実に気づくと根本的な対策が取れるわけです。それと同じように、統合失調症に
おいて表面的な原因をいくら探しても無意味なのです。食事のせいとか、環境のせいとか、友
達のせいとか、育て方のせいとか。そんなことをしてきたからちっとも治せなかったのです。親
子における心の「不調和波動移し」の真相に気づくことなのです。

          

今までお話したように、思考にはまった人間は「不調和波動」を思考にはまった親から受けま
す。その親もまたその思考にはまった親から「不調和波動」を受けています。そのようにして
延々と「不調和波動」移しが降りてきているのです。ちょうど洪水が次から次へと川の下流にな
がれてくるように、流れてきた洪水を下流に流せるダムは決壊しないで済みます。次から次へ
と洪水を下の方に流すわけです。しかしながら、もう下に流せなくなったダムが決壊してしまう
わけです。 



多くの子供はごく小さい頃にはそれを全面的に受け入れるしかありません。ほとんどの子供に
おいて、大きくなるにつれ、その「不調和波動」をもらわないように無意識の直感的行動をとり
ます。それが小学校高学年から中学校にかけて反抗期です。今まで素直だった子が、次第
に、親の、ささいな行動が、「うざく」見え、「クソババー!」「死ね!」などといっていちいち親を
拒絶します。

実は、これは母親の「不調和波動」を受けないようにするためのとても健全で大切なものです。
そうすることで、子供は親から心理的に独立し、本能的に健全な心を保とうとしているわけで
す。しかしながら、親はそんな子供に悩み、何とか親の言う事をよく聞く、素直な子供にしようと
懸命になります。実はそれこそがとんでもない大間違いなのです。それは無意識のうちに
子供を支配し、親の「不調和波動」に引きずり込もうとする行為なのです。そうして親に心理的
に支配されてしまってできあがったのが、統合失調症などの子供の心の病です。ほとんとすべ
ての統合失調症の子供は「とても素直で、親のいうことを何でも聞く子供だった」といいます。反
抗期がなかったのです。これこそが問題なのです。そうして親の「不調和波動」を何の障壁もな
くすべて受け入れてしまったのです。そしてそのような親子では、親子が一身同体のようになっ
て「不調和波動」の移し、移され関係になっています。

その特徴としては、親がのべつまくなしに子供の事を心配していることです。親は子供が統
合失調症になったから心配していると主張しますが、その以前から、生まれたときから、いや、
お腹にいるときからすでに子供の事を心配し続けています。たとえ子供に何の問題がなくて
も、問題を探しまで子供を心配するのです。例えば、すべて非の打ち所なく健康なのに、病気
にならないか心配するのです。

そのような親の心配こそが「不調和波動」を子供に移す行為なのです。ところが、親はそん
な自分のことを愛情によって心配しているのだ、と確信を持っています。だから、信念をもって
心おきなく心配をするわけです。

    

 ところで、親もそのまた親からそのように心配されて育てられています。それこそが「不調和
波動移しの連鎖」なのです。そうして次第に下にいくにつれ症状が強くなって、その下にもはや
移せなくなった子供が統合失調症を患うわけです。すなわち、子供を心配することが諸悪の
根源なのです。親にそのような事実を指摘して、子供を心配するのを強制的に止めさせるの
が治療の始まりです。

どうすれば心配を消せるか?

 ところで、親の心配を強制的に止めさせると何が起こるのでしょう。それは親が子供に「不調
和波動」を移せなくなり、親自身の中で渦巻いて増大しまい、そのため親自身が苦しくて七転
八倒することになります。川がせき止められるとそこで氾濫してしまうのと同じことです。それま
では心の苦しみ、すなわち「不調和波動」を、子供を心配することで、子供に移して楽になって
いたのです。それを親も、そのまた親もしていたのです。「不調和波動」移しの連鎖です。それ
が、それが突然移せなくなってストップしてしまうのです。

実はそのようにして移された「不調和波動」をもはや下に移せない子供が心を病んでいるわけ
です。もし、子供に、子供ができたらその子供を心配することで移して楽になろうとするでしょ
う。こうして子供が統合失調症を病むわけです。統合失調症の多くは結婚しません。結婚して
も子供を生まないことがしばしばあります。それは、そのような「不調和波動移し」の連鎖をスト
ップする行為なのです。

また、親から移された「不調和波動」を他人に移して楽になろうとする行為が「いじめ」です。学
校や、職場などのすべてのいじめが「不調和波動移し」の行為なのです。逆に言うと、統合失
調症の患者のほとんどは「不調和波動」を他人に移すことのできない、あるいは他人をいじめ
ることのできない心優しい人間だということができます。

このように親の心配を止めるよう指導すると、親自身がどんどん苦しくなります。そこで不調和
波動がストップしてしまい、蓄積するからです。そうして親は苦しくて、苦しくて、つい無意識に子
供を捜し回ってまで、また心配を始めることで子供に「不調和波動」を移して楽になろうとする
わけです。無意識の行動です。治療者が「子供を心配しないように!」と強く指導しても、いろ
いろと口実を作っては子供を心配します。親は「子供が色々と問題を持ってくるから」と言い訳
をするのです。そうするとせっかく良くなりかけた子供の症状は瞬時に元に戻って悪くなりま
す。だから、このような親には厳しく、厳しく、注意する必要があります。「子供を本当に治した
いのなら、自分が苦しくなってもいいから子供の心配だけは絶対にしないように!」と。親
もそこで覚悟を決めて「自分が苦しんでもいいから、子供に移さない!」という強い決意が必要
なのです。親がそのように覚悟すると子供はとたんに晴れ晴れとして治癒に向かうわけです。

さらに、親は、心配しないように努力しているのに、つい心配の心が出てしまうものです。その
ような親にはこのように指導します。「よく注意すると、心配が出てくるのは、あなたが思考には
まっている時です。心配の心が出てきた時には、じっと目の前の一点を見るようにしましょう。
一点を見ることで、思考が消えると、心配も消えているはずです」と。

子供の顔を見るとつい思考にはまってしまう。

ところで、親に思考にはまらないよう指導して、治療者の前ではちゃんとできたのに、子
供の顔を見た瞬間に思考にはまって心配が始まってしまうというのが、ほとんどの親がし
てしまう、大きな問題です。これが子供の統合失調症が治りにくい原因です。これまでの
指導により、治療者の前では、思考が消えた正常な意識になれるのに、子供の顔を見た瞬間
に変な気分になって思考にはまって心配が始まります。子供の「不調和波動」に同調して、つ
い染まってしまうのです。これは何十年と続いた思考はまり関係の癖です。



そのようなときには、以下のように対処します。まず、治療者を前にして親子で並んで座らせま
す。親に治療者の片目の一点を見るよう促します。すると、母親の思考が消えて、苦しい「不調
和波動」が消えて、暖かくて安心な「調和波動」に置き換わっていっているのを母親はよく感じ
ることができます。

それから、横にいる子供に目を転じてみるよう指示します。親は、子供に目を転じた瞬間に思
考が始まってきて、苦しい「不調和波動」が押し寄せてきて、変な気持ちになってしまいます。
子供を見た瞬間に思考にはまって「不調和波動移し」関係になってしまっています。この事実を
母親に気づいてもらうことです。

「どうですか?治療者のわたしを見ているときには、気持ちが楽になるけど、子供と対面したと
きに、変なきつい関係になるでしょう。これが不調和波動移しの関係なのですよ!」と自覚して
もらうわけです。さらに、子供が小学校高学年以上になっていれば、子供にも母親との関係
が、そんな「変なきつい関係(不調和波動移し関係)」になっていることが理解できます。そし
て、「変なきつい関係(不調和波動移し関係)」に子供が気づくようになると、そのような親に反
発して不調和波動を受けないような努力を子供がするようになり、治癒に向かいます。子供が
親にはは何発したり、親の言う事を素直に聞かなくなったり、親を客観的に見るようになった
り、親に注意するようになります。このような子供への指導は自我がでてくる小学校高学年以
降になると可能です。

ところで、どうしても子供を見ると思考にはまって心配がはじまってしまうという親には 子供の
片方の目を見て話をするよう指導してします。前述のように、治療者の前で親子を対面させ、
親は子供の右目を、子供は親の右目を見るよううながすわけです(見やすいほうの目を見るこ
とを勧めます)。そうすると両者ともに、一点を見ることができるから、両者の前で思考にはまる
ことができないわけです。このように、親子が思考にはまっていない関係を感じとして覚えるわ
けです。

