苦玉




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1、苦玉とは
苦玉とは自分の中心にある苦しみの芯です。
それが苦しみの源です。
それが自我と同じものです。
われわれが苦しいと思っているのは苦玉があるせいです。
この苦玉のせいで、この世のすべてと隔絶してしまいます。
すなわち、自我が存在した瞬間にこの世のすべての間に壁を作るのです。





ところが、
人はそれを隠して、楽しそうに装っています。
ほとんどすべての人間がそうです。
特に、社会では。
学校でも、女学生がキャピキャピ笑っていますが、
それは内なる苦しみを隠して楽しそうにしているだけです。
嘘笑いです。
あなたもそれを見ていて虚しいと感じているはずです。
お笑い芸人もそうです。
笑いさえすれば苦しいのが解消されるとみんな思っていますが、
それでは苦しみがいよいよ辛くなるだけです。
多くの人が笑いのある家庭を作ろうとします。
それなのに、
苦しみはいよいよ深刻になっていくのは厳然たる事実であるはずです。
あるいは、
酒、享楽、遊び、楽しいこと、で内なる苦しみを紛らわそうとします。
社会的に問題になっている覚醒剤も、
それを使うことで苦玉から一時的に開放されるから使うのです。
ところが、
覚せい剤から覚めると余計に苦しくなってまた覚せい剤に戻ります。
それが依存症になる原因です。
すべての依存症は苦玉が原因です。

苦玉に耐えられない人間が自殺をしています。
それは正解かもしれないのです。
自我を殺すことで、苦玉の最終解決をしているのです。

ところが、
誰かが自殺したことに対してみな不思議そうにしています。
昨日まで楽しそうにしていたのになぜ?などと。
それはその人が、ひたすら内なる苦しみを隠して楽しそうに装っていただけなのです。
さらに、
周囲の人間も、その人と、上辺だけの付き合いで、
だれも、
その人の心中の苦しみを理解してあげてなかったのです。
それがこの人と人が断絶した社会の問題でもあり、
家族の問題でもあり、
わたしたち自身の問題でもあります。
上辺だけの付き合いで心の底を理解しようとしない人間関係です。


2、苦玉は親からもらうもの。
苦玉は親からもらうものです。
このようにして苦玉が電波のように人に移るのを不調和波動と称しています。
不調和波動の芯が苦玉です。

不調和波動って何?

たとえば、
誰か苦しそう人を見かけると、あなたも苦しくなるはずです。
それはその人の苦玉があなたに電波のように飛んできているのです。
人間の意識はそのようなものです。
すべての人がそのようにしてつながっているのです。
ところが、
他人ならその場を離れるともらわなくなります。
いやな人間にはできるだけ会わないようにするはずです。

ところが、親子はそうはいきません。
電線でつながるようにつながっているのです。
地球の裏側にいても親子はつながっています。
それが生命の根源にあるものです。

苦玉とは、親からそのようにして飛んできたものです。
特に親子関係は切っても切れない密接なものなのです。
それも特定の親(父親か母親のどちらか)です。
それがカルマといいます。
生まれつきつながっているほうの親です。
すべての人間が、どちらかの親とつながっています。
どこの家庭でも、つながりが強い親子がいます。
それがカルマ親子関係です。
それが生命の根本にあるものです。
その関係は親もまたその上の親とつながっており、
そのまた親から苦玉をもらっています。

そうして、
カルマ関係の親は子供を気にすることで、
すなわち、子供を心配することで、
自分の苦玉を子供に流すことで、自分は楽になっています。
(それを
「親の心配のろいかけ」と称しています。)
それを親は愛情だと勘違いしています。
すべての精神疾患がそのようにしてできあがります。

不登校もそうです。
不登校は親から苦玉をもらい、
(子供にはその下の子供がいませんから、
延々と繋いで降りてきた不調和波動(苦玉)を、
それより下に流すことができないため苦玉が自分に蓄積して苦しみます。
それはちょうどダムが下に流せなくなって上流からの水が貯まってダムが壊れてしまうのと同じです)
それで子供が苦玉に苦しんでいます。

すると、
子供が学校に行こうとすると、
学校の不調和波動と子供の苦玉(不調和波動)がぶつかって共鳴してしまうため学校にいけなくなるのです。
ぶつかることで起こっているのが「いじめ」です。
よく「いじめ」が原因で不登校になった、と言われますが、
「いじめ」はきっかけにすぎません。
不登校の原因親子の苦玉流しにあるのです。
だから、
親子の苦玉関係を解消しない限り、
いくら学校を変えても、
また同じ問題を起こしてしまうのです。
そして、
とうとう、その結果が「引きこもり」という形になってしまうこともよくあります。
引きこもりの根本原因は苦玉(不調和波動)にあります。

ところが、
苦玉を子供に流している親が、
逆に、子供の苦玉を根本的に解消する役割も果たします。
それについては、
「守り神としての両親の光療法」の項目をごらんください。

3、苦玉がすべての心身の病気の原因です。
心の病気も体の病気も慢性的な病気はすべて苦玉が原因です。
例えば、風邪を引いた。
これはウイルスに罹患したからです。
ところが、
風邪をひいていつまでも、治らない、というのは苦玉のせいです。
すべての慢性病がそうです。
胃潰瘍は胃の部分に苦玉があります。
いくら薬を飲んでもつぎからつぎへの胃の病気が発生するのはこれが原因です。
精神病も頭に苦玉が取りついてから起こるものです。

だから、すべての病気は苦玉を解消すれば、治ります。


4、苦玉に気がつくことです。
自分の苦玉に気づくことがまず最初にしなければいけないことです。
それには、
今までは、自分の苦しいのは、学校のせい、あの人のせい、仕事のせい、女房のせい、子供のせい、
などと常に自分以外のせいにしていたのです。
あるいは、
自分が苦しいのはお金がないせいなどと。
しかしながら、
それでお金持ちになってもまだ苦しいのが治りません。
いよいよ苦しくなるだけです。
そこから、
多くの人間が自分自身の内側を見るようになります。

そうなのです。
自分の内側を見ることなのです。


今までは、すべて自分以外のせいにしてきたのです。
それがすべての間違いのもとだったのです。
自分の外側のせいにしていては何も解決しないどころか、
いっそうめちゃくちゃになっているというのがこれまでのあなたに起こった事実なはずです。

ところで、
内側を見るということは
心の目で自分の中を見ることです。


自分の内側を見ること。
それだけで、すべてが解決します。
すなわち、苦玉が解消します。
それが
瞑想の真髄なのです。

しかしながら、
今まで外側ばかりを見ていた人間にとって大変に難しいことです。
「思考にはまる」ことは外側を見ていることなので、
思考にはまっていては、内側を見ること絶対にできません。
だから、思考にはまらないことです。
なぜ苦玉があるのか、などと考えないことです。
さらに苦玉と戦ってもいけません。
苦玉を払おうとしても負けるだけです。
ただ苦玉を見つめているだけでいいのです。

思考を消すには、「一点集中見る見る」をすることです。
その詳細は本ホームページの別項をご覧ください。
「一点集中見る見る」をすると、思考が消えて、空っぽの心になります。
そうして、初めて、
自分の内側を見ることできます。
すると、苦しみの芯が自分の中にあることに気づきます。

5、自分の内側に苦玉を発見した瞬間に、苦玉の中心に穴が開いているのもわかります
それを「ぽっかり穴」と称しています。



6、ぽっかり穴
苦玉の中心に「ぽっかり穴」を発見した瞬間に、すべての苦しみが消えます。
それは神様と同じようなものです。
この「ぽっかり穴」を発見した瞬間に苦玉が消えてしまいます。

だから、
苦玉は、思考が作った幻想だったのです。
自我もまたそうです。
自我と苦玉は同じものです。
だから、
苦しみも思考が作った幻想だったことがわかります。
すなわち、「ぽっかり穴」を発見した瞬間に、苦玉が消えて苦しみが消えます。
そして、
あたりには光が輝いています。
憂うつが消えて、
ただ生きているだけで喜びが湧きあがってきます。




それこそが、
あなただけではなく、あなたの家族も周囲も幸せにする調和波動(=光)です。
それだけでなく、
あなたが調和波動(=光)に気づいたことが
この地球や宇宙全体に光をもたらす、というのです。

すなわち、あなた自身が本当に救われる、ということは、
あなただけが救われる、ということではなく、
すべての人や物の影響を与えるのです。
                           2016年2月27日記載














以下は2004年に書いた文章です。
現在と比較すると幾分、未熟な部分があるため、上記に、新しく書き換えました。

もともと産婦人科の医者だったのですが、
人間を各科ごとのパーツに分けて診療する現代西洋医学の体系に疑問を感じ、
心も体もトータルに診る全人的医療を目指して開業しました。
その一方では、
若い頃からの課題であった自分自身の心の苦しみに向き合うことで、
ある時、心の苦しみの根本的な解決法に気が付きました。

「病は気から」というように
心の異常な状態、すなわち心が苦しみにある状態がすべての病気の原因だと気がついたのです。
病気を根本的に治すにはそんな異常な心の状態を正常化しないといけないのです。
すなわち「心の苦しみを完全に解消」しなければ身も心も健康になれないのです。
それを実践すべく開業しました。
そうするうちに、
心の病を薬物なしで治したいという患者さんが多くなってきて、
いつのまにか診療の主体が産婦人科から心療内科に変わってしまいました。
そして、
心の病を薬物なしに治療しているうちに、以下のことに気がついたのです。
人間の心は結局のところみんな同じです。
千人が千人同じ、万人が万人同じなのです。
苦しむのも同じ道、苦しみから解放されるのも同じ道。
すべての人間の心は全く同じで、しかもみんなつながっているのです。
私の心もあなたの心も彼の心も沖縄の人も、東京人も、日本人も中国人もアメリカ人も心はす
べて同じでつながっています。
それは「世界は一つ人類みな兄弟」などという理想を提案しているのではありません。
心の事実をよく見るとみんなつながっているということがわかるのです。
その事実にあなたも気づくことができるかどうかが、本ホームページの核心的な部分です。
喜びも苦しみも憎しみも恨みもすべて同じでみんなつながっています。
こちらが憎めばあちらも憎む、こちらが感謝すればあちらも感謝するという具合です。
そこから、
地球や人類全体も苦しんでいるということではみんな同じということに気がつき、
それを何とかすればこの地球に調和がもたらされるのではないか、と思うようになったわけです。
そして、
人間を争いや傷つけあいに導くのもこのような苦しみの心が原因だと気がついたわけです。
その苦しみの心が人から人に波のように伝染して伝わっていって、
ついにはこの人類社会全体が苦しみに支配されてこの苦しみの地球が作られているというわ
けです。
この苦しみの心の波動の震源を私は「苦玉(くだま)」と称しました。






(1)苦玉(くだま)ってなに?