親子はかくも密接である。

アスペルガー症候群と診断されたある娘がいました。この心の病も思考にはまってしまい生ま
れつき他人と心を通わすことができなくなったのが原因です。母親が娘に治療を受けさせに連
れてきました。しかしながら、娘は治療を拒否しました。そこで、母親には「娘は治療をしなくて
も母親のあなたさえ治れば、娘は治るから」とお話しして、それからはずっと母親だけの治療を
続けていました。予見した通り、母親を治療して思考には待っている状態から抜け出させるに
つれ、娘は初回に来ただけなのに、その後どんどん改善していって、とうとう結婚できることに
なりました。結婚して姑と同居しているのですが、あれほど心配していたのに、心配していた人
間関係のトラブルも少なく、順調に同居生活をして、子供も生まれました。

子供が1歳になったころです。目出度く帰郷して、一月半ほど実の母親と一緒にすごしました。
そこから、また問題が再発起しました。帰郷から家に戻った瞬間に人間関係が壊れ、姑との確
執が噴出し、果てしのない喧嘩になってしまい、パニックになり、泣きながら母親に電話してくる
というのです。母親は困った顔で、受診に来ました。母親の目を見た瞬間にその真実がわかり
ました。目がキョロキョロして完全に母親が思考にはまっているのです。そこで、こうお話ししま
した。「娘は、あなたのもとに帰郷したころから、娘はもとの思考にはまった不調和波動移しの
親子関係にもどされてしまったのです。そうしておかしくなってしまってから家に戻ったというわ
けです。あなたは娘を見た瞬間に無意識に思考にはまって娘の心配を始めていたはずです。
そのことにあなた自身が気づいていなかったのです。」このようにお話すると、「そういえば娘に
あったとたんに心配が始まり、人の悪いことばかりが目につくようになっていました。今、指摘さ
れるまでそれに気づきませんでした。」かくして母親の治療を再度始めたらすぐに娘も落ち着き
ました。娘は初診時以外治療を受けたことはたったの一度もありません。しかし、母親を治せ
ば、子供が鏡のように治るわけです。これが母子関係の真実です。

残念なことですが、大半の親はそのような指導を拒否します。そんな自分の問題は棚に上げ
て、子供だけを治してくれることを期待してついには薬に頼ってしまい、結局のところ病気を一
生ものにしてしまうわけです。

治療は親子セットで行わねばならない。

このような親子関係の事実を知ると、親子がセットで治療しなければいけないことがよくわかるは
ずです。特に、子供の統合失調症においては親の治療なくして決して治らないと言っても過言
ではありません。だからこそ、初診時には厳しく親にそのように宣言します。「親のあなたが原
因です!」と。

ところで、親が原因といいましたが、両親のどちらが原因でしょう。たいていは(九割がた)母親
のほうが原因であることが多いものです。というのも、親子が一緒に接している時間は母子の
ほうが断然に多いからです。それだけ父子より母子の心理的つながりが強いというわけです。

ところで、これまで母親は常に自分に起こっている事実から逃げるように他の原因にし続けて
きたから、今度もまたご主人のせいにすることがよくあります。「親権は半々なのだから、父親
の原因も指摘してほしい」と。しかし、これもまた自分からの逃げです。だから、「いや、母親の
あなたこそが問題なのです!」と、厳しく指摘しなければいけません。

確かに、父親の役割も当然50%の責任があることは事実です。家族全員が思考にはまってい
ることに対しては父親のほうにも責任があるわけです。家族全員が思考にはまっていておかし
いことに気づいている人間がただ一人家族の中にいるだけで家族全員が救われるものです。
多くの家族の場合、父親がその役割を果たしています。すなわち、母子が一身同体になって思
考にはまっていることに父親が気づいて注意できると、それが防げるわけです。逆に言うと、母
子家庭における治療の難しさはそこにあります。

ところで統合失調症の子供の場合、両親ともに思考にはまってしまっています。そんな両
親のどちらかが決定的な原因であるかを判断するにはどうすればいいでしょう。それは子供に
聞くことです。子供に両親のどちらの方が気になるかと聞くとわかります。たいていは「母親」だ
といいます。なぜなら父親より母親との心理的密接さがあるからです。逆に一部の人間は父親
だという人もいます。そうして、「不調和波動」の発信源を探り当てることで、そちらのほうの親
を治療する必要があるわけです。また、両親を一緒にそろえて見ると、どちらのほうが完全に
思考にはまっているか、目を見ると、よりキョロキョロとして視線がより定まっていないので一見
してわかります。

統合失調症の大人では。

統合失調症では、このように親子がセットで一身同体のような状態になり、親の「不調和波動」を
移してしまっているのが本態です。大人の統合失調症でもおおむね同じ関係にあります。

幸いなことに、子供と比べて、大人では「親から自立して、自分の統合失調症を治したい」とい
う強い自覚があることがよくあります。このような場合には親を治療しなくても治すことができま
す。


第十章;具体的には、統合失調症をどう治せばいいのか。

1、まず、治療者が「思考が消えた意識の状態」で患者に向き合うこと。

 治療者はまず、診察室にいる間中、思考が消えた意識の状態にあることです。すなわち「見
る=無」の状態です。治療者がその意識にあることで、診察室全体が「調和波動=生気」に包
まれます(それは一緒に仕事をしているスタッフもまた幸せになることです)。

そして、患者が診察に向かおうとして、意識が治療者のほうに向いた瞬間からすでに、その
「調和波動=生気」を感じています。だから、患者は「今日は病院に行く日だ」と思った瞬間か
ら心が軽くなるとよくいいます。これが、心が波動のようにつながっている証拠です。

それまでは、家族の、特に両親の苦しい「不調和波動」にどっぷりと浸ってしまい、それが日常
になっていたわけです。特に母親とは心が一身同体のようになってしまったから統合失調症に
なったのですから、患者の興味を母親から治療者の方に切り替える必要があるわけです。患
者の関心が母親から治療者に向いた瞬間に、治療者の「思考が消えた意識の状態(調和波
動)」に同調して気持ちが軽くなるわけです。こうなればもう治癒の段階にあるといえます。だか
ら、治療者と母親とは、患者を間に置いての母親の「不調和波動」と治療者の「調和波動」との
綱引き状態にあるといえます。(誤解のないように何度も言いますが、母親が子供に対して何
か悪いことを考えているから「不調和波動」をかけているのではなく、思考にはまって子供を懸
命に心配しているから「不調和波動」をかけるのです)。



このように、治療者の意識の状態が陰に陽に影響しますので、治療者は患者と向き合ってい
る間中は常に「思考が消えた意識=調和波動」の状態にあることが大切なのです。(実は、わ
たしは24時間そのような状態にあるよう注意しています。それは自分自身の心身の健康のた
めでもあるからです。)

そして、治療者がそんな状態でありさえすれば、診察室でただ患者と向き合っているだけで、
何を言わなくても、黙っているだけで、あるいは、どんな話をしようとも、しなくても、患者は治療
者の「調和波動」を受けるのです。心というものはこのようなものなのです。そして、これが治療
の真髄です。

ところで、多くの親は「子供を治すのにどうすればいいの?」と方法を聞こうとします。これまで
ずっと子供を治す方法を求め続けてきました。子供との話し方がどうの、食事の仕方がどう
の、親子の付き合い方がどうの、などという方法論ばかり追い掛け回しています。排気ガスで
いっぱいの交差点の真ん中でガス中毒になり、そこでいろいろな呼吸の仕方を勉強するような
ものです。排気ガスを消すか、そこから逃れない限りガス中毒は治りません。だから、ちっとも
よくならなかったはずです。親が思考から抜けた意識の状態に気付きさえすれば、何をしようと
も、しなくても子供は治癒に向かうわけです。反対に親が思考から抜け出ることができなけれ
ば、何をしても治らないのです。統合失調症が一生治らないと誤解されるのはこの点にあるわ
けです。

2、患者の目を見て話をすること

     

以下に書いてあることは患者自身はもちろん、母親へ指導する内容でもあります。

まず、患者の目を見ることにつきます。それには治療者が常に患者の目を見ならが話をするこ
とです。すべての患者は完全に思考にはまっているので、治療者の目を見ることが全くできて
いません。始終目がきょろきょろしています。よく注意すると左右に小刻みに動いているか、完
全に斜め上や下のほうを向いています。これが思考にはまっている証拠で、これを治すことが
必要です。例えば、「先生、話があるんです!実はですね!」と患者が声をかけた瞬間に目が
あっちの方をむいてしまっています。患者は話している間中、目がずっとそのようになっていま
す。

    

これは考えにはまりながら話しているので、心が相手を見ているのではなく、自分の思考と話
をしているのです。だから、心が通じないのです。

そのことを患者に注意して、目があっちの方を向いた瞬間に、「目があっちを向いています
よ!」と指摘します。患者と会話をしながら、何度もそれを注意すると次第に患者が自分の視
線の異常に気がつき、治療者の目を見て話すことができるようになります。それとともに患者
の心も次第に落ち着いてきます。目を見て話すことで幻聴が消え、「調和波動=生気」により
体や心が楽になる感じを覚えてもらうわけです。

さらに、目をみることに集中させるためには患者に治療者の左右どちらかの目をみさせること
です。患者には治療者の見やすいほうの目を見ることをすすめます。治療者の瞳を見させるこ
とで治療者にも患者の目の様子がよくわかります。

例えば、治療者の左目を見させながら、質問をします。

「昨日の夜は何時に寝ましたか?」すると「えーっと?」と目があっちのほうを向きます。この瞬
間に「これが問題ですよ!」と指摘します。そうして治療者の左目を見ながら答えを探す訓練を
するわけです。この治療法によって患者は自分の状態に気づいてそれを治せるわけです。

一点を見ると思考が消え、幻聴幻覚が消えるのがわかる。

   

治療者の片目を見させる(一点を見る)と、その瞬間に思考が消える感じを患者に自覚しても
らうことです。そして、一点を見ることで思考が消えた瞬間に幻聴幻覚も消えています。

どんな統合失調症患者でもよく注意させると、ほんの2、3秒の間は一点注視することができま
す。よく注意してもらうと、その瞬間に思考が消えています。そのとき、「今、幻聴が消えている
でしょう!」と指摘します。見ることで思考が消えた瞬間に幻聴も消えることを憶えてもらうので
す。

しかしながら、そう指摘した瞬間に、また「えっ、どういう意味?」と思考にもどってしまいます。
指摘されたのを思考で捕らえようとするわけです。その瞬間にまた思考に戻り幻聴が戻ってし
まっています。そして、「意味がわからない」と言います。

というのも思考人間は言われたことすべてを意味として思考で理解しようとするくせがあるので
す。すなわち思考のほうに入れようとするわけです。その瞬間に思考にはまり、目が動いてい
ます。そうするとまた、「今、また思考に入っていますよ。見る、見る、ですよ!」と注視をうなが
します。そうして、「見る」に集中したとき、また幻聴が消えます。このように、何度も一点を「見
ること」で幻聴が消える感覚を憶えてもらうことです。

一点を見ると苦しくなってやめてしまう

 一点を見ると患者が苦しくなってしまうことがよくあります。先にも説明したように、自分の中
に染み付いている苦しみ=「不調和波動」が表に噴き出してしまうからです。中には嘔吐が出
たり、心の底にしまっていた激しい怒りや悲しみが湧いてきたり、します。そのような症状の噴
出しに動揺してしまい、途中で一点を見ることを止めて思考にもどってしまいます。多くの患者
が治療を途中で中断してしまうのも、これが原因の一つです。

あらかじめそれを患者に説明しておくことです。「一点を見ると苦しくなってくることもあります。
それはあなたの心の奥にあった苦しみ=不調和波動が表に吹き出てくるから苦しいのです。
それをすべて噴き出させることで解消しないといけません。そのためには、苦しくなってきても、
「一点を見る、見る」をし続けることです。次第に苦しみが安らぎ、暖かさに置き換わってきま
す、そうするもうそこには治癒があります」と。あらかじめ、そのように指導しておくと患者もそれ
を超えることができます。

3、治療者の「調和波動」を患者に共感させる。

次には患者の「不調和波動」を治療者の「調和波動」に共鳴させて「不調和波動」と入れ替える
治療です。

    

まずあらかじめ、前項で説明したように、治療者と患者は対面して座り、お互いの瞳の一点を
見て、お互いの思考を消します。これを2,3分から4、5分ほど行います。思考が消えたのを
患者にも確認してもらいます。

次に、相手の手をにぎります。すると次第に患者は、治療者のにぎった手のあたたかさを感じ
ます(もちろん治療者は「調和波動=生気」の状態にあるから患者はそれを暖かさとして感じる
わけです。もし、患者が治療者の手を冷たいと感じるようなら、その冷たさに注目してもらいま
す)。治療者の手の暖かさを患者が感じることができたら、もう治癒の段階に入ったようなもの
です。それは患者に「調和波動=生気」への感受性があるということです。

次に、患者に目を閉じさせて、しばらくこの暖かさをじっと心の目で見るよう促します。そうする
と次第に治療者の手から伝わる暖かさが患者の体全体に広がっていくことがわかります。する
とそれとともに、次第に患者の中にある苦しみ=不調和波動が、暖かくて安らかで気持ちのい
い調和波動に置き換わっていくことがわかります

約5分程度で患者の苦しい不調和波動が調和波動=生気に置き換わっていきます。治療者に
も、患者の苦しみが軽くなって、暖かさに置き換わっていく事を感じることができます。そのうち
に、患者の苦しみ「不調和波動」はほぼ完全に消えてしまいます。患者は暖かくて透明な感じ
に包まれます・中には苦しみの芯(苦玉)が残る人もいますが、治療前よりは軽くなったと訴え
ます。それを完全に消えるまで何度か繰り返し行うわけです。次章ではその芯の消す方法を記
載します。

さらに、この治療を行った後に、後で説明するように暖かさを感じながら(心の目で見ながら)
小時間ほどベッドで寝てもらう治療をしています。そのような状態で睡眠に入ってもらうと、熟睡
することで、目が覚めると完全にすっきりと苦しみが消えるものです。これが治癒です。    
   

  

心の暖かさを感じない!

一方、思考にはまっていると、暖かいという感受性(「調和波動」への感受性)が全くありませ
ん。これが統合失調症患者の大半です。それは、「調和波動=生気」、すなわち心の暖かさへ
の感受性が全く身につけてもらえなかった一生だったからです。それは赤ちゃんのときから、
ずっと親の思考にはまった「不調和波動」の環境に置かれ続けていたから心の暖かさ(調和波
動=生気)への感受性が育まれなかったのです。すなわち、他人の心を暖かいと感じる心こそ
が人と人との通い合いの原点なのですが、そんな能力がつけさせてもらえなかったのです。他
人と一緒にいて気持ちいいという感覚が育ててもらえなかったのです。また、親にも全く同じ様
な感受性の欠損状態が見られます。だからこそ、親と患者の二本立てで治療する必要がある
わけです。

もし、治療者の手を握って、手の暖かさを感じることができたら、「この患者は治すのが比較的
容易である」とわかるわけです。多くの場合、このような患者や親では比較的短期間に治すこ
とができます。

    

逆に暖かさを全く感じないという患者は治すのに難渋して長期間が必要なことが予想されま
す。まるで心のない石に向かって話しかけているような虚しさを治療者も感じます。たとえ、この
ような患者や親でも粘り強く治療すると次第に暖かさの感受性が芽生えてくるものです。それと
ともに治癒が起こり始めるわけです。それに要する期間は長い患者でも2、3ヶ月で可能です
が、最長5年かかった親子もいました。治したいという強い親や本人の気持ちさえあれば治療
者が粘り強く治療を続けていけば治癒せしめることができます。

暖かさをイメージするのではありません。実際の手の暖かさを見る(感じる)ことです。

先にも指摘したように、思考人間はここで決定的な間違いを犯すことがよくあります。すなわち
暖かさをイメージするのです。暖かいものを想像するわけです。あるいは「暖かくなれ、暖かくな
れ」と心の中で唱えたりします。これも思考ですので、治癒には決して結びつきません。患者が
そのように思考に入っている時には、目を閉じていても、まぶたの上から目がきょろきょろと動
いているのでそれがわかります。そのときに、イメージするのではなく治療者の手の実際の暖
かさに気持ちを集中することをうながします。実際に治療者の手の暖かさが伝わってくるのを、
見る(感じる)ように注意するわけです。

これが「治り」の状態ですよ!

「不調和波動」が「調和波動」にほぼ置き換わった時、患者には「今、あなたは治っている状態
ですよ!」と治っている今の状態を指摘し、治癒の状態を体で覚えてもらいます。多くの患者は
長い間「不調和波動」にさらされ続けていたので、何が治ることなのかも、わからないのです。
だから「今が治っている状態ですよ!」と教えてあげる必要があるわけです。

しかしながら、患者は「えっ、どういう意味?」とすぐに思考にもどってしまい、そして苦しかった
ことを思い出してしまいます。そうして、「先生、やっぱり苦しい!」と。これで元の木阿弥です。
思考にはまってしまっています。これをまた「見る、見る」で、今の瞬間に意識を戻す必要があ
ります。「思考に戻っていますよ!もう一回「一点を見る」、「暖かいのを見る」ですよ。集中しま
しょう。すると、どうですか?見ている今の瞬間は苦しいですか?よく注意して下さい。今の瞬
間ですよ!」そう指摘すると、「そういえば見ている今の瞬間は苦しくはないです」と患者は見る
ことに集中すると確かに苦しいのが消えていることに気付きます。すなわち思考に入った瞬間
に苦しくなり、今の瞬間に戻ったとき(見るに集中することで思考が消えた時)苦しみも消えてい
ることを理解するわけです。こうして患者が自分の意識を区別できたとき治癒に向かうわけで