 あなたの胸の中心にある、
何かいやで、苦しくて、胸騒ぎがして、
締め付けられるような、不安な感じの
かたまりです。
あなたが、一日中いそいそと仕事や遊びや
何かで紛らわしているときには
気がつかないのですが、
例えば夜中に、何もしないでじっとして
いると感じる胸中のいやな、不安な、
固まりです。それは強くなったり弱くなっ
たりします。それが人間の人生を根っ
このところで支配しています。

あなたが例えば、不安や恐怖から人生設計をしたり、不安から子育てをしたりするのはこの苦玉
のせいなのです。
それが強い時には生きていくのさえいやになります。
多くの人が自殺をするのはこのためです。


苦玉はあなたを恐怖にひきずりこみます。
何にもないのに何だか不安で恐怖がある。
すべてのものが恐怖になります。
それは苦玉があなたの胸にこびりついているからです。
よく悪夢にうなされるのも苦玉のせいです。
(わたしもよく明け方前の4時ごろに苦玉に苛まれます。)
そんな不愉快な胸中の固まりです。
できればかきむしって取り払ってしまいたい固まりです。
でもそんなことをしても取れないもの。
それが苦玉(くだま)です。

人間が苦しむのは表面的にはいろいろな理由があるでしょうが、
根本的にはこの苦玉のせいです。
そして、この日本中の人が苦しんでいるのも
みんなの心中にこの苦玉があるからです。
強盗、殺人、親殺し、子殺し、などもすべてこの苦玉のせいです。
最近、飲酒運転が問題になっていますが、

胸中に苦玉があるからそれをまぎらわそうと酒を飲むのです。
酒によって一時的には苦玉を忘れることができます。
でも酒から醒めたらまた苦玉がやってきます。
それでまた酒を飲んでしまうのです。
アルコール依存、薬物依存、など色々な依存症はこのようにしてできあがります。
飲酒運転にいくら厳しい罰則で取り締まっても、
この苦玉をどうにかしないかぎり、問題の根っこは消えないのです。
いや、いよいよ深刻化するのはご存知の通りです。

家庭内暴力や幼児虐待も苦玉が原因です。
苦玉をもった親とそれが移ってしまった子供との間では心が一つになること、
すなわち愛の関係になれず、
その結果として虐待になるのです。
その親もまたそのまた親から苦玉を受け継いでいます。
それが延々と上から降りてきています。
それが苦玉です。
虐待された子どもは親のようにはなりたくない、
と思いながらいつもまにか、
親と同じことを子どもにしてしまっています。
それは苦玉にとりつかれているからです。

子供の虐待が蔓延しているのは
苦玉がいよいよこの社会に蔓延してきている証拠なのです。
そんな事件はけっして他人事ではない、とあなたは感じているはずです。

さらに、
この地球全体に暗雲のように、
不調和波動=苦玉(くだま)が重くのしかかっています。
人類全体が苦玉に取り付かれています。
何だか、気が重く、憂うつで、何か人類の未来に希望がもてない、
とみんなが思っているはずです。
不調和波動(苦玉)が暗雲のようにこの地球にとりついているのです。
  



 あなたの会社もこの苦玉の暗雲に取り付かれているはずです。
社員のみんながイライラ、ピリピリして、あるいは憂うつ、になっています。
誹謗、中傷、攻撃、非難が会社に蔓延しています。
だけどそれを振り払うように毎日を頑張っています。
そんなふうに頑張れる人はまだいいのです。
頑張れないで苦玉に勝てない人が自殺をしてしまいます。
あなたにも自殺する人の気持ちがよくわかるはずです。

 朝、会社に向かうときに何だか会社の方に気が向かないと感じているはずです。
それは会社に行くとあなたの苦玉が増大するからです。
それがうつ病の本態です。

(最近(平成25年)の結論では、
うつ病のすべても親流れの苦玉が原因であることに気づきました。
親がわが子の心配をして不調和波動=苦玉を移し(それを「心配のろいかけ」と称しています)、
そのため子供は会社の不調和波動=苦玉とぶつかってしまうのが
すべてのうつ病の原因です。
だから、不調和波動の震源地である親を治療すると
子供のうつ病がたちどころに解消し、
元気に会社に出勤することができるようになります。
すなわち、すべての精神疾患はカルマ関係にある親からもらう不調和波動=苦玉が原因なので
す)
 
苦玉がとりついた会社の中では疑心暗鬼や争い、人間関係のいざこざを巻き起こります。
心が苦玉に支配されるとお互いに非難誹謗中傷合戦をするようになるのです。
それがいま、どの会社でも起こっていることでしょう。
苦玉があるとみんなが不安や恐怖から仕事をするようになり、
夢や希望や喜びではなく恐怖から他人と競争して成績を上げようと必死になります。
それが何になるの?という心の奥底の疑問には蓋をして。
だまって仕事をしろ!というわけです。
それがいっそう苦玉をひどくします。
あなたの会社だけでなく、この社会全体がそうなっているのは事実ではないでしょうか。
そんな苦玉の暗雲は国全体にひろがっていき、他の国を誹謗中傷するようになります。
その結果が戦争です。
インターネット上ではこの苦玉の暗雲にとりつかれた人達の聞くにたえない誹謗中傷合戦で満ち
溢れています。
これが、この社会が苦玉の暗雲に支配されている現実ではないでしょうか。
そして、その苦しみから、もがきあい、争い合い、殺し合い、戦争になるのも人類みな同じです。
                                 

(2)苦玉(くだま)はみんなつながっている

 ところで、あなたの苦玉はすべての人の苦玉とつながっています。
特に隣にいる人の苦玉とは一心同体のようになっています。
それは家族です。

その象徴的存在が親です。
その中でも、カルマ関係にある親がいます。
生まれつきある子供と心が一身同体のような関係にある親子関係です。
なぜ、そんな親子関係がうまれるかというと
それは生命の本質のような気がします。
この地球で40億年も生命が続いてきたのは、
これが原因のように思われます。
というのも、何人か子供を生んだとき、
ある一人の子供と一心同体のようになり、
危機的状況の中では、その子だけを
親が自分の命を懸けても守ろうとします。
それがカルマ関係の基本にあるもののような気がします。
意識は完全につながっているのです。
それが事実です。
そのカルマ関係で不調和波動=苦玉を移します。
不調和波動=苦玉とは「自己中の生命意識」です。
それが度を過ぎると
逆に生命を障害してしまうのです。
なぜかというと、
生命は本来全体とひとつながりにあってこそ
本来の調和の取れた姿になるのです。
すなわち、
生命とは発生の最初から、
細胞膜が周囲と分離して個ができます。
それが生命の始まりですが、
その瞬間から全体からの分離=不調和波動=苦玉を発生させてしまう
というわけです。
すなわち不調和波動=苦玉は生命の本質的なものなのです。
さらに、
このカルマ関係の中にこそ、
苦玉の完全解消の道、すなわち光があることに気づきました。
カルマ関係にある人間は
生きているうちには
不調和波動関係になり、
苦しみを
流す関係にあります。
ところが死ぬと
逆に光の源になり、
苦しみを解消します。
それが治療の根本にあるものです。
すなわち、
カルマ関係とはただ悪いものではなく、
素晴らしいものでもあります。

                            平成25年8月追記。

あなたが苦しんでいるということは家族中が苦しんでいるのです。
その事実に気づかなければあなたの苦玉も家族の苦玉も解消しません。



いくら自分だけ苦玉から解放され、自分だけ幸せになろうとしても、それは無理なのです。
人間は常に家族や職場、地域など隣人と生きています。
だから家族や隣人やこの世の人々が苦しんでいれば、
その苦しみの波動が自分の心に飛んできて自分も苦しむわけです。
心はそのようにすべてつながっているのです。
その事実はいやでも、否定したくても否定できない明白な事実なのです。
どこか離れ小島に避難したらいい?
それでもあなたの心は家族とつながり、友人とつながり、その他大勢の人たち、さらには、日本と
つながり、世界とつながっているはずです。
心とはそのようなものなのです。


(3)あなたの苦玉(くだま)はみんなを代表しているのです。


あなたはよく何の理由もなく心が突然、苦しくなることがあるはずです。
それはたまたま隣にいる人の苦玉が飛んできているかもしれないし、
友人の苦しみが飛んできているかもしれないし、
あなたのお母さんの苦しみが飛んできているかもしれないし、
会社の皆の苦しみが飛んできているかもしれないし、
東京全体の苦しみが飛んできているのかもしれないし、
地球のどこかで戦争で苦しんでいる人たちの苦玉が飛んできているのかもしれないのです。
このように心はみんなつながっているのです。
それをわたしは波動と称しています。
波動には調和波動と不調和波動があり、不調和波動の芯が苦玉です。

ところで、
苦玉の核心部分はカルマ関係にある親から飛んでくるものです。
その苦玉に周囲の苦玉、すなわち友人や会社、などの苦玉が付いてきます。
よく仕事でうつ病になったといいますが、
それは親流れの苦玉に職場の不調和波動がついてくるのであり、
核心部分の親流れの苦玉に気づかないと
いつまでも治りませんん。
職場を変えても同じまたうつ病になることがよくあるはずです。
だから、
親流れの苦玉に気づくことです。
すなわち、
カルマ関係にある親から飛んでくる苦玉はいくらはなれてもはなれても飛んでくるのです。
だから、
全ての精神疾患が苦玉が原因であり、
その原因はカルマ関係にある親子関係にあるというわけです。(平成25年4月追記)