また思考にはまってしまう。これが難渋する原因です。

しかしながらこのようにして治した患者も、診察室を離れた瞬間に、あるいは家にもどった瞬間
にまた思考にはまってしまいます。それはまた日常の「不調和波動」の環境に巻き込まれてし
まうからです。親の顔をみた瞬間に元の木阿弥になっています。これが、多くの統合失調症患
者がなかなか治らない原因です。だからこそ、発信源の親の理解と治療が必要になるわけで
す。そして、何度も繰り返し「調和波動の状態」に戻してあげることが必要です。そしてさらに、
心が軽くなるにしたがって、このような親からはなれて空や海や草などの自然と向き合うよう指
導します。そのためには歩く事を指導しています。空や草を見ながら歩くことです。

一般の不安神経症やうつ病などの精神疾患の場合、たいていは4、5回の治療でコツを覚え
完治するものです。先にもお話したように統合失調症ではさらに長くかかります。それでも、何
度も治療しているうちに、患者は自分の思考が消えることで苦しみが消えた状態を体得してく
るわけです。そして、思考にはまって苦しくなると、「これは、異常な状態である。あの正常の状
態にならなければいけない!」と自覚するようになるわけです。このような自覚ができたらもう
治癒の途上にあるわけです。

患者に自分についての事実を気づいてもらう

そして、患者にはなぜ統合失調症なったのか、というこれまで指摘した家族や親の問題の事実
について自覚してもらいます。すなわち、これまでの人生がずっと思考にはまってしまったこと、
家に戻ると悪くなること、親と心理的に密接に関係すればするほど悪くなること、などを自覚し
てもらうわけです。すなわち、事実を事実として認識するようになるわけです。このような事実認
識が治癒につながります。

この時、注意すべきことは、患者に治療者の考え方を押し付けることではありません。事実を
事実のとおり、ありのままに、気づいてもらえるかが大切です。確かに、治療者の言っているこ
とが事実であると患者が認識するようになると、そんな親から離れて自立しようとする心が出て
きます。心配し続ける親の問題に気づくようになります。そし「不調和波動」に満ちた家から離
れようと努力し始めるわけです。

ところで、多くの親は子供が自分の状況に気付きだし、次第に反抗するようになるのに戸惑う
ことがあります。「医者に洗脳されたから、子供が親の言う事を聞かなくなった」と。そんな親に
は子供が治るのには親に反抗することが必要であることをよく理解してもらうことです。

4、頭に刺さった棘を抜く

          

統合失調症の本態は体全体に「不調和波動」が満ちており、その中心として緊張の芯が頭に
ささっているからだと説明しました。その芯を抜く方法を説明します。

そのために第一にすべきことは、前項でお話したように患者の意識を思考にはまっている状態
から思考が消えている状態に誘導することで、体全体に蔓延している緊張の「不調和波動」が
消えてきます。多くの場合それだけで完全に芯まで消すことができますが、最後に芯の部分だ
けが残ることも多々あります。

         

この芯の部分を残してしまうと、またそこから症状が発生してしまいます。その芯を残らず抜い
てしまうことが完治には必要です。患者にも苦しみの芯がすべて抜けた完治と言うものの感じ
を知ってもらうことになるわけです。

              

             

芯を抜き取る方法として瀉血を行っています。緊張の芯が刺さった頭に部位を点の部分にまで
特定します。よく注意して「見る」と治療者にも患者の頭に緊張感の中心がわかります。また、
患者に頭の痛いところや重いところ指差してもらうと特定できます。その部分を爪などで刺激す
ると患者もツボに当たっていることがわかり痛がります。「そう、そこ、そこです!そこが当たっ
ています!」と訴えます。このポイントに23番注射針(穿刺できればどんな針でもいい)で刺し、
少量の出血をさせます(瀉血)。ちょうどそれは血糖検査などで指頭穿刺をするのと同じような
感じです。そうしたあと自然に流血するなら流れるにまかせ(ガーゼなどでふき取りながら)、流
れないようなら指で少量の血液をしごき出します。すると最後の芯が抜けてすっきりと意識が
何のわだかまりもない完全透明な状態になります。

これで患者は芯まで抜けて、完全に透明ですっきりした感じを覚えるわけです。「これですっき
り、透明な感じ!」と。

    

5、睡眠導入法

「見る」ことで良好な睡眠(熟睡)に導入する方法を提示します。統合失調症の患者は家庭に充
満している「不調和波動」により不眠を訴えます。悪夢にうなされるような不眠です。それは「不
調和波動」によるものです。家族全体として「不調和波動」に満ちているので、家にいること自
体が不眠につながります。そんな家から離れると熟睡できることが多いものです。たとえば治
療者の診察室近くのベッド(「調和波動=生気」が満ちている場所)で睡眠をさせると熟睡する
ものでます。そのために、すべての患者にたいして、前項のように「不調和波動」を「調和波動」
に入れ替えた後、診察室の近くに用意してあるベッドで小1時間ほど睡眠をうながしています。
ここで熟睡することで完全に「不調和波動」を「調和波動」に置き換えてしまうわけです。

しかしながら、このようにして治した患者でも家に帰るとまた「不調和波動」が充満している場所
に戻るわけですから、とたんに悪夢にうなされて眠れなくなるものです。これを何度か経験させ
ると家の「不調和波動」に気づくようになり、そんな家から離れようと努力するようになります。

ところで、不眠になる原因は、だれでも床に入って寝ようとしても、これまでの思考のぐるぐるま
わりがとまらずに、それによっていっそう緊張の波動「不調和波動」が頭や体に蔓延して眠れ
なくなったものです。夢を見たり、熟睡感がなかったり、夜中に起きてしまうのも、思考にはまっ
たことによって「不調和波動」が体に染み付いているからです。「不調和波動」を「調和波動=
生気」に置き換えると熟睡します。その方法を提示します。

布団を敷いて寝る準備をしたら、灯りをつけたまま布団の上にすわりましょう。あぐらをかいた
り、とにかく楽な姿勢で座り、目の前の一点を見つめましょう。

    

壁のシミでも何でもいいですから、ただ目の前の一点を見ることに集中することです。それは、
一日中してきた頭の中の思考のぐるぐるまわりを消して無にしてしまうことです。

これを10分から20分くらい行います。すると次第に、頭から思考が消えて空っぽの状態になっ
ていきます。そうすると同時に次第に体全体から苦しい感じ(不調和波動)が抜けていって、温
かくて、ほんわかとした感じ(調和波動)が体にしみわたってきます。思考が消えることで「不調
和波動」が消え、「調和波動=生気」が出てきたわけです。そうして、体全体がほんわかしてき
たら、次は灯りを消して布団に入ります。

           

暗闇の中で目を閉じながら、心の目で暗闇をよく見つめることです。まぶたの裏を見つめるよう
な感じです。見つめていると目の前に光模様が見えてきます。

        

それは光のまだら模様であったり、まぶしい光の点滅であったり、増減であったり、とにか

く色々ですが、ただ目の前に見えてくるものを見ることです。ただし、光をイメージしてはいけ
ません。それも思考ですから。とにかく目の前の暗闇をじっと見ていると必ず何らかの光模
様が見えてくるはずです。それを見ることです。その光は色や形が無限に変化していきます。
ちょうどそれは万華鏡を見ているようです。実は、この光模様こそが「調和波動=生気」であ
り、それを心の目で見ているわけです。それが心の光と言われるものです。

その光模様を見つめているといつのまにか必ず寝てしまいます。それだけでなく、熟睡してしま
います。それは夢を見ない睡眠ですから、朝起きたらすっきりさわやかです。いっぽう、夢を見
る睡眠とは睡眠中に思考にはまっているので、「不調和波動」を体中に蔓延させてしまいます。
だから、朝起きたらぐったりして目覚めが悪く、気分が悪い、ということになってしまうのです。こ
のような場合にも、この睡眠誘導法がきわめて有効です。夜中に目が覚めて眠れない人にも
きわめて有効な方法です。

          

しかしながら、こうして光模様を見ている時でも、つい思考の横槍が入ってきます。その瞬

間に光模様が見えなくなり、不愉快な真っ暗闇になります。これが不安や恐怖の元です。これ
が心の闇(「不調和波動」の世界)です。心の闇は思考が作るものなのです。

それに気づいたらまた、また「闇を見る、見る」にもどします(もちろん、目を閉じながら)。する
と、また光模様が見えてくるはずです。これでOKです。次第に体も楽になってきます。ところが
また癖で、思考に戻ってしまいます。するとまた真っ暗闇になります。それに気づいたらまた、
「闇を見る、見る」に戻します。それを何度も繰り返しているうちに、いつのまにか寝てしまって
います。

※診察室近くでの睡眠

前章で説明したような対面治療を行ったあとで、診察室近くのベッドで休んでもらいます。治療
者は「調和波動=生気」の満ちた状態で患者に向かいます。横になって目を閉じている患者の
胸やお腹に治療者の手のひらをあてます。すると、患者は治療者の手暖かさを感じます。患者
は目を閉じながら、その暖かさをじっと心の目で見ているよう促します。すると患者の体全体に
次第に暖かさが広がっていって、苦しみ=不調和波動と入れ替わっていく感じがわかります。
「この暖かさを見ていましょう。暖かさに体を任せることです。眠くなったら、そのまま寝てしまっ
てください。眠れなければ眠らなくてもいいですからそのまま暖かさを見つめていていください。
思考の横槍がはいってきてもほっておいて、暖かさをじっと見つめていましょう。30分か1時間
ぐらいで体中がすっきりしているはずです。」このように指導して小1時間ほど休んでもらってい
ます。

6、全く理解しない患者をどうするか。

特に、青少年に多いのですが、治る気が全くないことがよくあります。それは完全に親に依存し
ている子供で、治療者の話を聞く耳を全くもちません。特に親が目の前にいると依存心が表に
現われ、ふてくされて治療者の言うことを聞こうともしません。

そのような場合には本人と親を分かし、完全に本人と一対一で面談をすると治療者の話を素
直に受け入れることがあります。もし、それでも拒否するようであれば、子どもを治療に引き入
れることはできません。こんな場合には子供はほっておいて親を治療することです。子供の心
がたとえ治療者の方を向いてなくても、子供は親だけには向いています。だから親を治療する
ことで親が思考から抜け出ると同時に子供も改善に向かいます。多くの子供はこのように治療
されるのを拒否します。子供には「自分を治すのではなく親の方こそ治してほしい」という直感
が働いているのかもしれません。それは真実です。だから、親を治すことです。

中には親のほうも、治療者の話を聞くことができないことが多々あります。それは親が完全に
思考にはまっているのです。ちょうど岩に向かって話をしているようなものです。まったく心が通
じません。このような親の場合、治療によって手をにぎっても、治療者の手の暖かさを全く感じ
ないという人も少なくありません。親も、元来、人と心を通じることができず、生まれてこのかた
心の暖かさというものを感じたことが一度もない人間だからです。それは親もまた思考に完全
にはまってしまった親に育てられてきたからです。心の感受性がブロックされてしまっていま
す。だからこそ、子供が心を病んだのです。ひきこもりや統合失調症の親に特徴的なもので
す。このような親は心を治癒せしめる(すなわち暖かさを感じる心を育む)のに比較的長い期
間を要しますが、それでも粘り強く治療していけば水滴が岩を穿つように治癒せしめることがで
きます(ある母親は一年かかりました)。はじめのうちは親が治療に対して理解していなくても
親のほうに「何とか子供を治したい」という強い意志さえあれば、あきらめずに親の治療を続け
ることです。いつの日か、親子共に目が覚めたように治るものです。すなわち、統合失調症は
必ず治ると断言できるものです。

治る気のない患者

それでも治らない患者は多数います。というよりも、初めから治る気の全くない患者です。これ
が極めて大多数です。特に、統合失調症で無料の薬物をもらい、完全に福祉に依存した生活
になっている患者は治る気が全くありません。このような患者に仕立て上げたのは医療や福祉
体制そのものの問題です。こうなってしまってはもうどうにもなりません。医療全体の問題にし
ないといけないでしょう。

薬物を長期大量投与されている患者は薬物により脳が麻痺状態になり、こちらの目を見ようと
いう意欲さえも欠落しています。しかし、そんな、一見どうしようもないと思える患者でも、意外と
治療者によく反応することも多いものです。今まで誰もそのように患者は真剣に見てもらってい
ないので、治療者が真剣に患者を見ると、すぐに反応することがよくあります、だから、先入観
を持たないで、治したいと思う患者には全力で向き合うようにしています。そうして治療に反応
するようになったら、薬物を次第に減らしていく必要があります。治療を始めてしばらくのうち
は、これまで服用している向精神薬に関してはそのまま服用してもらい、症状が改善し次第、
減薬を指示するようにしています。薬を減らずにしたがって、治療にもいっそう反応してくるもの
です。

患者が完全に錯乱していると、この治療にも全く反応しません。そんな状態であれば、精神科
に入院してもらい、薬物投与などで錯乱状態がおさまってから、治療をするしかありません。

治せない患者。

実は、中には何ヶ月も治療してきたのに、それでも心が岩のように硬く閉ざされていて最後まで
まったく暖かさを感じられないでとうとう治療をあきらめて通わなくなってしまった患者もいます。
そのような患者でも粘り強く治療していけば、必ず治癒に持ち込むことができます。治療者の
ほうがあきらめないことが大切なのです。それは、患者が望むかぎり治癒を目標に治療し続け
るということです。ところで、患者が治らないのは多くの場合、親のほうに問題があります。それ
までは患者自身に問題があると思って治療していたのに、実は、患者の親が「不調和波動」を
患者に出し続けていて、それに気づかないまま患者本人だけを治療していたというのがほとん
どです。そのような親子はたとえ、患者が中年になっていても、先に説明したような親子の一身
同体の鏡像関係から離れられないのです。だからそんな場合、どうしても親を治療することが
必要なのです。しかし、その親のほうが治療を拒否することがよくあります。最近は中年になっ
てもそのような親子関係にある症例が多く見られます。


第十一章;瞑想の方法

(意識を「思考が消えている状態」にする方法)

はじめに

瞑想とは、心が思考でいっぱいになっているのを消すことで、心を透明にすることです。心の状
態が根本的な変化をとげることが目標です。すなわち今までの自分を脱ぎ捨てて、全く別の人
間になるわけです。

そのためには「自分を完全に変えたい!」こんな気概で望むことが大切です。逆に、今までの
自分はそのままにしておいて、ちょっとそれに何かを付け加えるような態度では無意味です。
自分を根っこからがらりと変える気概で瞑想を追及していると、必ず成果が現われます。だか
ら真摯に瞑想を追及することです。そうすれば必ず結果が得られます。

瞑想によってあなたの苦しみを根っこから消し去ることができます。またそれが最終目標でも
あります。肉体的な苦しみでも、心理的な苦しみでも、すべて消えます。というのも、肉体の苦し
みも根源的にはすべて心から来るものです。そして、その原因は思考にはまっていることによ
るものです。その思考にはまっている状態から脱け出すことで、肉体の苦しみも、心の苦しみ
も完全に消えてしまうわけです。

瞑想とは無になること?                       

            

確かに瞑想とは無になることです。しかしながら、多くの人が無になろうと努力するから無にな
れないのです。

これはどういうことでしょう。例えば、自分の頭の中を黙らそうとして、「黙れ、黙れ」と叫んでい
るようなものです。よく、瞑想とは思考が消えた状態だと聞くと、「考えないようにしよう」と考
える人がいます。これが思考人間の癖で、これこそが問題なのです。また、例えば瞑想とは
「天国に行くことだ」としましょう。でも、あなたは天国がどんなものか、天国がどこにあるのか知
りません。だから、天国に行こうとしても行けるはずがありません。同じ様に、あなたには無と
いう状態の経験がないのに、無になろうと努力しても無になれないのです。

いっぽう、思考は色々な無の状態を想像して作ります。そして、思考が作ったところの無になろ
うと努力します。しかしながら、その無は思考によって作られたものだから、まがい物なので
す。だから、思考が無になろうと努力しても決して無に行きつけないのです。その思考そのもの
が消えることが肝心なのです。無とは思考が消えた状態なのに、「無」になろうとする行為が思
考なので「無」になれないのです。それが、思考人間が決して無になることができない理由で
す。

これが根本的な問題です。

さらに、無についての知識をいっぱい仕入れても、無になることはできません。

           

            

それは例えば泳ぎをおぼえることに似ています。泳げない人にとっては泳ぐことは死ぬことに
等しいほど難しいはずです。しかしながら、泳ぎをおぼえている人は泳ぐことなんてあんなに簡
単なのに、と言います。瞑想もそんなものです。

ところで、思考人間に泳ぎをおぼえなさいというと、泳ぎについての知識をいっぱい仕入れよう
とします。ちょうど図書館で泳ぎについての本をいっぱい読んで水泳の知識をたくさん仕入れよ
うとするもので、それでも、ちっとも泳ぎを習得できないはずです。これと同じです。泳ぎというも
のは、は実際に泳いでみて、体で、体感として憶えるでしょう。瞑想もそれと同じです。

 

ここではこうして、矢印だけを示しておくことにします。このほうに行けば無になれますよ、と。無
になろうと努力しないで、矢印の方向に従って行ってみると、いつのまにか天国にいた、すなわ
ち「無」になっているというわけです。だから、とりあえず、「無」になろうとするのはやめて矢印
の方向に向かって進みましょう。

瞑想の準備

     

                      

              