だから、
心が「あなた」の世界だけで閉じられているというあなたの考えは全くの誤解なのです。
その誤解が不調和波動の原因であり、苦玉を作る原因なのです。
それこそが苦しみが解消できない原因なのです。
心がすべてつながっていることを事実として気づくことが「治り」であり、
気づいた瞬間から、
すべての心の苦しみの完全解消が始まります。

だから、
ここに書いてある心についての事実を事実として本当に気がつくと、
もうあなたは「あなた」の世界にとどまっていません。
実は、そんな気づきによって、
あなたが「誤解によって閉じられたあなたの世界」から抜け出すことが、
苦しみから解放される道です。

だから大切なことは、ここに書いてある心についての事実を事実として気づくことなのです。

逆に言うと、
あなたが苦しみから真に解放されるということは、
家族が苦しみから解放され、
友人が苦しみから解放され、
職場の同僚が苦しみから解放され、
そのようして苦しみからの解放がつぎつぎにひろがっていくというわけです。
だからこそあなたがあなた自身の苦玉に向き合うことが必要だというわけです。

(4)私が苦しんでいるのは私の中に原因がある・


 普通、
私たちは「私が苦しんでいるのは私の周囲に苦しみの原因がある」と思っています。
そうして自分の周囲に苦しみの原因を見つけそれを解決しようとして堂々巡りをします。
例えば、
連れ合いが悪い、仕事のせい、友人のせい、学校のせい、など。
それこそが問題がちっとも解決しない原因なのです。
それでは決してあなたの苦しみは解決されないどころか、
余計に苦しみにはまることをあなたはこれまでの経験でよく知っているはずです。

例えばこういうことです。
「失業した」、「ある人と喧嘩をした」、「仕事がうまくいかない」、
などという原因であなたが苦しんでいるとします。
しかしながら、
同じ状態にあっても苦しむ人と苦しまない人がいます。
逆に自分には何にも問題はないはずなのになぜか苦しいという人もいます。
なぜでしょう。
これらの「失業した」、「人と喧嘩をした」、「仕事がうまくいかない」などの事態は
「きっかけ」であっても原因ではないということです。

そして、
よくよく注意してみると、
苦しんでいるあなたの心中に苦しみの根源である苦しみの炎(それを苦玉(くだま)といっていま
す)が存在するのです。
何か心中にある苦しくていやな、胸がきゅっとしめつけられるような不愉快な固まりです。
それが物心ついたころからはるはずです。
それがガソリンをかけられたように燃え上がってしまったのではないでしょうか。
今までは、自分の心中の苦玉(くだま)に蓋をして何とかそれが表に出ないように装っていた、あ
るいはそれが子供の頃からあったのであなたにとってあたりまえになっていた、
あるいは忙しくしてごまかしていた、のですが、
先のような事態がきっかけとなり、
苦玉の炎が燃え上がってしまったということではないでしょうか。
それが事実としてわかるでしょうか。
だから、先のような事態はきっかけではあっても原因ではないのです。
原因はあなたの心の底にある苦玉なのです。

だから、
たとえ新しい仕事が見つかっても、
喧嘩が仲直りでおさまっても、
仕事が順調に戻っても、
また別の問題でガソリンをかけられると苦玉が燃え上がり、苦しむことになるのです。
それはいつもこれまでのあなたに起こっていた事実ではないでしょうか。

だから、原因はあなたの心中の苦玉(くだま)にあるのです。

 苦玉があるとどんなにささいなことでも苦しみます。
それもあなたがよく経験しているはずです。
そういえば胸の中にいつも、もやもやした、苦しい、不安で、いやな固まりがある、
とあなたは気がつくはずです。

それが苦玉(くだま)です。

そういえば子供のころからこの苦玉はあったとあなたは気がつくはずです
(それはあなたの親から受け継いだものだからです。
しかも両親のどちらかです。
それがカルマの親子関係と言われるものです)。

それを今までは何とか表に出ないように、
隠して生きてこれたのに、
それにガソリンがかかって燃え上がってしまい、
とうとう隠し切れなくなって、
表に出てしまったのが、
すべての心の病なのです。
不安神経症、パニック障害、うつ病、過食症、拒食症、不登校、引きこもり、
など表面的にいろいろと名前をつけられてはいますが、
すべての心の病はこの苦玉が原因です。

 しかも、
これら心の病を持っている人だけが苦玉を持っているのではありません。
ほとんどすべての現代人がこの苦玉を持っています。
それが燃え上がってがまんできなくなった人、
あるいはもうごまかすことができなくなった人が病院を受診し、
色々な病名をつけられるというだけであり、
人間一人一人に大差はないのです。
逆に、全く同じなのです。
 

たとえば、不安神経症には胸の中心に苦玉があります。
何か不安で、苦しい、かきむしられるようないやな固まりです。 




たとえばうつ病には頭に苦玉があります。
いつも頭が重くて、プラス思考しようと努力してもマイナス思考しかでてこない、
ゆううつな暗雲です。




過食症、拒食症の人には 
胃の部分に苦玉があり
そのため、この苦しいのをまぎらわそうと、何かを胃におしこんでしまいます。
それでも苦玉は解消できないので、いよいよ苦しくなってつめこんでしまいます。
そんな悪循環におちいっているのです。
 





(5)社会的に成功している人ほど苦玉(くだま)は大きい

 ところで、
苦玉の強い人ほどそれに反抗するように必死に人生の努力をするものです。

だから、
苦玉の強い人ほど社会的には上層階級になることが多いのです。
例えば苦玉の強い子供は心中の苦しみを将来、偉い人になったり、社長になったり、
貧乏ならお金持ちになって豪邸に住んだりすることで、
自分の苦玉が解消できると思っているのです。
だから、他人より何倍も必死に努力します。
そのため、苦玉の強い人ほど努力し社会的上層部にのし上がるものです。
(実は、
わたしも医者になれば苦玉から解消されると思って必死に勉強してきました。
しかしながら医者になっても自分の苦玉は何も解消されませんでした。
それがこの苦玉に向き合う治療を開発してきた理由です。)

 株取引で時代の寵児になってマスコミにさわがれた青年も胸に強い苦玉を持っています。
そのため、自身の苦玉を消そうとして何かにとりつかれたように必死にお金や株を集めていま
す。
そんなことをしてもいよいよ苦玉は燃え上がるだけということに気がついていません。
社会的に成功した殆んどの人たちはそのように強い苦玉を持っていて、
それを地位や名誉あるいは物やお金で埋め合わせようとしています。
そして、
苦しくなればなるほど、いっそうお金や物、あるいは名誉、権力などに執着します。
だから、
そんな人たちほど、
社会的地位が高い人が多く、そ
れだけ社会に多く影響を与えます。
(あの超有名大学の学生はみんな強烈な苦玉を持っています。)

先の青年も「お金があれば何でもできる」と公言しています。
その言葉が、
苦玉を持って苦しんでいる若者達にとっての導きとなり、
若者を金集めの幻想に殺到させるわけです。
その意味で影響が大きいのです。
そうしてこの社会をこの地球をいっそう混乱に陥れています。

一方では、
苦玉がありながらも、
自分の世界で、一人で、悶々と苦しんでいる人たちも多くいます。
そんな人達はそれだけ、
広範囲に悪い影響をおよぼさないからまだいいのかもしれませんが、
それでも心はつながっているので、
この世界に影響をおよぼしているという意味では変わりません。

しかしならが、
自分をお金や物や名誉などでごまかしきれないそんな人たちほど真の解決により近いといえるで
しょう。



 社会的、物質的な成功を追い求めたあげく、
人生のある時期にそれでは無駄でいよいよ苦しくなるだけということに多くの人が気づくもので
す。
そんな時点から、
自分の苦玉に向き合わざるを得なくなります。
多くの人では50歳前後にこれが来ます。
それが更年期といわれる時期です。
すなわち人生における心の峠です。
苦玉の強い人ではもっと若い時期にそれが訪れます。
それが若い人の心の病、
すなわち登校拒否、過食症、拒食症、引きこもり、といったものです。
だから、
このような人たちは、
誰にでも訪れるべき人生の心の峠が人より一足先に訪れたというだけのことなのです。
逆に言うと、
若いうちに心の峠を乗り越えることのできた人は
その後の人生をより有意義に生きることができるので、
無駄な道にいかない分だけいいという一面もあるわけです。
 

(6)苦玉(くだま)は人間関係を破壊します

苦玉は人間関係を破壊します。
というより、
苦玉こそが人間関係破壊の原因です。
なぜなら、
苦玉は拒絶の芯です。
すべてを拒絶します。
「自我」ともいいます。
自我=苦玉なのです。
苦玉があると人と人の心が通わないのです。
すなわち、苦玉が相手との心の壁です。
すなわち苦玉は愛の逆のものなのです。

苦玉は相手をとことん拒絶する心の芯です。
最後の最後で、相手を拒絶する芯です。
あなたの心の底にもそのような芯があるはずです。
そしてさらに、
相手にも苦玉を与えるのです。
すなわち、苦玉が相手の心にも壁を作ってしまいます。




引きこもりの原因はその人の親もらいの苦玉にあります。
胸中に苦玉があると
他人と仲良くしようと頭では一生懸命に努力しているのに、
自分の意思とは反対に、
どうしても心の奥底が拒絶してしまうのです。
どんなに必死になって仲良くしようと努力しても、
一生懸命笑顔でつくろっても、
絶対に相手を受け入れることのできない、
とことん拒絶する何かが心中にあるのです。
それが苦玉です。

そしてそれだけでなく、
苦玉の苦しい波動が相手にうつしてしまって、
自分の存在そのものが相手を苦しめることになり、
相手とのいさかいが絶えません。
それはどんな人が相手でも、どんなに相手を変えても同じなのです。
結婚を何度繰り返しても同じ結果になるのはこれが原因です。