瞑想するには、周囲に雑音がない静かな場所で行うことが大切です。雑音があると心がその
雑音にひっぱられてなかなか瞑想に入れません。例えば、そばでぺちゃくちゃおしゃべりをして
いるとついそのおしゃべりの内容が気になってしまうでしょう。だから静かなところで、一人だけ
で行うことが原則です。

瞑想を習得するようになると、たとえ雑音の中でも、どんなにうるさいところでも瞑想することが
できるようになります。例えば、電車の中でも。みんながぺちゃくちゃしゃべっている教室の中
でも。目を開けても、閉じても。座っていても、歩いていても。最終的にはいつで心が瞑想状態
になれることが大切なのです。そうして、瞑想に習熟してくると毎日の生活をあたりまえにして
いながら、瞑想状態の心で生活できるようになります。それは、いつも無条件の幸せに包まれ
ながら生活するということです。例えば、料理を作っていながら心は瞑想状態。車を運転しなが
ら心は瞑想状態(運転中に瞑想していると事故を起こすんじゃないか、というのがよくある思考
人間からの質問です。瞑想とは注意の全体を目の前に集中しているので、むしろ事故を起こさ
ないのです。逆に、事故を起こしやすい人は運転しながら思考にはまっている人です。すなわ
ち思考にはまって心ここにあらずの状態=夢想状態にあるのです。それは、目の前にものに
心が集中してないのです。瞑想と夢想はまったく逆のものです)。そして仕事をしながら心は瞑
想状態です。それは仕事に能力が百%発揮できる状態です。瞑想の心、すなわち無心で毎日
の生活ができます。それは愛の心です。そうすると人間関係も、仕事も、心も、体も、すべて完
璧な状態になれます。あらゆることがうまくいきます。というのも、人間一人の心はこの世界全
体に波動のように影響し、影響されているのです(それに気づくことが瞑想の真髄です)。だか
ら、あなたが為す事、為す事うまくいくのです。それは自分だけでなく、家族も、周囲の人間も、
本当に幸せになることなのです。

心が瞑想状態になると、自然に死が怖くなくなります。死とは自我の消失です。瞑想も自我の
消失です。瞑想とは生きながら死ぬことともいえるでしょう。そして、死とは己を超えた何ものか
へと、心が帰順することです。瞑想もそうです。生きながらそれを体験することです。瞑想は自
分を超えた存在に気づくことであり(理屈ではなく体感として)、死を超えたものが何であるか直
感として理解できるようになります。お釈迦様は、「死んだらどうなりますか?」と弟子に聞かれ
て、「死んでもずっと、ここに居る。」と答えたそうです。この意味が感覚としてわかるようになり
ます。

瞑想とは体の形ではなく、心の状態です。しかしながら、瞑想に慣れるまでは、瞑想に集中で
きるように、一定の形式を決めて行なったほうがいいでしょう。すなわち、雑音のない静かな場
所で行うようにしましょう。そして、できたら同じ時間、同じ場所、隣に人がいない場所で、単独
で行ったほうがいいでしょう。  

  

             

同じ時間、同じ場所というのは大切です。毎日そのように瞑想していると習慣化して自動的に
心が瞑想状態になってしまうものです。できれば同じ場で行うようにすることも大切です。という
のも、瞑想の心は波動のように周囲に浸透します。部屋の調度品や壁などにも。瞑想の波動
(調和波動)が周囲に浸透して、何度も同じ場所で瞑想をしていると、その場所が瞑想状態に
なり、そこに座っただけで心が瞑想状態に入れるものです。

一日の時間でも瞑想ができる時間と、なかなかうまくいかない時間があります。例えば、早朝
は、それまでの睡眠中の夢のなごりがあります。思考にはまった状態が夢です。朝起きたら、
ぐったりして、気分が悪いというのはそれが原因です。それは瞑想とは逆の状態です。そのよ
うな状態で瞑想しようとしてもなかなかできないものです。だから、起きてすぐに瞑想しようとし
てもなかなかできないものです。しばらく散歩をしたり、身体を動かしたりして、夢の影響がなく
なってから瞑想をしたほうがいいでしょう。夕方も一日中仕事でばたばたして、心がわさわさし
てなんとなくおちつかず瞑想するのに苦労するものです。それに気づいて瞑想をし、そのわさ
わさの心を取るのが瞑想の本来の目的なのですが、はじめのうちはなかなかうまくいかないも
のです。そういう時には、1時間ほどゆっくりとした時間をつくり、体や心を休めてから瞑想する
ようにしたらいいでしょう。

最もいいのは、日曜日などに海岸端などで、人気のない場所で海に向かって瞑想することで
す。木々の緑の前も絶好です。緑や海を前にすると瞑想状態が高まります。実は、海や木々
は瞑想の素晴らし「調和波動」の状態にあるからその波動に共鳴して瞑想に入ることができる
わけです。

よく多人数で瞑想することがありますが、これには問題もあります。それは、みんなが瞑想状
態になってないことが多いからです。実は、みんなが瞑想しているふりをしているだけのことが
よくあります。みんなが瞑想に入ってないと、その場の雰囲気も瞑想の状態ではなくなります。
その雰囲気の影響で、ちっとも瞑想には入れないで、逆に、それが瞑想だと勘違いしてしまっ
ていることがよくあります。だから、基本的には一人で海や緑に向かって瞑想することをお勧め
します。

瞑想の姿勢

             

よく、瞑想の姿勢にこだわる人がいますが、基本的には姿勢はどうでもいいのです。目を閉じ
てもいいし、開けていてもいいのです。要は心です。姿勢にこだわると心がおろそかになりま
す。立っていてもいいし、座ってもいてもいいし、寝ていてもいいのです。しかしながら、寝なが
ら瞑想すると癖でつい眠ってしまいます。立って瞑想すると、すぐに、人間はちょろちょろ動き
回るくせがあって、瞑想には入れないものです。そういうわけで、座って瞑想することにしましょ
う。

 座っていて、いつまでも同じ姿勢で保てることが大切です。座ると、すぐに腰が痛くなったり、
足が痛くなったりすると痛みに気が取られて瞑想に入れません。だから、座っていても痛みが
来ない楽な姿勢がもっともいい姿勢です。

お尻に座布団などを敷いて、楽に座れるようにして、あぐらをかく姿勢がもっとも無難でしょう。
背筋はすっきりとのばしたほうが、いつまでも同じ姿勢を続けられます。ちょうど皿回しのよう
に、背骨の棒の上に頭がバランス良く乗っかっている感じです。背中を丸めているとバランス
が悪くて、そのうち背中がきつくなってきます。逆に、背筋をのばすときついという人は背中をど
こかにもたれかけてもいいです。とにかく楽な姿勢が続けられるのがいいのです。足が組めな
い人は椅子に座ってもいいでしょう。手は適当に膝の上に置いてもいいでしょう。両手はくっつ
けないで離したほうがいいです。というのも、思考にはまり癖のある人はよく両手の爪をつけて
ホジホジしていることがよくあります。これが思考にはまっているサインです。そんな癖のある
ひとは両手を離して膝の上などに置くことです。

瞑想しているうちに姿勢がきつくなるようなら、身体を動かして、楽な姿勢に直しましょう。苦しく
ても自我慢して同じ姿勢をずっと保とうと努力すると、それにだけ気持ちが行ってしまうので瞑
想状態に入ることができません。

要するに姿勢にこだわることなく、心が瞑想状態になることに集中することが、大切なのです。
だから、途中で体がきつくなったら、足を伸ばしてもいいし、横になってもいいし、姿勢を崩して
結構です。あくまで、大切なのは心です。

また、タイマーなどで時間を決めて行う人もいますが、そうすると時間を過ぎるのを気にして瞑
想に入れないことがあります。だから、自分がこれでいいと思うまで、時間を決めずに行ったほ
うがいいです。

心の準備

瞑想の姿勢ができたら次にすることは心の準備です。瞑想が必要なあなたの心は常にあちこ
ちと動き回って、思考のごちゃごちゃが止まらない状態になっています。それが苦しみの原因
なのです。それを消すのが、瞑想の第一歩で、そして終点でもあります。

 

一点を見る

思考を消すためには「目が一点を見ること」です。一点を見ると強制的に思考が消えます。そ
れは、目の前にある、壁の染みなど、をじっと見るのです。紙に小さな○を書いて目の前に貼
っておいて、○の中心をじっと見てもいいです。宗教画や気に行った写真など自分が大切と思
う物を見る人もいますが、そうするとつい、思考が働いてしまうものです。これはきれいだなあ、
とか、仏様のような心になろう、あるいは、その絵の意味を考えようとするのです。それでは瞑
想に入れません。何でもない無意味な一点を見るほうがいいです。

              