我が子との関係でもそうです。
幼児虐待、家庭内暴力は苦玉のせいなのです。

さらに、
苦玉はそんな人たちだけの問題ではなく、
多かれ少かれ殆んどすべての現代人が持っているものです。
今の社会は、
そのようにみんなが心中に苦玉を持って相手と心を断絶させながら、
一方では、それを隠して表面的には笑顔で相手と接しています。
ごまかし笑いです。
一日中、24時間そうしているのでごまかし笑いが顔にはりついてしまっています。
悲しいことですが、苦玉を解消することができなければそうするしかないのです。

例え、最も親密なはずの恋人同士でさえ、
例えベッドの中に一緒にいても、苦玉と苦玉のぶつかりあいなのです。
恋人同士が例え肌を触れ合っても最後にはお互いに心が一つになり得ず、
お互いにお互いを拒絶する何かを感じるはずです。
この正体が苦玉です。
肌を触れ合ったあと、一人になったらなぜか悲しい気持ちになるのはこの苦玉が原因です。
これはあなたに実際に起こっている事実なのではないでしょうか。

さらには
どこの社会、商店、どの家族においてもみんながこの苦玉で苦しい波動を相手に発し、
心の底で相手を拒絶しながら、
表面顔はそれをごまかしてにこにこと装っています。
例えば、
デパートや人の集まる所に行くと苦しくなるというのはこの波動を敏感に感じている人です。
どこのデパートでも職員は心の苦しいのを隠してつくり笑顔で応対しています。
それを敏感に感じるから苦しいのです。
そして、安らぎのあるはずの家族内においても、です。
それがあたりまえになってしまい、
そのことが、この社会や家族をいっそう苦しいものにしてしまっているのです。
それも明らかな事実ではないでしょうか。



(7)心はみんなつながっている。

 心の苦しみを本当に解決するには、
苦玉を理屈や理論ではなく、実際にあなたに起こっている事実として知ることが大切です。
そのためにはあなた自身があなたの苦玉の存在に気づき、それに向き合うことから始まります。
自分の内側にある苦玉を感じ、それを見つめていると、
ここに書いてあることが全部事実だと理解できるはずです。

すなわち、苦玉が根っこのところで自分を支配している事実、
あなたの苦玉が家族や他人に及ぼしている事実、
苦玉と苦玉がぶつかりあって愛でないことの事実、
人の苦玉が自分に及んでくる事実、
みんなの苦玉と自分の苦玉の関係など、
すべての苦しみの原因が苦玉にあるとはっきりとわかるようになります。

ところで、

多くの人が苦玉に気づかないのは思考にはまっているのが原因です。

思考にはまることが苦玉を発生させ、

それに気づかないで生きていて、

それが関わるものすべてを苦玉だらけにしてしまいます。

だから、

自分の苦玉に気づくには「思考はまり」の意識から抜け出すことです。

それには「見る見る」です。

「一点集中見る見る」した瞬間に思考はまりから抜け出て

自分の苦しい芯=苦玉に気づくことができます。
(その詳細については別の項目で説明します)

それには、
これまでお話ししてきたように「心はみんなつながっている」という事実の認識が重要です。
理屈ではありません。「そう思いなさい」というのでもありません。
事実としてあなたが感じるこことができるかどうか、
なのです。
そのためにも「一点集中見る見る」が必要です。

 例えばこういうことです。
家族の一人が不愉快だとみんな不愉快になる。
職場の一人がいらいらしているとみんながいらいらする。
恋人が喜ぶとと自分もうれしい。
これが、心がつながっているということなのです。
 そうして、心は一人対一人でつながっているだけでなく、
集団と一人でもつながっています。
家族全員の心が影響して自分の心があり、
電車に乗っていたら一緒に乗っている乗客全員の心が自分に影響し、
住んでいる地域の心が自分に影響し、
例えば東京の人全体の心が自分に影響して、
さらに日本全体の心が自分に影響して、
世界全体の心が自分に影響しているのです。

 だから、
自分の心は自分自身で単独で孤立してできているのではなく、
まわりのものすべてとつながってできているのです。
それは人間だけでなく取り巻くすべてのものです。
家、土地、木、山、植物、動物、地球、空、月、宇宙、
すべてとつながってあなたの心ができています。

 何度も繰り返しますが、そのように考えなさいというのではありません。
それを事実として感じることなのです。
一点集中見る見るで思考が消えると意識がすべてつながっていることが
わかります。
(実はそれが瞑想の真髄なのです)

 例えばあなたは今、座ってこのパソコンを見ています。
今の自分の心に注意してみたらいいです。
パソコンの私の文章を読んで、それに反応してあなたの心の一部ができているのは事実です。
それだけでなく、座っているあなたの部屋の雰囲気があなたの心を作り、
一緒に住んでいる家族の心があなたの心に影響し、
さらに、住んでいるあなたの住まいや地域、
そして窓から見える空の天気があなたの心をつくり、
これから職場に向かおうとしているのなら職場の雰囲気があなたの心に影響し、
さらには、日本全体の今の雰囲気、そして世界全体の今の雰囲気があなたの心をつくっている
のです。
そしてあなたに影響している天気も地球と太陽の関係でできているのです。
そのようにあなたの今の心は全宇宙、すなわち全体と不可分なのです。
これは理屈ではなく厳然とした事実なのです。

だから、あなたがいま苦しんでいることは家族が苦しんでいることであり、
地域が、職場が苦しんで、日本が、地球が苦しんでいることなのです。
 ただ、苦しんでいるあなたから見ると他の人たちは何でもないように見えて、
あなたには他人は苦しんでないのになぜ私だけ、と勘違いしているのです。
それは他の人たちはあなたの前でつくり笑いをしているだけなのです。
そんな誤解から、自分の苦しみをあなたは自分の個人的問題と誤解してしまっているのです。そ
うなると解決のつかないどうどう巡りの苦しみ地獄にはまってしまいます。
 



 例えば不登校の問題があります。
それはその不登校の小学生の心に苦玉があるからです。
その小学生が何か悪いことをしたり、
悪いことを考えたから苦玉ができたのではありません。
これが肝心なことです。

その苦玉はもっとも近い関係でいつも身近にいる人から移ってきたものです。
その存在とは親です。
それもどちらか片方の親(カルマ関係にある親)です。
うまれつきその親子は苦玉流し流されの関係になっているのです。
何人か子供がいたら必ず一人がそのような人間になっています。
その子どもが親の苦玉を受けて心を病むことになります。
その親子関係では、
お互いに気になって気になってしかたがない関係です。
これがカルマの関係と言われる親子関係です。
これがすべての精神疾患の根源にあるものです。
そして、
親もまたその片親とカルマ関係にあり、
そうして延々とはるか昔から続くカルマ親子関係によってもらった苦玉を、
子どもをずっと気にすることで流してしまうのです。
(それをわたしは「心配のろいかけ」と称しています。)

だから、
親に親もらいの苦玉があればそれが子供に移り、
子供の心を根っこのところから支配してしまうのです。

ところで、
子供の中でも親とカルマ関係になっている子供と
そうではない子供がいます。
そうではない子供は幼少期より、
親と距離感があり、親を冷静に見ることができています。
さらに、小学校高学年から中学にかけて、
親からの不調和波動ながし(心配のろいかけ)に
気づいてそれを拒否します。
これが「くそババー死ね!」という言葉です。
その拒否によって親からの不調和波動流しを拒否しているから
健全でおれるのです。
逆に
精神病をわずらったほとんどの子供さんは
親が
「この子は何でもいう事を聞くやさしい子供だったのに何でこうなってしまったのか」
といいます。
だから、こうなったのです。

ところで、
親の方は心の底に、
そのまた親からもらった苦玉がありながらも、
今までの人生では何とかそれをごまかして、
表に出ないように生きてこれました。
たいていの親は自分の苦玉にうすうす気づいています。
それを「子供には知られたくない。自分は苦しんでいるけど、子供だけは苦しませたくない」と、子
供の前ではそれが表に出ないように、幸せそうに笑顔で接しています。
「それが自分の家族が幸せになること」と思っているのです。
あるいは、
無意識に無視しています。

しかし、それは根本的な誤りなのです。
子供を本当に幸せにしたいのなら、
自分の苦玉と向き合い、それを解消するしかないのです。
それをしないで、
表面的に一生懸命に幸せそうに振舞っていても
苦玉は波動のように子供に伝わります(だから、不調和波動と称しているのです)。

子供のほうに移った苦玉は、
もしその子がさらにカルマの子供を生み、
その子に流せるのなら、子供は一見健常にふるえます。
下に流せる子供がいないから、子供は苦玉に苦しむというわけです。
カルマ関係にある子供を生むことができない親が苦しみます。

ところで、
子供のほうは
「親は幸せそうなのに、何で自分だけ苦しいのだろう」と苦しみます。
そしてさらに、子供の親もらいの苦玉と学校の苦玉が共鳴し合い増大し、
いっそう苦しくなって子供は学校に向かおうとすると苦玉が増大してしまい、
それで学校に行けなくなるのです。

仕事でうつ病になったという方が多くありますが、
それも親もらいの苦玉が職場の苦玉と共鳴して仕事にいけなくなったのです。
だから、親もらいの苦玉を解消しないかぎり、
職場を変えてもまた同じ問題を起こしてしまいます。
親に強力してもらって、親子の苦玉を解消してあげると、
完全に治癒せしめることができます。)

ところで、
なぜ、学校に苦玉が蓄積しているのでしょう。
それが今の教育の根本的問題なのです。
学校は不調和波動(苦玉)が満ちています。
たくさんの教師が心の病で倒れているのもそれが原因です。
(そんな教師もまた親からの苦玉もらいが根っこにあります)

あなたも学校に行くと何だか息がつまるようで苦しくなるはずです。
それが不調和波動=苦玉です。
それは学校全体が思考にはまっており、心の余裕が失われているのです。
それでは、
その他多くの元気に学校に通っている小学生たちはどうでしょう。
そのような苦玉がありながらも持っている苦玉が小さいから気にならなかったり、
あるいは何とか楽しくしてごまかせていたり、
中には苦玉にとりつかれていない子供もいます。
なぜ、苦玉がそのようにして心にとりつくのでしょう。これがきわめて重要なことです。
それは心の病の根本的治癒の根幹にかかわることです。