一点を見ると思考が消えます

一点を見ると一、二分で思考が消え、頭の中が透明になります。これが導入でもあり、終点で
もあるのです。しかしながら、この透明の状態をずっと保ち続けるのがむずかしいことが一番
大きな問題なのです。というのも、思考癖のあるひとは、すぐに、思考の横道にそれてしまうか
らです。一点を見ているうちにすぐに思考が横槍を入れます。「そういえば、あの仕事はすませ
ていたかなあ」「あれ!このしみ洗ってなかったよ」「お茶の準備がしてないなあ」「おなかが空
いたなあ」などと。これが問題なのです。気がつかないとそのままどんどん思考にはいってしま
っています。そのとき、思考にはまっているあなたは「だめだ、だめだ、こんなことではだめだ」
と自己批判をします。自己批判も思考です。こんな自己批判をあなたはずっとこれまで繰り返
してきたのにちっとも変わりませんでした。それどころか余計に苦しくなります。

自己批判ではなく気付きです。「あっ、思考にはまっている」と気づくのです。気づいた瞬間に思
考から「見る」に戻っています。自己批判は地獄への、気付きは天国への道です。思考の横道
にそれたことに気付き、「一点を見る、見る」で戻すわけです。瞬時に心が戻っています。

瞑想しているうちに苦しくなってくる

     

 

一方、思考にはまりぐせがさらにひどい人はまったく一点を見ることができません。というのも、
一点を見ると苦しくなってくるからです。そんな人は瞑想をしたから苦しくなったといって、瞑想
をやめてしまいます。しかし、瞑想が人を苦しめることは決してありません。

それでは、なぜ苦しくなったのでしょう。それは、一点を見ることで思考が消えると、体に染み付
いている今までの人生で溜まっていた心の苦しみが表に噴き出してくるのです。自分の心中の
苦しみに気づいてしまうのです。それが一点を見たときに苦しくなる原因です。思考にはまった
人のこれまでの癖で、(これが苦しみから抜け出せないもっとも大きな理由ですが)、苦しくなる
と、あわててそれから逃げてしまいます。「一点を見る」ことから思考の世界に逆戻りするので
す。それがまた、もとの木阿弥になるのです。それではいつまでも苦しみから解放されません。

だから、瞑想中に苦しくなってきても、その苦しみを、目を閉じながらも、心の目でじっと見つめ
ていることです。じっと苦しみを見つめているとそのうち(五分か十分くらいで)苦しみが次第に
消えてくるはずです。霧が晴れて青空がひろがってくるように。これが、瞑想が究極に行き着く
地点です。そこまで行ったら完璧です。あとは体中に幸せな波動が染み渡ってきます。

ところで、思考はきわめて巧妙です。「無」を空想します。それは思考ですので無になっていま
せん。よく、本などから無の情報を仕入れてくる知識偏重の人によく見られます。それがまがい
ものであり本物の無になってない証拠は、いつまでも心中の苦しみが消えていないことです。
本物の無になれれば一瞬にして苦しみが消えています。

また、思考は楽しいことを想像しようとします。これでも無になれません。よく、プラス思考しよう
とする人もいますが、それも思考ですから、苦しみは解消することができません。

             

同じ様に、「瞑想とは宇宙とつながることである」などと瞑想の本などで教えられると、瞑想中に
宇宙を想像します。想像も思考ですから、瞑想になっていないのです。よく、瞑想を習慣にして
いるいわゆるスピリチュアル系の人達が誤る原因です。それでは瞑想ではなく、自分の思考が
作った想像の世界にはまっているだけなのでちっとも、苦しみから解放されません(瞑想ではな
く空想です)。また、そのように間違って伝授する瞑想の専門化も数多く存在し、間違った瞑想
法を伝授されるから、いっそう混乱して一向に苦しみから解放されないということになるわけで
す。だから、本物の瞑想を得るには誰にも頼ることなく、自分自身の力で瞑想を追及すること
が必要なのです。

心は「思考にはまっている」か、

見ることで「思考が消えている」かのどちらかです。それに注意しましょう

 

よく思考ぐせのある人がこういいます。「わたしはゆっくりと時間をかけて無になることを体得し
ます。」これが、間違いのもとです。そうすると一生かかっても瞑想を会得することができないの
で、苦しみを解消することができないのです。

        

瞑想とは「見る、見る」ことで心を全身全で今の瞬間につなげることです。   

 

それとは反対に、思考は心が今の瞬間につながってなくて、常に過去と未来に心が行っている
のです。だから、思考人間は、将来は瞑想を体得できるだろうと、将来に期待して今の瞬間に
集中していないのです。今の瞬間を逃しているのです。だから一生会得することができないの
です。実は生きることとは今の瞬間が永遠に続くことではないでしょうか。思考人間はいつも今
の瞬間を逃し続けているので何事もうまくいかなくなるのです。そして、生きることの感動は今
の瞬間を見ることのできる人間にだけ、訪れるのです。           

  

瞑想状態には瞬時になります。コインを投げると裏か、表かのどちらかになるでしょう。心もそ
うです。思考にはまっているか、それから抜け出しているか、のどちらかです。だから、徐々に
ではなく、一瞬にして瞑想状態、すなわち無になるのです。しかしながら、思考癖のせいで、一
旦瞑想状態になっても、すぐにまた、思考にひっくり返ってしまうのです。それに気づいて「見
る、見る」でまたひっくり返して、もとの瞑想状態の心に戻すのです。これを何度も繰り返すこと
です。実は、瞑想の実態とはそのようなものです。そうして、初めのうちは、瞑想中はひたすら
それを繰り返しているわけです。そして、それを繰り返しているうちに「見る、見る」の瞑想状
態が次第に長くなり、ついには思考から完全にぬけだし、瞑想状態が常態化するわけです。

気付きが大切です

              

思考にはまっているとき、その瞬間にそれに気づくことです。自分が思考にはまっていることに
気づくわけです。思考にはまっていると目は一点からはずれています。そんな人の目を注意し
て見ると、左右に小刻みに動いているからすぐわかります。本人も一点を見ることができてい
ません。その時、「あっ、思考にずれている」と気づいて「一点を見る」で戻すわけです。戻って
も、二、三分もしないうちにいつのまにか、また思考に逆戻りして、視線が一点からずれていま
す。それに気づいて、また一点を見るに戻す。これを何度も繰り返しているうちに、「一点を見
る」ことに次第に集中できるようになり目が一点に固定するようになり、慣れてきます。それとと
もに苦しみが次第に消えていきます。いつのまにか、思考が消えた状態(見る、見るの状態)
がずっと続けられるようになってきます。

(もっと正確に説明しますと、瞑想状態(調和波動)とは思考は出てくるが、他方、見る状態も続
いているというのが、瞑想の実態です。だから、瞑想状態になると、考えながらも瞑想が続く状
態(考えながらも見ている状態)になれるのです。だから、その考えは常に無限からでてきて、
常に全体であり、普遍的であり、正解の答えが出せるのです。一方、思考にはまりながら出す
結論は常に一面的であり、一方的であり、詰まった結論なのです。だから思考にはまるとすべ
てがうまくいかなくなるわけです。)

「一点を見る」で思考が消えたら、今度は目を閉じて「調和波動」が体の中に染み渡って
いくのを「見る、見る」です。

          

   

一点を見続けることができたとき、よく体の状態に注意してみると、どこからか、暖かくて、ぽか
ぽかした波動がじんわりと体にしみわたってきます。これが、心と体を癒す「調和波動」です。こ
れが究極に心身を癒す波動です。

次は、目を閉じてその暖かさを心の目で「見る、見る」です。それは、まるで自分の心ではな
く、何かが自分に浸透していくようです。この暖かい感じをじっと見つめていましょう。むしろ、そ
れを感じている、ということでしょう。そのうち、体中が暖かさに包まれてきて、いつのまにか苦
しみが次第に蒸発して消えていきます。

その「暖かさ」に体をすべてまかせましょう

しかし、またまた、あなたの思考が、「暖かさよ、こっちに来い来い。苦しみよあっちに行け」、と
始まります。そうするとまた思考の世界、すなわち苦しみの世界にもどってしまいます。それに
気付き、「暖かさを見る、見る」に戻すわけです。暖かさが体中に浸透していくのをじっと、ただ
見つめているわけです。あなたが何かをしようとしてもがくと、元の木阿弥になります。ただ、見
ているだけ、眺めているだけ、すべてを暖かさに任せる感じが大切です。

空(くう)を見るとそこには暖かい存在感がひろがっています。

思考が消えた状態で、空(くう)を見ると、そこに暖かかくて、無限にひろがったような、なんとも
表現できない存在感があります。自分と空(くう)が一緒になったような感じ、自分が世界と一つ
になったような感じです。その存在感からくる暖かさが体中にしみわたっていきます。これが調
和波動=生気なのです。

         

体の中にある苦しみの塊、それを苦玉と言っています

あなたの心の中には、あなたを瞑想に向かわせたところの、苦しみがあります。ほとんどの人
が、この苦しみを消したいがために、瞑想を追求しているのです。これまでは、苦しみの原因を
知ろうとして「ああ、考えよう、こう考よう」あるいはプラス思考しようとしたりして、思考の連続で
した。実はそのように思考のぐるぐるまわりが苦しみを産むのです。悪循環です。