(8)苦玉の原因は「思考にはまること」にあります。

あなたも苦しいときには頭が思考でぐるぐるまわりしているのを経験しているのではないでしょう
か。
思考のぐるぐるまわりが苦玉を作り(苦玉は生まれた時からあるのでむしろ「増強させる」と表現
したほうがいいかもしれません)、ガソリンをまいたように燃え上がらせるのです。
先にお話ししたような「失業した」、「ある人と喧嘩をした」、「仕事がうまくいかない」
などというきっかけであなたが思考のぐるぐるまわりにはまったのです。
苦玉の増強です。
それが、
それまでは伏せていた苦玉を燃え上がらせたのです。
そしてさらに、
思考は苦しみの波動をまわりに波及させ、苦玉を隣の人にうつします。
すなわち、家族も苦しみます。

それはちょうど赤電球の下にいると赤くなるのと同じ様に苦玉が隣の人に移り、
隣人もまた苦玉によって思考にはまり、苦しむのです。
このようにして思考にはまって苦玉を増大させ撒き散らす人間が次々にできあがってしまうわけ
です。
特にその影響を強く一心同体のように受けるのが
カルマ関係にある子供です。
子供の精神疾患のすべてはこれが原因です。

そのように、
「思考にはまった意識」は常に苦しい電波を発します。
それが不調和波動です。
それがたとえどんなにすばらしい思考であってもです。
よく「プラス思考」がもてはやされますが、
「プラス思考」も思考であり、それでは苦しみからは解放されません。
  

ここで、
「誰でも人間は考えるんじゃないか。それは考えるなということか」という質問があります。

それは車に例えられます。
車はエンジンをかけると必ず排気ガスを出します。
エンジンは思考です。
車はのべつまくなしにエンジンをかけて走り続けているだけが車ではありません。
エンジンを切って、車庫に休んでいるのもまた車です。
ところで排気ガスとは悪い波動です。
考えすぎて、頭が痛くなる、肩が凝ってくるというのはこれです。
車は走っている時には排気ガスを出しますが、
車庫に入ったらエンジンを切って、排気ガスを出さないようにするはずです。
しかしながら、車庫に入ってもエンジンをかけっぱなしでは、
排気ガスによって自身が故障したり、一緒にいる家族をガス中毒させてしまうはずです。
のべつ思考にはまっているというのはこのようなものです。
思考のぐるぐるまわりが悪い波動を出し、その中心が苦玉です。
だから、苦玉の原因は思考はまり意識なのです。

ところで、

なぜ、

人間が思考にはまっているかというと、

その原因はカルマ関係にある親が原因です。

親が24時間わが子のことを気にしているから
(親は、それをそのまた親に生まれた時からされているので、
 生まれつきでありあたりまえであり、それを愛情と思っています)、

そんなわけで、

子供の脳が親の不調和波動の念に支配されて思考はまり=苦玉が発生するのです。

これをわたしは「親の心配のろいかけ」と称しています。



そんな親を指導して、

「子供のことが一日中頭から離れないことが

子供の苦しみを作っています。だから、

用がないときには子供のことを忘れてあげなさい」

と指導して、

わが子への「心配のろいかけ」をやめさせると一瞬にして思考はまりが消えて

子供の心の病が解消されます。(平成25年4月追記)



 
 そして、最近の学校では思考にはまることを奨励するようになってしまいました。
すなわち教師達も思考にはまって「考えなさい。考えなさい」の連続です。
学校が余裕を失っているというのは誰でも感じていることでしょうが、
この根本的原因は学校教育全体が思考にはまっていることなのです。
だからといってそれを新しくより良い思考に取り変えようというのではありません。
思考はどんな立派な思考でも思考なのです。
のちほど、この解決法を示したいと思います。
(9)思考にはまった心から「無限の心」へ

人間の意識には思考にはまった意識の状態と、
          そうでない健常な意識の状態の二つがあります。

そうでない心をとりあえず「無限の心」と称しておきます。
(最近では全体意識とも称しています。
すなわち思考にはまると個の意識にはまり、
不調和波動=苦玉を蔓延させ、
「思考はまり」から意識が抜けると
全体意識(=無限の心になります。これが心の苦しみの完全解消です。)

今は全体意識とか無限の心というものが
どんなものかわからなくても、
そのうち、
次第にそれが何なのかわかってくるはずです。


本来の人間の心は
「思考にはまった状態」と、
「無限の心=無の意識=全体意識」の両者が
バランスよく存在してこそ健全でおれるのです。
すなわち、
息を吸ったら、次は吐く、のと同じです。
思考がきたら、
次にはそれが消える瞬間があるというのが健全な意識なのです。

例えば、
今日は何をたべようなかなあ→  間(ま)  →明日の仕事はどうしようか。
このように思考と思考の間には(ま)があります。

それは普通の人間では特に意識をしているわけではありません。

「思考にはまる」とは
この間(ま)が全く無くなっていることです。

今日はなにをたべようかなあそうだカレーにしようあしたはどこに行こうかなあ天気だといいのだ
が晴れたら公園に行こう公園にいったらあすくりーむでもたべようアイスクリームはおなかをこわ
すからやめようラーメンでもいいかもしれないラーメン店はどこにあるのかなあ

これは間(ま)がありません。
見ているだけでも苦しくなってきます。
心の窒息状態です。
これが苦しみを作っているのです。
図で示すと以下のようになります。
青い線は思考です。
思考が画面いっぱいにつまって余裕がありません。


ところが
下図では思考はありますが、
その外側に隙間(余裕)があります。


この間(ま)のある意識の状態であれば、
たとえある問題が起こっても、
何とかなるさ、
これもまたいい経験、
などという心の余裕が出てきます。
それは、
人生全体についていえることでしょう。


しかしながら、
その間(ま)=「無限の心」の意味を知識として頭の中に仕入れたり、
辞書で調べても意味がありません。
それも思考ですから。
「間(ま)=無限の心」は思考ではけっして捉えられないのです。

その「間(ま)」に意識を誘導することで、

苦玉から一瞬に開放しようとするのが「見る見る治療」です。

「見る見る」とは意識を思考から見るに誘導することで、思考を消すことで間(ま)を作る治療法です。

それは、気づきが根本にあります。

自分が思考にはまっていることの「気づき」であり、

自分の意識には間(ま)がないという気づきであり、

それが「見る見る治療」であります。


それを体感として、実感として、感じることです。

例えば、
リンゴの味を「甘いもの、さわやかな味」などという知識として頭に入れても
リンゴを知ったことにはなりません。
リンゴを知るには、りんごの知識を頭に入れるのではなく、
実際にリンゴを食べでその味を感じることしかないのです。
それと同じです。
 
ところで、
長い歴史の間で、
人類は文化的に常に思考と「無=無限の心」の両者のバランスを意識的あるいは無意識にとっ
てきたようです。
例えばアメリカインディアンの習慣には思考にはまった人間を悪魔がとりついたとして問題にする
風習があったそうです。
わが沖縄の地でも思考にはまった人間をマブヤーヌギー(魂が抜けている)と表現して、
それを解消するための文化的知恵が蓄積されています。
しかしながら、
現代社会の人間はいつのまにか思考だけを重要視し、
思考することをまるで神のようにあがめることになってしまったのです。
特に最近のわが国はそれがひどくなっています。
現代は思考によって打ち立てられた科学によって人類史上かつてないほどの隆盛を
極めています。
その結果、
科学絶対主義、すなわち思考絶対主義の風潮があらわれ、
最近ではそれが特にひどくなり、
教育現場でも完全に思考絶対主義になってしまったのです。
先生方は「ぼーっとしていないで考えなさい、考えなさい」の連続です。
しかしながら、ぼーっとしていることが
「無=無限の心」であり、間なのです。
そこにこそ、
本当の解決が潜んでいるのです。
ところがそれを否定し、
、思考することで何でも解決できるような誤解をしているのです。
これが教育問題の根源的原因なのです。

(10)思考にはまった人間

 思考にはまると人間の心は本来つながっているはずの意識が個々に分断されます。
すなわち、心が通じ合わなくなります。
その結果、いさかいが始まります。
「思考にはまる」とは本質的にそういうものなのです。

近代や現代の人類の歴史で、
いろいろな思想がぶつかりあい、争い、戦争にまでなっているのは
その証拠ではないでしょうか。
このインターネット上でも絶対に結論の出ることのない「ああでもない、こうでもない」の議論が永
遠に繰り返されているのもその証拠でしょう。

ところで、
愛とは人と人との心がつながり、一つになることだと言えるかもしれません。
意識の本来の姿だといえるでしょう。
「思考にはまること」は愛の逆と言えるかもしれません。

例えば、
「愛が何であるか」ということについて
議論しあっている恋人同士は
愛の状態ではないということが直感的にわかるはずです。
夫婦でも延々と議論を重ねている夫婦は
心が通じあっていない証拠です。

「黙って見ること(それが思考が消えること)」
に愛の本質があるのではないでしょうか。
わが日本は古来からこのことを知っていたようです。
暗黙の了解。
目を見れば分かり合える関係。
以心伝心。
などという言葉があります。

これらのことは感覚として感じるものであり、
思考にはまっている人間にはどうしても理解できないものです。

そして、
これが心を病む子供の親の特徴的な状態です。
たとえば、
引きこもりなっている人は
その親が思考にはまって、
不調和波動をカルマ関係にある子供に移し、
その結果として子供が引きこもりになっています。
子供は苦玉があり、
それが外に出ると
すべての人間は不調和波動を発しているので、
それを受けてしまい、
苦しみます。
それが引きこもる原因です。
(そんな引きこもりは苦玉を解消してあげれば治るということです)
親は自分の意識が思考にはまった異常な状態であることを知らないのです。
自分は正常と思いこんでいます。
「わたしは正常なのになんで子供がこんなになったのだろう」
と不思議に思っています。
自分が思考にはまることで親からもらった不調和波動を、
子供に流しており、
そんな自分が正常だと思いこんでおり、
子どもはそんな親にカルマ関係にあり、
カルマ関係は共依存関係を作ります。
子供が親の不調和波動を全てもらい受けてしまいます。
それで子供が苦します。

ところが、
多くの親は
「子供の心の病はあなたに原因があります」というとそれを否定します。
自分が正常だと思い込んでいるからです。
そして
原因をすべて外のせいにします。
学校のせい、友達のせい、仕事のせい、などと。
それが引きこもりなどの心の病がちっとも治らない原因です。
だから、
すべての子供の心の完全解消の第一歩は
親が「子供がこうなったのはすべてわたしに原因がある。」と気づくことなのです。

ところで、
先ほども言いましたように、
このような親はそのまた親から「思考はまり意識」を受け継いでいます。
そのため、
子供が親にどんなに悲鳴のような呼びかけをしても、
親子の心が通わないために、
「この子、何言っているのかちっともわからない」といいます。
それこそが問題なのです。
子供は親に理解してもらおうと
とうとう暴れてしまいます。
そこで親が意味がわからないからしまいには
精神病院にぶち込んでしまう、というわけです。
しかし、精神病院にぶちこんでも決して治るはずがありません。

自分自身に気づくのはとても難しい。
思考にはまっていることを自覚することが大変にむずかしいのは、
水の中の魚が陸を歩くということがどうしても理解できないのと同じことです。
魚は考えても「歩くこと」がわからないのです。
それには魚が水から出ることで体験するしかないのです。

思考が止むとその瞬間に「気づき」が働きます。
以上のことを理解するには「気づき」が必要なのです。
それが「見る見る治療」の本質です。

思考はまりでは意識が全体になれない。
さらに、
思考ではけっして全体をとらえることができません。
(人間が全体意識=無限の心に気づくことが最終的な治癒です。)
そのため人間の心が思考にはまっている限り
人間同士が個々に分断され決して心が通じ合うことはないのです。
われわれ人類が人類全体としての緊急な問題を持っているのは
だれでも気づいているはずです。
しかしながら
人類全体が、
個々の利益を追求するばかりで、
争いばかりしていて、全体としての行動ができません。
これが世界の現実ではないでしょうか。
その根源が思考にはまった人類の心の状態だというわけです。
だれか、一人が
思考はまりからぬけだすと、
その意識は人類全体に波及するはずです。
なぜなら、意識はすべてつながっているからです。
だから、
たった一人の気づきが人類全体を救うことになるというわけです。

思考にはまると苦玉を作り、苦玉は人間を恐怖にします。
多くの人間は思考によってできた苦玉から来る恐怖に支配されています。
心が恐怖に支配されるとエゴを追及せざるを得ません。
苦玉=自我ですから、自我が追求するように生活します。
その根底には不安と恐怖があります。
それがいまの社会ではないでしょうか。
人間同士が恐怖や不安から、
常に自分の利益を追求し続け、
個人エゴに走り、
それの集まった家族エゴ、
その集まりの地域エゴ、県エゴ、
そして国エゴのぶつかり合いとしてのこの社会なのです。
そして、「この世とはこんなものさ」なんて
あきらめています。
それは思考にはまった人間社会の必然的結果なのではないでしょうか。
 人間は思考にはまっているかぎり、エゴを追及するものです。
だから、人類は地球全体の問題をかかえながら、
いつまでも一人一人が個にとどまり、
エゴを追求し、
いつまでも全体としての見方をできないのは根源的には思考にはまっていること、
それによって派生した苦玉が原因だというわけです。


(11)苦玉は「心の体の病気のもと」です。

 このように思考にはまることは苦玉を発生させ、増殖させ、伝染させます。
そして苦玉は常に他人と心を通じることができず逆に他人をとことん拒絶します。
よく注意してみるとわかります。
 
 人と人の心が通じ合うためには間に心の壁があってはならないのですが
、苦玉が壁となるのです。
苦玉が壁の正体です。
いくら相手を愛しようと思っていても思考にはまっているかぎり、
それによる苦玉があるかぎり、
相手との壁ができ、心が通じず、逆に争いになり、相手に苦玉を移してしまうのです。
それはあなたが実生活の中で事実として経験していることではないでしょうか。

 例えば、夫婦間でいくらお互いに愛情を持とうと思っても、
お互いに思考にはまり、それによる苦玉があるかぎり、
争い、諍い、喧嘩、が絶えず、しまいには離婚になるのはこのことです。
離婚のきっかけは夫婦によって色々あるでしょうが、
根本的にはこの苦玉によるものです。
だから、夫婦が愛情のある家庭をつくるためには
お互いが自分の苦玉に気づき自分自身でそれを克服することなのです。

ところで、
愛とは人間同士の関係だけでなく、
他人や自分を取り巻くすべてのものと自分の心がつながっていること
ではないでしょうか。
たとえば、空を見て、うれしくなる。
海の安らかさに、
心癒されるなど、
わたしたちは、
この宇宙全体と意識が一つになるとき、
本当の心の底からの安らぎになるのではないでしょうか。
これをわたしは全体意識=無限の心と称しています。

それは、自分とすべてのものとの間に心の壁がないことです。
「宇宙全体と一つ」です。
その状態にあることで一瞬にして心の苦しみが消え、
そんな意識の状態であるからこそ、
人は心の底からの幸せを感じ、
生きていることが素晴らしいと感じることができるます。

例えば、
あなたが友人と一緒にいます。
あなたの心が友人とつながり、
それだけでなく、
座っている部屋とつながり、
開いている窓から見る空や日の光とつながり、
窓から吹いてくる風のきもちよさとつながっているからあなたは幸せと感じるのです。
そのためにはあなたの心に壁がない状態、
すなわちあなたが思考にはまってない状態あることが必要なのです。
それを「無限の心」と称しています。

 さらに苦玉は肉体を破滅に追いやります。
すべての肉体の病気もこの苦玉から発生します。
なぜなら、苦玉は破壊のエネルギーだからです。
苦玉は「死に至る病」の原因です。
だから、
人間が不要な病気にかからないで、
本来その人がもっている寿命を生き生きと生きるためにも苦玉を解消することなのです。

(12)思考が消えると愛になる。

よく一晩中、家族が家族の愛について議論することがあるでしょう。
それはお互いに思考にはまって議論を戦わせているのです。
そうして一晩中議論したあげくのはてはただ疲れ果てて家族がいよいよ不仲になるだけというの
をよく経験するはずです。
これが、思考にはまることが愛とは逆のものであるという証拠です。
最近はやりのデイベートもそうでしょう。

一方、恋人同士はだまって見つめあいます。
お互いの存在をだまって感じているのです。
自分が心地よいと相手も心地よく、相手の心地よさが自分に伝って自分も心地よくなる。
それが愛の状態ではないでしょうか。
黙って感じ、心で見ることで二人の心が一つになる、それが愛でしょう。
そこでは思考は働いていません。
残念ながら今時、そんな恋人たちは少なくなっているのでしょうが。
愛というと、まるで恋人同士の好いた惚れたの問題のよう思えるのでしょうが、
もっと広い意味のものです。
それは人間存在の根本ではないでしょうか。
それを「無限の心=全体意識」と称しています。
 



 人間が苦玉から解放されるには、
このように思考にはまることが起こす根源的な問題について気づくことなのです。
ところが、この世界中が思考によって動いています。
政治、経済、文化、すべての問題が思考によって分析され、結論を出されています。
それは人類全体が思考にはまっているのです。
だから、その結論はいつまでも全体的でなく、総合的でなく、愛からくるものではなく、いつも部分
的、一面的であり、そのため永遠に苦しみ矛盾を持ち続けるわけです。

人間一人が「無限の心=全体意識(宇宙あまねく意識)」に気づくと
その意識は瞬時に地球全体の人間に意識に影響します。
(意識とはそのようなものです)
だから、人間一人が本当に気づくことが大切だというのです。
(13)生命の本質は自我であり、苦玉である。

この世界は宇宙全体で一つの意識になっています。
それは思考が消えて「見る見る」したときに
理解できるものです。
この世界全体が一つの意識です。
相手も、自分も、目の前にある草も、空も、すべて一つ。
これが本来の意識の姿です。

ところが、
そのすべて一つの世界に
「わたし」という中心を作ってしまったのが自我です。
そして、多くの人間がそれを当たり前の世界だと思いこんでいます。

生命の本質は「自我の登場」かもしれません。
生命は
この宇宙に細胞膜をつくって囲いをした瞬間に
発生します。


だから、生命がはじまった瞬間に他を排斥する自我の行為がはじまるのかもしれません。
その瞬間に他を排斥する意識=自我からくる苦しみ=苦玉が発生したのかもしれません。
そしてさらに、
生命は生まれた瞬間に自分の生命を
次世代を作ることに全力をつくします。
自分の次世代、すなわち子供を守ることを自分の命より大事にします。
そうでなくては生命は連続できないからです。
これがカルマです。
すなわち、カルマとは自分の子供を一心同体に思う心であり、
それが連綿とつづく命の本質だということなのです。

さらに、
生命は生まれた瞬間に死の運命から逃れることができません。
生命は紙の表裏のように
死を背中にもっているのです。
それが全体です。
生きる衝動のすべてが苦しみにつながるといっていいでしょう。
すなわち、苦玉=不調和波動は生きる衝動だということがいえます。
苦玉を根本的に解消するには
死を意識することであります。

以上のことからすると、、
親子のカルマ関係は生命の本質的部分である、ということがいえるかもしれません。
ただし、
カルマ関係が過ぎると共依存関係になり、
そのことが、
子供の生命を障害してしまう、ということになるわけです。
そして、
さらに自我=苦玉の解消が「死」にあるということが納得できるはずです。
「生」のみを追求していることが
生命の本質上歪んだ状態であり、
死を背景にしてこそ、
生命ははじめて
全体になる、ということなのです。
それが、生きる苦しみの本質であり、根源的解消がそこにある、ということなのです。
すなわち生命は死を背景にすることで、
全体になるということなのです。
簡単に言いますと生きることだけに
執心する心が苦玉を発生する。
そしてそれがすべての不調和の原因である、ということなのです。