その心中に染み付いた苦しみの塊(すなわち不調和波動の芯です)をわたしは苦玉(くだま)と
称しました。「苦玉」とは体の中にある苦しみの芯です。何かじっとしていると苦しいものが体の
中にあるのを感じるはずです。実は、その本態は「肩こり」です。肩こりとは気が詰まった状態
です。例えば、「ああ、大変だ。どうしよう、こうしよう、ああでもない、こうでもない」などという気
持ちがあるとき、それは思考にはまることで気が詰まり心に余裕がなくなっている状態です。
それが苦玉を作ります。苦玉があると、どんなことでも苦しくなってきます。だから、外部にある
問題が問題なのではなく、気のつまり=苦玉こそが問題なのです。反対に、気がつまってない
心はどうでしょう。「なんとかなるさ」「どうでもいいや」「まあ、いいか」などという心の状態で、そ
んな余裕があると物事が自然にうまくいくものです。しかし、「そのように考えよう」と努力しても
なれないのです。瞑想によって心が思考から抜け出て、詰まった気がほぐれることによって、
詰まった気が抜けて、「なんとかなるさ」という心が自然に湧いてきます。そのように、気が詰ま
った状態が身体や心の中にあるのが苦玉(くだま)であり、その本態が肩こりなのです。どんな
肩こりも=苦玉です。それが肩にあるから肩こりであり、それが頭にあると「うつ病」、それが胸
にあると「不安神経症」、胃にあると胃痛、子宮にあると生理痛となるわけです。すなわち、肩こ
りが=苦玉の正体であり諸悪の根源であり、肩こりが万病のもとなのです。

だから、苦しみから真に解放されるために、まず最初にすることは、自分の身中にある苦しみ
の固まり、苦玉に気づくことです。のべつ思考にはまっているとそれにも気づかないどころかい
っそう苦玉を大きくさせてしまいます。「一点を見る、見る」ことで思考が消えると、自分の心中
の苦しみの塊(苦玉)に気付きます。その苦玉をも見つめるわけです。

ところで、その苦玉はどこから来たのでしょう。それはもっとも身近な人から移ってきたもので
す。苦玉は一番近い人に移ります。例えば、親子です。ほとんどすべての苦玉は親から子供に
移ったものです。それ以外に身近な人というと夫婦間、家族間、職場間、などで苦玉をお互い
に移しあいっこをます。よく会社にいこうとすると苦しくなるのは会社の苦玉があなたに飛んで
きてあなたの苦玉を増幅させるから苦しくなるのです。ある人を思い出すと苦しくなるというのも
その人の苦しみがあなたに飛んでくるから苦しくなるのです。心とはそのように時間と空間を越
えて飛んでくるものです。

だから、あなたの心に苦玉があるということは、家族が苦しんでいることであり、職場全体が苦
しんでいるのです。逆にあなたが苦玉を解消すると、家族も、職場のまた苦玉から解放されま
す。

苦しみの芯(苦玉)を感じたら、その芯をじっと見つめて離さないことです

苦しみから完全解放されるためには、その苦しみの芯をまじまじとみて目を離さないことにつき
ます。例えば、部屋の中にゴキブリを見つけたとしましょう。あなたはゴキブリを退治するまで、
あるいはゴキブリが部屋から出て行くまで、じっと見つめて逃がさないはずです。そのように、
苦しみの芯を見つめて離さないことです。それが始発であり終点です。

例えば、うつ病。うつ病には頭に排気ガスのように苦しい、うっとうしくて、重苦しいものが頭に
乗っかっているような感じがするはずです。それがうつ病の原因です。それは思考が編み出し
た不調和波動=排気ガス=苦玉なのです。それをまた、原因がどうだ、こうだ、ああ考えよう、
こう考えよう、プラス思考しようなんて、延々と考えているからちっとも治らないどころか余計に
ひどくなるのです。その排気ガスのようなうっとうしい頭にあるものの芯を「見る」のです。

             

苦玉=排気ガスには台風の目のように芯があります。その芯の中心をじっと見ることです。こ
れが瞑想の真髄です。とにかくうっとうしい苦しいものの芯の中心をじっと見るわけです。できる
だけ中心を。いつまでもどこまでも見続けるのです。芯と闘うのではなく、ただ見続けるので
す。すると、そのうち、いつのまにか、ふっと、底が抜けたように、「あれ?芯がどこに行ったん
だろう?と芯がどこにあるかわからなくなります。そのときにいつのまにか、うっとうしさの暗雲
が消えていて、体全身がぽかぽかあたたかくて、ふわふわとした気持ちよさにつつまれている
ことに気付きます。そのときに、苦玉が完全に消え去ったのです。もし、まだ体のどこかに苦し
いのが残っていたら、またそれを「見る、見る」です。そうするとそこの苦しいのも消えてしまい
ます。どこかから暖かな(調和波動)持ちのいいものが体中に浸透して行きます。それは不調
和波動が調和波動におきかわったのです。(ただし、思考が「苦玉よ、あっち行け、あっち行
け」と追い払おうとすると元の木阿弥です。そうではなく「見る、見る」、です。)

気がつくと、突然、目が覚めたように、幸せになっています。まわりの見るものすべてが新鮮
で、親近感に満ち、意味もなくうれしくて、心が世界や宇宙と一つになったような(実際、これが
宇宙心です)、無限の開放感(これが「無限の心」です。この心はすべてのものとつながってい
る心です。)暖かさがあなたを全体から包みます。それが、無です。天国です。もう、あなたは、
あなたの詰まった苦しい世界にいません。すべての心とつながっていることがわかるはずで
す。木の心、大地の心、人の心、動物の心、と。これが愛といわれているものです。あたりが光
に包まれています。あなたは光の中にいます。体の内も、外も。これが生まれ返るということで
す。

ところが、「これでめでたし、めでたし」ではありません

問題はあなたの思考癖にあります。せっかく天国にいったのに、またあなたの癖の思考にもど
ってしまいます。そのときに、また急降下して一瞬のうちに地獄に戻っているのです。

しかしながら、一度、天国に行ったことのあることが大切なのです。一度でもいいから無になれ
たことを経験したことが大切なのです。これまでは地獄にいながらもそれが生まれついたとき
からあたりまえになっていました。「世界なんてこんなもの」なんてあきらめ顔で見ていたのに。
しかし、一旦、思考が消え、苦しみから抜け出て、無条件の幸せの世界に立った経験をしたあ
なたは、この思考が作った地獄に対して「ここではない!あそこだ!」と自覚しているはずで
す。そして思考にはまると「思考にはまっている!」と自覚するようになります。そうして、また、
あの無条件の幸せな世界に戻るよう全力をつくすはずです。あなたは努力するなと言われても
努力するはずです。それが瞑想の真髄です。

 一方では、こんな人もいます。長い間苦しみ地獄から引っ張り出して無の状態にしてあげて
も、長い間の習慣で、そこにいることが不安になり、もとの地獄の世界にもどろうとします。それ
は、長い間の地獄世界になれてしまったのです。そうして、一生、苦しみの世界に甘んじる人
がいます。こうなると、もうどうしようもありません。だから、大切なことは「この苦しみの考え地
獄の世界から抜け出したい!」という本人の気概なのです。

本物の瞑想ができる人と一緒に瞑想すること。でも、自分だけで追及することが最も大
切です。

以上のようなことに従えば、本物の瞑想が必ずできるようになります。しかしながら、自分の今
の状態が瞑想状態にあるかどうか、初めのうちは自信がなかったり、あやふやだったりしま
す。それでも繰り返していると、確かに、苦しみが消えて、無条件の喜びが満ち溢れた状態に
なるから、これが本物の瞑想だとわかります。肝心なことは、自分自身でそれを確認すること
なのです。できない人は本物の瞑想のできる人と一緒に瞑想することは一つの方法です。しか
しながら、ほとんどの指導者が間違った瞑想法を指導することが多く、むしろ間違った瞑想を
教えられ、一層混乱するばかりで、ちっとも苦しみから抜けることができないことが多々ありま
す。瞑想をしていても、一向に苦しみから抜け出ることができてないということは、あなたの瞑
想が本物ではないということです。最終的には自分自身で確認しながら、自分自身の眼力で瞑
想を追及することにつきるのです。

最後に

この文章を読み終わったときに、体が軽くなって暖かくなり、気持ちが楽になったような感じが
しませんか?そのときあなたの心は瞑想の心(調和波動)に共鳴しているのです。実は、著者
が瞑想の心の状態でこの文章を書いているので、文章にも瞑想の波動(調和波動)が染み渡
っているのです。心を込めてこの文章を読むことによって、瞑想の心に共鳴することができま
す。それもまた瞑想なのです。