 
(14)心の苦しみは自分で治すしかない。

 自分の心の苦しみは自分でしか取れません。
でも、多くの人は、
どうすればいいかがわからないから、混乱してしまいます。

そして、
その混乱から他人の言う事や宗教などに頼ってしまいます。
そうすると余計に混乱し、いっそう他人や宗教に頼ることになってしまい、
苦玉は解消されないどころか、
他人や宗教への依存性をいっそう深めてしまいます。
苦しむことの根本的な原因は依存にあります。
基本になるのが親への依存、他人への依存です。
依存をやめた瞬間に苦しみから解放されてきます。
これが多くの人に起こっている事実ではないでしょうか。

なぜなら、
苦玉は自分の心の内側にあるのであり、
その苦玉を何とかしないから
ちっとも解消できないのです。

意識が外側をむいていてはけっして解消できない、ということです。
心を病む子供を持つ多くの親に対してまず指導するのが、
「あなたの内側を見なさい」ということです。
そこに苦玉があることに気づきなさい。
そして、それが子供に飛ばしているから
子供が心を病んでいるのですよ。」
と指摘するわけです。


 だから、あなたも、
あなたがあなた自身の内側を見てそこに苦玉を発見しそれを解消する力をも
つことです。
それしか、救われる道はないのですから。

 そして、
今までお話ししたように、
あなたの心の苦しみをあなた自身の力で解消することは
ひいては地球全体の苦しみを癒すことにもつながるのです。
「そんなバカな。信じられない。そんな奇想天外なマンガみたいな話なんてありっこない」
とお思いでしょう。
それは先にも説明したように、
あなたの心が思考にはまって心が「あなた」という個に分断されているから
どうしても理解できないのです。
心はこの世界全体、いや宇宙全治が一つにつながっているということが
どうしても理解できないのが「思考にはまった心」なのです。

そのように考えなさい、というのではありません。
「心がすべてつながっている」という事実に気づくことです。
それが「見る見る治療」です。
そしてその気づきにより思考が消えて新しい心の世界にジャンプするのです。
思考から抜け出して、「無限の心」に脱出することです。
するとあなたの心は瞬時に全体の心になっているのです。
そして、その瞬間に、あなたが自分が「個」であると思っていたことが
間違いであり、
上に書いてあることが事実だとわかるはずです。


そんなことを言っても、
今は自分の苦しみに向かうことで精一杯で、
それどころではないというかもしれません。
それならそれで結構です。
まず自分の心の苦しみを解消することことから始めましょう。
そして、それがすべてです。

思考から抜け出たら直感が働くようになります。
 心がすべてつながっているということを理解できるのは思考ではなく、
思考が消えて直感が働いたときです。

「無限の心」とは直感です。
たとえば、何かおかしいという直感です。
たとえば、何か天変地異がやってくる、
などという直感は動物でよく働くことは実例で示されています。
渡り鳥が地球の反対側まで道をまちがえないでいけることは鳥が地球全体を見通す直感の力を
持っているからかもしれません。
そのように直感の力が働くと全体を見渡すことができ、
地球の心が人間一人の心と不可分であることが理解できます。

 
しかしながら、
現代精神医学はその思考によって問題を解決しようとするから、
「ああでもない。こうでもない」とどうどうめぐりをして、
ちっとも心の問題を解決できないのです。
現代精神医学はそのように心の病の根本的解決法を知らないから、
しかたなく薬物を投与するのです。
そんな薬物はけっして心の病に根本的解決をもたらさないから、
いよいよ問題を深刻にしてしまっているだけなのです。
そのこともすべての人が感じていることではないでしょうか。

心の苦しみの実際の治療法

(1)まず、自分の苦玉に気づくこと。
      そのためには思考はまりが消えること。
          そのためには「一点集中見る見る」。


 自分の心の中に苦玉(くだま)があることを実感として感じることです。
それがスタートです。
何度も言いますが、
「苦玉がある」と考えなさい、
というのではなく、
実際あなたの胸中にそれがあることに実感として気がつくことです。
何か不安で、何かうっとうしい、何だか苦しいと感じる胸中のモヤモヤした固まりです。
それが苦玉です。
それに気づかないことには先には進めません。

なぜ、気づかないかというと、
あなたは思考にはまっているからです。

というのも、
いつもあなたは心をいそがしくして、
そわそわしているから、感じないかもしれません。
ずっと思考にはまっていながらも、
なんだか苦しい感じがあるはずです。
なぜ苦しいのか理由を考えようとします。
お金がないから、
離婚したから、
仕事がうまくいかないから、
しかし、それは表面上だけの理由なのです。
それが解決してもなお苦しいのです。
さらに、
それを酒や、ギャンブルなどでごまかしています。
それだから、
いつまでも苦しいのです。
人生のある時期に自分自身に向き合うようになります。

じっと静かにして、
じっとして、
自分の体を感じてみてください(実はそれが瞑想の本質です)。
ところが、
あなたはあれやこれや考えています。
それが思考にはまっている証拠です。
どこか、目の前の一点をじっと見つめてください。
すると、強制的に思考が消えます。
すると、
気づきが起こります。
苦しい塊が胸中にあるのがわかるはずです。
そわそわした感じかもしれませんし、
きゅっと胸が締め付けられるような感じかもしれませんし、
ドンとした重ったるい感じかもしれません
人それぞれに感じは違います。

また、
人によって苦玉のある場所が違うこともあり、必ずしも胸の中ではありません。
うっとうしいスモッグのような苦しい固まりが頭の中にあったり、
のどに何かが詰まったような感じがしたり、
心臓がいつも苦しくてドキドキ、ちくちくしていたり、
重い鉛のようなものが胃のところにあったり、
多くの女性の場合は子宮にあることがよくあります。
ひどい生理痛はこれによるもので、
そんな女性は、そういえばいつも下腹部に重い、いやなものがあると感じるはずです。
その苦玉に気づき、その苦玉がひどくなる様子、あるいは軽くなる様子、
他人との関係などによく注意してみることです。

とにかく
体のどこかに、
苦しいものがあればその中心が苦玉です。


2)苦しいのを外のせいにしないこと


そして、これまでのあなたは
自分が苦しいのを外側の原因のせいにしないことです。
あの人のせいだとか、
あのできごとのせいだとか、
あなたの外側のせいにしないことです。
というのも、あなたの心中にある苦玉(くだま)が原因なのですから。

自分の外側のせいにすると、
あなたの心の目が外側に向いてしまい、
それが苦玉(くだま)に向きあうことなく、
一向に解消できないことになるからです。
そんなことをしていたのが今までのあなたではないでしょうか。
すべての原因は自分の心の中の苦玉にあることの事実を理解することです。
事実そうなのですから。
苦玉はずるがしこい寄生虫のようなものです。
苦玉は決してあなたに発見されないように、
つねにあなたの頭を支配して
外側を見させるようにしています。
それに負けているのが苦玉に苛まれている人たちです。

さらにその時、
多くの人は自分の過去にあったできごとを「ああでもない、こうでもない」と振り返るでしょう。
「ああすればよかった、こうすればよかった」の繰り返しです。
それは思考はまり意識です。
これがまた苦玉をつむぐことになります。
また外側の原因にしてしまうことで、思考地獄の苦玉地獄にはまるわけです。

そうではなく、
胸の中の苦しいと感じている固まりすなわち苦玉を発見するのです。
それは考えるのではなく「見る」ことです。
これが大事なことです。
それが「見る見る治療」です。

4)「見る見る」とは「心をこめて見ること」

 
心を込めて見ることで思考が消えて、意識が無の状態になります。
すなわち心に「間」が現われます。
しかし、
多くの現代人は考えながら目の前のものを見ることになれてしまっています。
これでは本当に見ていることにならないのです。
「心ここにあらず」の状態です。

そして、
思考にはまりながら見ている人は目を見るとすぐにわかります。
目がきょろきょろと始終動いていてこちらの目に焦点が合わせることができません。
目と目を合わせて会話することができないのです。

そのような人は、
心が自分の思考の方ばかりを向いているので注意散漫になり、
指先もせわしなくごそごそとしながら、
心がどこかにいっている風です。
心の目が常に相手の心と合わせることができないので、
目も実際に相手の目を見ることができないのです。
相手と心を通わすことができません。

この癖は子供のころにすでにできあがってしまっています。
れは思考にはまった親から受け継いだ癖です
昔から「子供の目を見て話しなさい」といわれるのはこのことなのです。

例えば、
引きこもりの子供たちが
「お母さん、御願いだから自分を見てちょうだい」と
よく叫ぶのはこのことなのです。
お母さんが子供の目を見て育てなかったから、
子供も思考にはまって、
結局他人と心が通じることができずに、
引きこもりになってしまったのです。

例えば、
学級崩壊の問題があります。
子供の集団が思考にはまっていると
教壇の先生の目を見ることができません。
そこで、学級全体の心が通わなくなります。
学級中にそわそわした落ち着かない不調和波動をまきちらし、
学級中が思考にはまって心が通じ合わないのです。
それが学級崩壊の原因です。
当然のごとく、
学級崩壊の学級では心の通じ合い、
すなわち愛が消え、
いじめが蔓延します。
担任の先生も思考にはまっていてそれに自分自身で気がつかずに、
火に油を注ぐことになってしまっているのです。
だから、
学級崩壊は先生が子供達一人一人の目を見て話すことで一瞬のうちに解決する
はずです。

先にもお話したように、
子供のそのような癖は同じ様に思考にはまっている親の影響です。
それは思考にはまった親子関係すなわちカルマの親子関係です。
だから、子供の心の病は根本的には親に原因がある
という事実の認識なくしては根源的な解決ができないのです。

親が生まれつき思考にはまっていると、
それによってできた苦玉が波動のように子供に移り、
子供もまた思考にはまって周囲と心が通じ合う能力を欠いてしまいます。
だから、
親も子も周囲との人間関係のトラブル続きになってしまいます。
しかし、
親も子も自分自身の異常な状態に気がつかないものだから、
余計に周囲と争い、いさかい、一向に問題が解決しないどころか、
人間関係をいっそう深刻なものにしてしまいます。
そして、とうとう引きこもってしまうわけです。
それが引きこもりの根源的原因なのです。

だから、
子供の心の病の根源的原因は親(それもカルマ関係にあるほうの親にあるのです。
そして、
親がそうなった原因はそのまた親にあるのです。
心の病の核心部分(すなわち苦玉)は
このように親から子に延々とつながってきたものなのです。

それは決して親を非難しているわけではありません。
事実を言っているのです。
事実を認めるのはとてもつらいけど、
事実を事実だと認めることで問題の解消がはじまるのです。

すべての親は必死になって子供の心の病をどうにかしようともがいています。
そのように親に原因があるとお話しをすると
多くの親は
「あなたはこんなに苦しんでいる私をまだ苦しめるのか」と怒ります。
そうではありません。
事実を事実として気づかないと、
問題の根本的な解決にならないと言っているのです。
そして、事実はとてもきついけど事実なのです。
親がそのように思考にはまってもがいて、もがいていることそのものが問題なわけです。
その
思考にはまっていることこそが原因で、そこから抜け出さないことには解決がつかないので
す。
親はそんな自分の状態に気がついてないのです。
だから親が必死に考えれば考えるほど
いよいよ子供に苦玉を移してしまい、
いよいよ問題が深刻化するばかりなのです。
そこから抜け出すのは親が「自分の異常」に気づくことからしか始まらないのです。



5)見る見る治療

思考にはまって見ることになれてしまっている人は
「心を込めて見る」というのがどうしてもできません。
これまで書いてあることを頭で理解しようとするから、どうしても理解できないのです。


例えば、「見ること」と言うと、思考はただちに翻訳を始めます。
思考を続けるために。
「正しく見よう。やさしく見よう。思いやりを持って見よう。」とするのです。
多くの親が治療を受けているときにしています。
思考の翻訳です。
それでは全く理解してないのです。
元の木阿弥です。

「ただ見る」こと
「ただ見る」というのがどういう状態かは思考では決してとらえられません。
それは、感覚としておぼえるしかありません。
例えば、赤ちゃんの目を思い出してください。
赤ちゃんの目は「ただ見ている」のです。
それは「正しく見よう。やさしく見よう。思いやりを持って見よう。」としてないはずです。
「ただ見よう」ともしていません。

「ただ見る」ことを思考ではなく体感で覚える。
 「ただ見る」という感覚を覚えるはたとえば、
泳ぎを覚えることと似ています。
泳ぎは体で覚えるものです。
陸の上でいくら延々と講釈をしたり説明しても泳ぐことはできません。
泳ぐことについていくら思考に知識を取り入れても泳ぐことはできないのです。
それは体感として体でおぼえるしかないのです。
(それを体感として覚えてもらうのが治療の根幹です。
治療者は「ただ見る」を感覚として身につけているので、
以心伝心で「ただ見る」感覚を伝えられます。これが「見る見る治療」です)

日常生活でも
思考はまりから抜け出る注意が必要です。・
 例えば、
心の病を自分の力で治したという人たちは、よく、ひたすら歩いています。
というのも、
部屋で、一人で閉じこもっていると余計に思考にはまってしまい、
思考はまり地獄に入るのです。
歩くことで、
無意識にまわりのものを「見る」行為をしているのです。
歩いている人を見る。
道端に咲いている花を見る。
遠くの景色をみる、など。
だから、歩くことで、
心が思考から「見ること」にシフトしていくことで治るわけです。


「見る」ことで思考はまり状態から抜け出すというのは、
パソコンのリセットボタンと同じです。
パソコンの画面がぐちゃぐちゃになって、始末におえなくなって、どうしようもなくなると、
リセットボタンを押すとすべてが消えてしまい、真っ白な画面になるでしょう。
あれと同じです。
これまでの人生でためにためてきた苦しいごちゃごちゃのゴミを一瞬にして赤ちゃんのような真っ
白な心にリセットするわけです。
これが「見る見る」することで可能なわけです。


6)一点集中見る見る

「見ること」に導入するために、次のような方法を思いつきました。
 



どこか、目の前のある一点を見つめることです。
ほんの2分や3分でもいいです。
見るものは何でもいいです。釘穴でも、壁のしみでも、花の芯でもいいでしょう。
(最近「一点光源を見る見る」について別の項目で詳しく説明してあります:平成25年4月)

その一点を見つめることです。
というのも、
先にもお話しましたように、
思考にはまって見ている人は眼が微妙に左右にぶれて心の目の焦点が合っていません。
これを医学用語で眼振といいます。
思考にはまった眼は眼振があるのです。
よくまわりの人間の目に注意してみると、それが事実だと理解できるはずです。
思考にはまっている人は目がきょろきょろと焦点が定まらないのです。
そして、
一点を集中して見ることで眼振がおさまり、 
それと同時に思考を強制的に消すことができます。

実際にやってみるといいです。
一点を見つめると思考にはまることができないのです。
(意識が見ることに集中しているから。)
もう少し、正確に説明しますと、
「見ている」ということは、
思考していながらも、心は相手とつながっていることです。
それは思考していながらも相手の眼を見ることでつながります。
例えば電話をしながら相手と通じるためには電話線がなければいけません。
「見ること」とは心の電話線の働きなのです。
思考にはまることは「見ること」が消え心の電話線が切れた状態なのです。 
 






先に、「思考はまり意識」が苦しみの波動、
いわゆる不調和波動=苦玉を出しているといいました。
頭が重い、肩がこる、気分が悪い、胸が苦しい、
これらはすべて思考にはまることで出している不調和波動によるものです。
というのも、思考は内向きの断絶した心の状態になるのです。
その集積が苦玉です。すなわち、自我です。
そしてそれから来るいろいろな体の不調や人間関係の不調、です。

ところが、
上のようにして思考はまりから抜け出せると、
体中にこびりついているこの不調和波動がしだいに薄れていきます。
ちょうど、
部屋にこもった煙が窓を開けることで次第に消えるのと同じです。
肩こりが軽くなってきて、
重い頭が軽くなり、
苦玉の暗雲が次第に晴れてきます。
その間わずか五分や十分です。
そうして、
体中に暖かいぽかぽかとして、気持ちのいい波動が浸透してくるのを感じるはずです。
これが、
思考にはまった状態から抜け出て意識が「見る」状態になったときにあらわれる
「無限の心=全体意識とつながった意識」が発する「良い意識=調和波動」なのです。

そうすると
5分や10分もすると体中の苦しい波動や苦玉が消えて、
透明なすがすがしい心に置き換わっていることに気がつくはずです。
ちょうど心の煙が消えていって澄み切った空気になったような感じです。
空気は全世界、いや全宇宙とつながっています。
いままで自我にはまって不調和波動=苦玉で圧迫され窒息状態にあった心が透明になり、
無限に限りなく宇宙のはてまで心がひろがっている感じがするはずです。
それが「無限の心(全体意識)」です。
あたまの中のごちゃごちゃが消えて、
心はすっきりとした五月晴れのようになっているでしょう。


ただし、それは想像することでは得ることができません
想像するのは思考癖のある人のよくはまる癖です。
瞑想などをしている人たちがよく陥る問題です。
よく、瞑想によって宇宙の心と一つになる、などといいますが、
そのとき多くの人が宇宙を想像しながら瞑想することがよくあります。
ところが、その想像は思考です。
だから、これでは苦玉からの解放にはつながらず、「無限の心」にもならないのです。
キーワードは「一点集中見る見る」です
意識を見ることに集中させることで思考による想像が消え「無限の心」になっています。

多くのひとの瞑想が、瞑想になっていない原因がこれです。
宇宙を想像しながら自分は瞑想していると勘違いしています。
それはいつまでも苦しみが解消されないから、
それが間違っている証拠です。

7)苦玉の中心を見る。

一点を見ることでは同じですが。
心の中に苦玉を感じるのなら、
その苦玉の中心を見ることも同じ「見ること」なのです。
苦玉には必ず中心点があります。 





その中心点をジッと見つめることです。
あなたの人生は今までずっと苦玉から目をそらしていた人生だったはずです。
酒でごまかしたり、娯楽でごまかしたり、あるいは性的快楽を追求することでごまかしたり、
笑顔でごまかしたり。
これまでの半生がそうしてきたから苦玉が一向に解消されず、
いよいよ増大してきたのではないでしょうか。
それも事実なはずです。

今こそ、自分の苦玉をまじまじと見ることが大切なのです。
苦玉を解消するには「それを見る」しかないのです。
自分の苦玉の中心をじっと見るのです。
どこまでもじっと見ることです。
苦玉の中心をじっと見ているとそのうち苦玉がしだいに小さくなっていくいくのがわかります。
そして、いつのまにかぷつんと解消されてしまうでしょう。
(平成25年4月追記:
苦玉は消えるのではありません。
苦玉に穴があく、と表現している状態になります。


そうなると、
気持ちがスースーしてきて、
心のわだかまり、ひっかかりが消えて、
まあいっか、というような気持ちになります。
すべての心の引っかかりが消えます。
無限の喜びがそこにあります。
ところが、苦玉は消えているわけではありません。
あなたがまた思考にはまるのを待っています。

さらに
最近では「ぽっかり穴」を発見することが苦玉の完全解消につながることがわかりました。

「ぽっかり穴」とは
意識にはぎゅっと集中した点と
ぎゃくにぽっかりと抜けた穴の対があることが最近わかりました。
苦玉の真中に開いている穴がぽっかりあなです。
ところが、
苦玉の中心を見るのはとても骨の折れる技です。
簡単に苦玉を解消する方法をさがしていたら、
「ぽっかり穴」が存在することがわかりました。
この物質世界には物質の反対のものブラックホールがあります。
ブラックホールは
アインシュタインの相対性理論から絶対に存在しないといけないことが
理論上明らかにされており、
1990年ごろから、実際の宇宙に存在が
確認されるようになりました。